第35話 タヌキ学部、日本語学科試験

「では」私はごほんと咳払いをして、教授がよくするように偉ぶってみせた。「これからリコに、ええと、言葉を教える。……私が」


 ぱちぱちぱちと手を叩く獣が二匹。にぎやかで大変よろしい。


 再び静謐が訪れ、リコが少し不安そうにこちらを見上げた。


「まずテストだ。リコの実力が今どの程度のものなのかテストをしよう」


 焦った私の口をついて出たのは、「テスト」という言葉であった。しかしなるほど。勢いで何となく言った割には、なかなか良い言葉ではないだろうか。生徒の力量も知らずに教えるも教えられるもないだろう。九九も出来ぬうちから因数分解などさせられない。それにテストを解いている間に、どういった趣向で言葉を教えようかと考えることもできる。これ以上無いくらいのナイスアイデアだ。


「テストってどうやってやるんだ?」ポコが律義にも手を挙げて質問した。

「それは、ええと。文字は……書けないよな。じゃあ口頭で?」


 しまった。これではテストを考えるために、二重に手間がかかってしまう。ええい、ままよ! こうなればテストをするしかないのだ。腹を括れ!


「うん。私が質問するから、リコはそれに答えてくれれば良い。わからないときは首を横に振ってくれ。わかったか?」

「キュウ!」リコは勢いよく頷いた。

「じゃあいくぞ……」


 ゴクリ と固唾を飲む音が聞こえた。私が飲み込んだのではない。飲み込んだのはリコだ。どうやら少しばかりでも気を張ってくれているようである。テストと聞くと訳も分からず緊張するのは、人もタヌキも変わらぬらしい。


「これは何だ!」


 私は紙に数字の「9」を書いてリコに見せた。


「キュウ!」

「よし、正解だ」


 ここまではまあ出来るだろう。私が知りたいのはその先である。果たして……。


「あれは何だ!」


 私はおあつらえ向きに通った白く、そして喧しく、赤色のライトを振りまきながら走る車を指さした。


「キュウキュウキュ!」


リコが自信満々にそう答えたのを聞いて、私は確信した。


「よし、テストは終わりだ」


 リコは、やはり「キュウ」としか言えない。


 それからしばらくの間、何とかして私はどうにかして「キュウ」以外の言葉をリコが話さないものかと苦心した。苦心したのだが一向に状況は変わらない。私の額には次第に汗が滲み、リコは不甲斐なさそうな声を漏らし、ポコは飽きて鼻提灯を膨らませていた。辺りにはノートの切れ端が散らばり、ペンのインクが5ミリくらい減っている。いやそんなことはどうでも良い。それよりも私は随分気分の凹んでしまったリコをすぐにでも励まさねばならない。


 何かを始めるとき、そのやり始めにつまずいて尚、その先めげずにやり続けようとなるものではない。大抵「難しすぎる」とか「自分には向いていない」とか適当なそれらしい理由を当てはめ、やる気など無くなってしまうものだ。まだ言葉を教えようとするならばその前にリコのやる気を取り戻さなければならず、間違っても「できない」と、そんな思いを抱かせてはならないのだ。

 まだ言葉を教えようとするなら? 

 私はしょげるリコを見た。


『そんなだからその娘も喋れないのよ』


 花江先輩はどうしてそんなことを言ったのだろう。いや、おそらく多分十中八九——ただの恨み言、言い捨ての類ではあるのだろうけれど。

 リコが喋れない理由。それはポコから聞いた。「面倒くさがり」だから。それは本当のことなのだと思う。ポコが私に嘘をつく理由が無いし、そんなちっぽけな嘘をつくような小狡い性格をしているとも思えないからだ。そういうのは細波の領分である。


「将来に関わること」と、ポコは言った。「将来か」と、空気が震えるか震えないかくらいの大きさで呟き、すっかり青抜けている空を窓越しに見ていた。

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