第二部(前篇)~帰ってきたウルトラマン~

第1話 4年越しの復活

 ウルトラセブン終了後も、円谷プロによるTV特撮作品は制作されていった。

しかし、誤解を恐れずにいうならば、世間は求めていたのかもしれない。

 あのウルトラシリーズを もう一度ブラウン管で観たいという視聴者の声を

耳にして・・・再びウルトラシリーズが姿を現したのは昭和46年(1971年)の事だった。

 それが、『帰ってきたウルトラマン』である。

 そう、まるで、主題歌で謳われたように、(視聴者の)まさに轟く叫びを耳にして あのウルトラマンが帰ってきたのである。

 本作を輪切りに、再び特撮ブームは勢いを増すこととなり、第二次怪獣ブームという社会現象を引き起こすことになるのだが・・・

 そんな時代を語る上で欠かせない本作『帰ってきたウルトラマン』とは一体どんな作品だったのか、そして本作に対する筆者の想いを今章では語らせて頂きたい。


 僕の最も好きで想い入れがある作品が本作だというのは、以前にもお伝えしている。だからどうした?と思われた方もいるかもしれない。長大なシリーズなのだから、好きな作品なんて千差万別だろうと 別にこの作品が一番お気に入りだっておかしくない。 それはその通りなのだ。 

 我々、氷河期世代であっても、筆者のように何らのきっかけで特撮強いてはウルトラシーリーズに興味を持った子供たちだってたくさん存在したわけで、また、自身の場合でいうと、筆者が夢中になっているのに感化されてウルトラマンに興味を持った友人もたくさん居た。

 そんなウルトラ好きな我々世代の声を聞いていく中で、今までに『帰ってきたウルトラマン』が一番好きだ。というのを聞いたことがないのである。

 もちろん、これは筆者自らの経験からいっているあまりに根拠のない偏見かもしれない。例えるなら、血液型占いを無根拠に信奉する行為に近いかもしれない。

 B型ってマイペースっていうけれど、周りのB型はみんな本当に呑気だしやっぱりそうなんだ的なアレである。そのくらい愚かだとは自覚している反面、この自身の体験による結果に何処か満足している自分がいるのもまた認めざるをえない。

 

ややこしい言い回しになったが、要は筆者は自分の感性が周囲とズレているという事に少なからず快感を得ていたのある。そういう人間なのだ。

だから周りがやっぱりセブンでしょ?とかいう友人の言葉を聞きながら、大人ぶってるなぁとか、タロウが最高だよね!とか言う知人に対してはお子様視点だなぁとか

 そんな風に思っていたものだ。


 こういうのを一般的には性格が悪いとかねじ曲がっているとかいうのかもしれない。

しかし、そんな評価は他所に、筆者は思うのだった。『みんな、この傑作の魅力に気付けないなんてもったいない』

 そんな筆者だから、魅力に気付いた当初は周囲に本作の素晴らしさを伝えようと色々画策した。自分だけが知っているとう優越感にも似た快感に憑りつかれていた癖に皮肉なものである。

 そう、人間は結局は共感を求める生き物なのかもしれない。

 しかし、結果空しくこの画策は実ることはなかった。

 

 ときに、誤解なきようにお話ししておくが、ここまで話したのはあくまで氷河期世代の、しかも筆者自身の体験談である。

 その実、本作が果たして不人気なのかというと、これまた話は変わってくるのだ。

 それは何より第2次ブームを巻き起こし契機の作品だということからもお分かり頂けるだろう。

 実際、リアルタイムで本作を視聴していた世代にはこの作品が一番だというファンも多いようだ。

 これも当然で、前作であるウルトラセブンから丸4年の歳月を空けてのカムバックだったのだから  この4年という歳月は、我々大人にとってみれば、大した時間ではないかもしれない。しかし、子供にとっての4年間がどれだけの意味と価値を持つかは筆者が説明するまでもないだろう。つまりそういうことである。

 ウルトラQ~ウルトラセブンという第1期ウルトラシリーズをリアルタイムで観ていた小学生が、余もすれば高校生となっている そんな年月なのだから

 

 また、余談になるのだが、特撮氷河期世代である筆者たちはゲーム世代でもある。

所謂ファミコンに夢中になった世代だ。

 そんなファミコンブームの中でドラゴンクエスト、所謂ドラクエに代表されるRPGブームもリアルタイムで体験しているわけだが、このドラゴンクエストという作品、ファミコン時代は毎年のように新作を発表していたのだが、四作目では2年、そしてハードをスーパーファミコンに移行した五作目でも2年と徐々に新作発表ペースは落ちつづけ、6作目の際にはなんと3年も空けてしまったのだ。この3年の空白というのが非常に致命的だったと未だに筆者は思っている。

 

 詳述すると1982年生まれの筆者がドラクエⅤと出会ったのは1992年(平成4年)この時小学4年生。次作のⅥが発売された1995年にはもう中学生だったわけだ。(一応、93年にはⅠとⅡを同時収録したリメイク版は発売してはいたが新作ではない)

 

 小学生の間、毎年 新作を心待ちにしていたが、一向に発売される気配なく気付けば中学生になっており、中学ともなれば新しい生活環境で、部活に恋にと他に夢中になることもたくさん増えてくる中で、やはりゲーム離れする子供がいても何ら不思議ではない。

 実際、筆者世代では、ドラクエと言えばⅤまでしか思い入れがない。Ⅵは後年プレイしたなんて意見をよく耳にする。筆者も御多分に漏れずその口なのだが


 きっと本作も作品としては、このポジションなのだろう。つまりドラクエでいうⅥなのだ。

 現在、60代くらいの人間で、第1期のQ~セブンまでの信奉者が多いようだが

これは、上述のドラクエでいうところのⅤまでしかプレイしていない層にあたる。

若しくは、ロト三部作しか認めないというさらに古参にあたるのかもしれない。

 それに対して、この『帰ってきたウルトラマン』というのは、そんな第1期をリアルタイムで体験していないような新しい世代にとっての初めてのリアル体験だったともいえる。

 何でもそうだが、初めての衝撃は忘れられないものだ。

 だからこそ、リアルタイム視聴世代には本作を推す人間が多いのは当然だといったのだ。


               閑話休題

 

 そんな本作であるが、ではリアル世代ではない我々にとって、なかなか馴染みがなく感じたり、他作品より語られることが少ない?(あくまで経験からの主観)のは何故だろう。

 そう考えたときに、まず浮かんだのがこの『帰ってきたウルトラマン』というタイトルであった。

 次回は、このタイトルの妙について そこから語っていきたい。

 

 


   



 


 

 

 

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ウルトラマンに黄昏て  結城カザミ @Diada-de-Sant-Jordi

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