第5話 星間戦争という未来
前回まで、シリーズ第2作『ウルトラマン』という作品について語ってきたわけだが、このウルトラマンの好評につき、さらにシリーズは展開を続いて行くこととなる。
人類自らの力で、危機を乗り越える姿を描いた感動の最終回から半年後、それはブラウン管の前に姿を現し再び子供たちを熱狂させた。
シリーズ第3作目にして、おそらくウルトラシリーズを通して最も人気を誇る『ウルトラセブン』である。
この前作ウルトラマンと人気を2分割、
ときに、早速であるが、このウルトラセブンという作品には、明確な時代設定が存在する。漠然とした近未来を描いた前作とは、この時点で既に違う魅力を想起させずにはいられない。
では、ウルトラセブンで描かれた世界とはいったいどんな世界だったのかについてであるが、実はこれについても前回の勧善懲悪論同様、過去に自身のブログにて持論を交えながらの考察を綴っていたので、このブログ記事を前回同様、以下に掲載させてもらうことにする。
防衛の名のもとに ~彼らは何故戦ったのか~ ウルトラセブン考
正当防衛という概念が存ります。
人間にとって何より大切なもの。それは生命でしょう。
他者からの不当な攻撃を受けた際、自らを「衛る」ために戦うことはそんな自分のかけがえのない命を守ることに他なりません。
以前の記事にて「勧善懲悪」※1 の概念について言及しましたが、自らの大切なものを衛るという理は「攻撃」を正当化し、それは明確な「正義」を創り上げます。
僕の愛して止まないウルトラシリーズに、この「防衛」をテーマとした作品が存在します。
シリーズ三作目にしておそらく最も人気のある※2 ウルトラセブンです。
世代でもなく、特撮に興味のない方で、稀に「ウルトラマンセブン」と言うのを見掛けますが、正しくは「ウルトラセブン」です。
何故、「ウルトラマン」なのに「マン」が付かないのか
それは、あくまで「ウルトラ」シリーズであって「ウルトラマン」ではないからです。
そもそも皆さんよくご存じの「ウルトラマン」も「ウルトラシリーズ」※3の第二弾つまり二作目に過ぎないのです。
ちなみにシリーズ第一作目である「ウルトラQ」※4 に至っては、ウルトラマンのような変身ヒーローすら存在しません。
要する円谷プロが制作した「ウルトラ」というシリーズの一作品だということなのです。
ですからそこに設定上のつながりはないのです。
科特隊アラシ隊員とウルトラ警備隊のフルハシ隊員がどうしても一緒に見えるのは気のせいなのです。きっと ※5
ところで、ここまでの話を受けて、「それじゃあウルトラマンタロウはウルトラタロウ??」「ウルトラマンレオってホントはじゃあウルトラレオだったの?」などと、疑問が疑問を呼んでしまっている方の為にもう少しだけ
ご存じの方も多いでしょうが、ウルトラシリーズには兄弟設定が存在します。
これはシリーズ5作目である「ウルトラマンA」で初めて登場した概念で、過去作品のヒーローである初代ウルトラマン、セブン、帰ってきたウルトラマンに加え、ウルトラマンの上司だったゾフィを長兄としたウルトラ5兄弟です。
兄弟といっても、実の兄弟ではなく戦場で助け合う仲間、所謂「義兄弟の契り」を交わしたといった感じです。三国志ですねぇ
この「ウルトラマンA」ではそんな兄貴分たちが駆けつけてきてピンチを乗り切るエピソードが多々あり、※6 こうして過去のシリーズが繋がったために「ウルトラマン」の名がその後の続編に使用されるようになっていったわけです。
ですから、放映時、未だそんな設定が存在していなかったセブンはヒーローとして「ウルトラマン」を冠していないわけです。
この兄弟設定にまつわるお話は、きっと皆さんにとって、まだ興味深い内容を含んでいるのですが、それはまたの機会にしましょう。 脱線しすぎたのでここで閑話休題。
地球は狙われている
ウルトラセブン第一話「姿なき挑戦者」こんな不吉なナレーションで幕を開けます。
前作であるウルトラマンの世界観が「漠然とした近未来」意識したものだったのに対して、セブンの世界は「約20年後の近未来」を意識して描かれているのです。
この「近未来の世界」では、なんと地球は宇宙の「星間戦争」に巻き込まれている
というのです。つまり宇宙の星々に住まう未知の生命体(宇宙人)が、我々の住むこの
地球を「侵略」しようとしている そんな時代 冒頭のナレーションはそれを視聴者にダイレクトに訴えかけています。
