国立ワクチン研究所(1) 盗聴

 国立ワクチン研究所は、令和の初期につくられた北関東学研都市の北部に位置している。二十一世紀の生理学・医学・薬学の発展を目的に作られた北関東学研都市には、中核となる北関東医科大学のほか、生命科学に関する国立研究所が数多く存在する。国立ワクチン研究所もこれらの研究所の一つで、ウイルス性の感染症を治療するためのワクチンの研究と開発を行なっている。

 赤城と黒田は約束の五分前にワクチン研究所一階の受付に到着し、受付係に十時からの福山所長との面会の約束を告げた。

「面会の件は所長からうけたまわっています。まずは面会者リストに、代表者の氏名と所属をご記入ください。それから備考欄には、”他一名”と記入して下さい」と受付係の担当者が事務的な口調で言った。

「来訪者用の入構証をお渡ししますので、首から下げてください。先程、電話で所長にお二人の来訪をお伝えしたところ、急な用件が入ったとのことですので、十分ほどお待ち頂けますか。これから応接室へご案内しますので、そこでお待ち下さい」と担当者が続けて言い、赤い首紐につながった二人分の臨時入構証を赤城に手渡した。受け取った入構証を使ってセキュリティゲートを通過し、研究所内に入った赤城と黒田は、応接室に通され、そこで福山所長を待った。

 二人が福山所長を待つこと、十分、そして二十分が過ぎた。

「なかなか来ませんねぇ」黒田が退屈そうに言った。

 応接室に通されて三十分が過ぎようとした頃、しかりつけるような怒号が応接室の外から聞こえてきた。

「何度言えばわかるんだ。こんな結果は、論文には使えん。やり直しだ!」

「何度やっても結果は同じです。論文に都合のいいような実験データの改竄かいざんはできません」

貴様きさま、生意気なことを言うな!」

「・・・・・・」

 怒号が収まって程なくして、ぎこちなく笑いながら福山所長と思われる人物が応接室に現れた。

「お待たせしてすみません。所長の福山です。今年の五月に日本で開催される国際ワクチン会議のことで急な国際電話が入り、時間を取られてしまった。私が今回の国際会議の議長を務めることになっているので、何かと忙しくて・・・・・・」福山が自慢げに言い訳をした。

 危機管理局の参考資料によれば、福山は還暦を少し過ぎた年齢である。しかし、黒々とした豊かな頭髪が若々しい印象を与えている。また、太い眉と角張ったあごが印象的で、意志が強そうな顔立ちをしていた。さらに福山は、その鋭い眼光から、研究者というより政治家といったほうが良いような、威圧的な雰囲気を醸し出している。

「内閣府危機管理局から来ました赤城と黒田です」赤城が代表して、福山に挨拶をした。赤城と黒田は、おもむろに名刺を取り出し、福山にアイコンタクトした後に、ゆっくりと名刺を裏側にして福山に渡した。赤城と黒田の名刺の裏側には、それぞれ次のように書かれていた。

『この部屋は盗聴されています』

『別の部屋に移りましょう』

 福山は名刺を受け取り、名刺に書かれたこれらの文章を目で追って黙読した。少しだけ驚いた表情をした福山だが、すぐに落ち着きを取り戻してこう言った。

「わざわざお越し頂き、ありがとうございます」

「危機管理局局長の鬼塚からお聞き及びでしょうが、今日は例の件で伺いました」と言いながら、赤城が黒田に目配めくばせした。

「赤城主任、待ちくたびれて喉が渇きませんか?」黒田が無遠慮を装って言った。

「三十分も待たせてしまって、大変申し訳ない。お待たせしたお詫びに、最上階でコーヒーでもいかがかな。最上階のレストランには個室もあるし、カフェテリアでは結構うまいコーヒーを飲ませると評判らしい。私はまだ飲んだことはないが、女性に人気のタピオカミルクティとやらも置いてあるらしい」福山が話を合わせた。

「お言葉に甘えてコーヒーを頂きませんか、赤城主任」と黒田が言った。

「黒田さん、ちょっと厚かましいですよ」と赤城がたしなめた。

「そう堅苦しいことを言わずに・・・・・・」と福山が重ねて言った。

「それでは、お言葉に甘えて最上階のラウンジに行きましょう。タピオカミルクティは、ちょっと気になるわね」赤城が根負けしたふりをした。

 最上階へ向かうエレベータの中で、福山が質問した。

「応接室に盗聴器が仕掛けられているとは驚いた。どうして気が付いたんだ?」

「応接室で福山所長を待っている間に、こちらの黒田が高感度検知機を使って見つけました。詳しいことはお話できませんが、危機管理局側でも色々ありましたので、聞き取り調査には、こちらも細心の注意を払っています。私共の下手へたな小芝居に付き合って頂いて感謝いたします」と赤城が答えた。

「レストランの個室にも盗聴器が仕掛けられているかもしれませんので、念のため最初に私が入って調べます。問題があれば、話の冒頭で私が『コーヒーが苦い』と言いますので、その時は適当なタイミングで個室を出ましょう」と黒田がこれからの段取りを指示した。

 エレベータはゆっくりと上昇し、盗聴器の話が一段落したタイミングで最上階に到着した。国立ワクチン研究所の最上階にはレストランとカフェテリアが併設されており、北関東学研都市内の研究所の職員や訪問研究者が利用できる。ワクチン研究所の最上階は、ここから見える遠くの山々の景色とレストランの料理の味の良さから、近隣の研究所からわざわざ訪れるほどに人気がある。福山はレストランの店長に個室を使えるように話を付け、カフェテリアのスペシャルコーヒー二杯とタピオカミルクティを注文した。

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