第76話 オニとタヌキのふたり暮らし

 リコとの暮らしは思いの外快適で楽しいものであった。リコの敬語使いは相変わらずであったが、はじめ硬かったその態度はだんだんと軟化していったし、草花や木の実の味を楽しみつつ日がな一日をのん気に過ごすのは悪くないどころかこれ以上ない。


 たまに暇を見つけてはリコを驚かせてやろうと、肩に手を置いてわあっと大きな声を出す古典的いたずらを仕掛けようとするのだが、リコの方では私が気絶した一件以来警戒を強めているようで中々隙を見せてくれない。それ以前に、そもそも触って良いかと尋ねて良いと言われた試しがない。であるならばと何も言わず近づくと、気づかれ叱られまた触れない。どうして肩をポンと叩くのもいけないのかと憤ると、「また失神されては敵わない」の一点張りである。私としてもリコを困らせるのは本意では無いので、そう言われると次の言葉が出てこないが、どうして私がリコに触ると失神する羽目にあうのかわからない。


 リコによると、この場所は時間の概念が曖昧らしくいつまで経っても昼間のままであるらしい。それでは時間が止まっていると捉えることもできるがしかしそうではない。例えば空に浮かんでいる雲たちは一か所に留まることなくそれぞれゆったりと流れており、しばらく目を閉じた後にもう一度同じ雲の並び、空の顔つきとでも言うべきそれを見ることは出来ないので、リコも「曖昧」という言い方をしたのだと言う。


 いくら昼間が終わらないと言っても睡魔は健全と襲い掛かってくるようで、私はたびたびその睡魔に幸福な敗北を喫した。たいていはリコが「何か」に集中していて私に構うことができないときに眠り、目を覚ますとリコが膝枕をしてくれていたのだが、それを続けている内にリコの方が「眠るときは声をかけてください」と言うのでそれからは眠るときも膝枕の上で過ごすようになった。器用に私のツノを避けながら額を優しく撫でてくれるのが心地良い。私の見る限りリコはいつも起きているようであったので心配していつ眠っているのかと尋ねてみたことがあるが、「リコは眠らなくても平気なんです」と返された。


 砂利一つない地面の上は生命の息吹で満ち満ちており、空と雲の輝きを受けた私たちまでもが何か光を放っているようであった。そう感じる度に胸が熱くなり、これが幸福というものか、と噛みしめる。


 残念なことに心配事もあった。リコはときどき狼狽し、息をせききり泣きそうになりながら私に対して変なことを言った。「もうわからないです。どうすれば良いのか……。わからないです……」 リコがうわ言のように繰り返し呟くのをなだめるのには苦心した。

「落ち着いて。リコ、ゆっくり息を吐いて、吸って……吐いて……」

「どうすれば……ああ、ああ、どうすれば…………」


 さめざめと泣くリコの姿を見るのは自分の身を切るよりも辛かった。声をかけるだけで、背中をさすってやることすらできないのが歯がゆい。さすってやろうにも、そうするとリコはもっと動揺してしまうことがわかっているのでどうしようもない。どうしようもないのだがやはり歯がゆい。

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