ところで、セブン初回放映されたのは1967年(昭和42年)の事、それから20年後といえば1987年(昭和62年) 時代はバブル経済最中、地球人口が50億を突破、※7 ニュートリノが初めて観測され、国鉄は解散、ゴルバチョフ書記長が初来日し、BOΦWYが突然の解散※8 と、現実世界は星間戦争などとは程遠かったのはご愛嬌。
あくまでフィクションですから、そうScience Fiction なのだから
さて、この宇宙人の侵略から地球を護るというのは、つまり我々自身の命、生活を護ること、つまりはこの地球防衛のための戦いは理ある「正義の戦い」なのです。
セブンに登場する「怪獣」は基本的には、そんな「侵略を目的としてやってきた宇宙人」の「尖兵」に過ぎません。あくまで宇宙人が連れてくる用心棒なのです。
地球に最初から眠っていた「生物」ではないのです。我々人類が原因で暴れだしたのではないのです。
ですから、ウルトラマンで、懸念された「敵意が明確でないものを一方的に懲らしめる正義」という問題はクリアできているわけで このことも、セブンが未だに評価されている一因でしょう。
劇中で、侵略者たる宇宙人たち立ち向かうのは我らがウルトラ警備隊。ウルトラマンの科特隊があくまで超常現象を調査する「チーム」だったのに対してこちらは地球防衛軍という、なんと地球規模の「組織」からなる本格的な防衛部隊 その中から選ばれた選りすぐりの「エリート」※9 たちなのです。。
宇宙人相手なので当然といえばそうですが、ともかくこのセブンではしっかりと「自分たちの星は自分たちの手で護る」という強いメッセージ性がありありと伝わってくるのです。
実際劇中ではウルトラ警備隊の様々な兵器が登場し、それらで宇宙人を撃退したりと、なかなかに成果をあげています。しかしそれでも広い宇宙からの果てしない、ときには人知を遥かに超えた宇宙人の侵略を前に成す術もない
そんなときにセブンが戦うのです。ウルトラ警備隊の「七番目の隊員として」
セブンは宇宙人です。オープニング曲(主題歌っていうほうがしっくりきますかね)で
モロボシ・ダンの名を借りて♪
と歌われていますが、モロボシ・ダンとはセブン自身が即興?※10 で名乗った名前であり、実際は薩摩次郎という青年の姿を借りているのです。
恒点観測員として地球に調査にやってきたセブンが偶然見かけたのは、仲間の命を救う為、自らの命を犠牲にしようとする青年(薩摩)の姿でした。その姿に感動したセブンが、地球で活動するための仮の姿として彼を選んだのです。つまり、その「薩摩次郎」の「姿」を拝借しているわけです。
つまり、セブン=モロボシ・ダンは地球人ではなく、彼がこの地球で宇宙人の侵略から地球を護るのは、それが観測員としての役目であったからなのですが、そのことを考えさせられるエピソードもあったり、最終的には「義務」だけではない心境に変遷していく描写が、それこそ散りばめられたピースのように埋もれているのも、奥深いところです。
とくに最終回である「史上最大の侵略」が今なお、特撮番組の枠を超えて名エピソードと云われるのは、このダンの心の変遷を描いたことが大きく影響しているのではないかなと、僕は思っています。
さてさて、そんなセブンの中で特に僕が気に入っているエピソードがいくつかあります。
そのひとつ「ひとりぼっちの地球人」
ウルトラ警備隊のソガ隊員の婚約者が在籍する大学の教授が開発し、打ち上げた観測衛星が、地球の科学力を遥かに超えたも物だったため、不審に思った防衛軍司令部は、ソガを調査に向かわせます。婚約者の協力もあり、教授の助手である男から「教授が宇宙人だと気付いていた」という証言を得ます。
男は教授が宇宙人であると知りながらも、それまで誰にも相手にされなかった自らが考案した「伝送装置」(まぁワープ装置?)を完成させてくれた教授に感謝していたため、なかなか証言できなかったといいます。
しかし、時既に遅く、正体を現したプロテ星人の侵略が始まってしまいます。
事情を知ったダンはセブンに変身し、星人と戦いますが全く歯が立ちません。
それはプロテ星人が自らを投影したホログラムだったのです。
「身代わり」がセブンを引き付けているうちに、例の「伝送装置」で逃走を謀ろうとするプロテ星人。
そこに助手の男がやってきてそれを阻止します。伝送装置は一度に2人は送れずオーバーヒートし爆発することを知っていたのです。
かくして助手の命と引き換えにプロテ星人の野望は打ち砕かれたのでした。
といったお話なのですが
この助手が、教授に心酔したのは、今まで誰にも、つまり「地球人」からは相手にされなかった自分(の研究)を、認め受け入れてくれた唯一の存在だったからに他なりません。
そんな信じていた教授の裏切りが彼を奮起させたともいえますが、ここで僕が一番感じたのは、どんな目にあってもやはり地球人は地球人なんだということ
例え相手にされなくても、同じ地球に生きている「地球人」を護るために彼は自らの生命を犠牲にしたわけです。
これは、僕が今回掲げた「防衛」と矛盾します。
一番大切な「自分の命」を犠牲にしているからです。
そこまでして「何か」を護りたいというのは、そこに特別な感情がなければ成しえないと思うのです。当たり前ですね
この場合、護りたいのは「地球であり、そこに住まう地球人」でした。
それがこうして、違和感なく感情論として描けたのは、このウルトラセブンという作品の世界観があったからこそだと思うのです。
この世界では「宇宙人」は結局 人類の敵 なのです。
地球人はあくまで、「地球を護らなければならないのです。」
それはもう刷り込みかもしれません 洗脳かもしれません しかし、生きているということは常に何かに影響を受けていることだとも思うのです。
宇宙時代に突入しても、結局 そうした人間の本質は変わらないんだろう
そんなことを考えさせられるエピソードでしたので 紹介させてもらいました。
まあ皆さんがどう思われるかはまた別の話ですが、、あくまで僕の感想でした。
さて、ちょっと異色のエピソードの紹介になりましたが他にも名エピソード満載
日本特撮の金字塔をこの機に堪能してみては如何でしょうか
今回は防衛という観点からウルトラセブンを語ってみました。では次回
※1 過去記事 僕たちは灰色の社会を生きている を参照
※2 実際にセブンフリークの大人って多いですよね 主観かな・・
※3 厳密には「円谷プロの」TBS版ではその他作品も含むため考え方が変わってくる
※4 特撮版 世にも奇妙な~ と呼ばれることも カラーTV時代に白黒なのは、敢え てという妙
※5 前作ウルトラマンの科特隊アラシ隊員とセブンでのウルトラ警備隊フルハシ隊員は共に毒蝮三太夫氏が演じているのは有名な話。尚、当時のクレジットは石井伊吉
※6 そりゃもう第1話からして「輝け!ウルトラ五兄弟」ですから
※7 同年のブルーハーツの楽曲ハンマー(48億のブルース)では、タイトルどおり
「48億の個人的な憂鬱」と歌われているので、今回気になって調べたら 「ひとにやさしく」(ハンマーはこのB面)が二月発売
地球人口が50億を超えたのが7月でした。 解決('◇')
※8 これ勘違いしている人も多いけれど「解散」はこの年つまり1987のクリスマスイブで、LASTGIGUS(東京ドーム2DAYS)は翌年4月 つまり解散後のファンサービスってことで
※9 しかし、たったの6人 しかも爆弾恐怖症(アマギ)やら、宇宙人のダンを採用するとか・・中々に謎な地球防衛軍
※10 第一話でソガ、フルハシに名前を尋ねられ、どうも即興で閃いたかのような描写
ちなみに漢字だと 諸星弾だとか(あくまで設定。劇中はカタカナ表記)
以上が、筆者のはてなブログ記載の内容である。尚、カクヨム収録にあたり修正等加えている部分もあるのでご了承を頂きたい。
前回と被るのだが、もし他記事に興味を持たれた方はhttps://www.livingdaylights.work/ こちらから筆者ブログをご覧いただけたらと思う。但し雑記ブログのため特撮だけではないのでご注意
さてさて、如何だっただろうか。このように、ウルトラセブンという作品では、勧善懲悪という概念から、さらに一歩踏み出した重厚なテーマを打ち出していたのである。
これが後に本作が、大人の鑑賞に堪えうるウルトラシリーズの代名詞として挙げられる要因になったことは間違いないだろう。
さて、そんな『ウルトラセブン』を最後に一旦、ウルトラシリーズは幕を下ろす。
しかし、それは決して氷河期へ突入したわけではなく、むしろ結果的にではあるが、新章への序章に過ぎなかったのである。
次回は遂に、筆者が一番綴りたかった 第2次怪獣ブームについて、その雄である
『帰ってきたウルトラマン』について余すところなく語っていく。
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