第4話 愉しみ方は自分流儀

 筆者がこの特撮という世界 とくにウルトラシリーズに興味を持った時代、つまり1980年代というのは特撮業界にとって氷河期と呼ばれるような過酷な時代であったが、それと同時に大人たちが特撮の魅力を再発見し始めた時代でもあったことは前回お話しした。

 このような流れもあってなのか定かではないが、当時、TVの深夜枠にてウルトラシリーズの再放送が頻繁に行われていた時期があった。(地方によるかもしれないが) 筆者が就学前の1988年頃だったと記憶している。

 こんな時間に子供が視聴することはTV局だって想定などしている筈もない。従って、必然的に対象はそうした特撮に新たな魅力を見出した、もしくは見出したい大人たちだったのだろうと推察するのは強ち間違ってはいないとは思う。

 無論、当時は仮にそんな事情があったにせよ、知る由もなくただ新聞のTV番組欄を観ては狂気乱舞していたものだった。深夜でも何でも良い ブラウン管でウルトラマンが観れるというのはそれだけで幼い筆者をワクワクさせるには十分過ぎた出来事だったのだ。

 しかし、果たして毎回、実際に深夜まで起きて待ち構えて鑑賞していたといえば、そういうわけでもなかったのはご愛嬌といったところ。

 さすがに就学前の幼い筆者にとって午前1時や2時といった時間は、未開のゾーン ちょっと気の遠くなる世界だったわけで・・・

 ただ、これが、もし小学生だったら、頑張って起きていたかもしれない。

というのは、小学生くらいになると何故か「寝てない自慢」が流行ったりしていて、「俺、昨日徹夜したぜぇ すごいだろ」的などうも何か勘違いした言動がモテ?囃されるという何ともカオスな状況が存在したからである。 但しこれは、よくある 所謂、『小学生あるある』らしいので? 決して筆者の周囲だけの出来事ではなかったはずだと信じたいのだが果たして・・・

 

 さて話が、逸れてしまったが、では普段、主にどうやって鑑賞していたかというと、ズバリVHS録画して観てみたのであった。所謂ビデオである。

 話は変わり、筆者お得意の薀蓄うんちくになるのだが、家庭用ビデオが普及したのは、この80年代 その普及に影響を与えたのはAV、つまりアダルトビデオだったというのだから、こう人間の原動力と性というのは何とも切ってもきれないものがあるとこの薀蓄を思い起こす度に思うのである。

 そんなビデオという文明の利器はもちろん当時、我が家にもしっかりと普及しており、そのおかげで夜更かしのヒーローになることなく、しかも繰り返し鑑賞できたのだった。

 ときに、こういった回顧話を聞いても、ピンと来ない世代の方もいらっしゃるだろう。例えば、「ビデオあるのなら、レンタルでいいじゃん? わざわざ再放送に固執しなくても」等と、不思議そうな目でこの文章を眺めている貴方  

 レンタルビデオという文化が爆発的に普及したのは、1989年のこと。つまり平成元年、昭和天皇が逝去されて、新しい元号へ変わったこの年のまさにその時期、TVをはじめとしたメディアでは昭和という時代を振り返ったり、ご逝去に関わる番組ばかりで埋め尽くされた。ましてインターネットもない時代、こうもメディアが一色に染まれば、どこかに娯楽を求めるのがまた人間という生き物の性なのかもしれない。そして、この出来事が、レンタルビデオを借りて楽しむという習慣を引率したきっかけとなった・・・という見解もあるように この時期はまだまだレンタルビデオ文化は浸透しきってはいなかったのだ。(特に地方は)

 

               閑話休題

 

 このように映画につづき、深夜枠再放送で、昭和のウルトラシリーズを堪能していた筆者は、その時点でリアルタイム世代とは全く違った入り方、体験をしたことになるわけだが、それ故にリアルタイム世代には難しかったであろうことが自然に定着したのではないかと、今にして思うのだ。

 それが、自分なりに作品を愉しむということ 

 誤解なきように、リアルタイム世代であっても、もちろん自分なりに愉しめていた子供も多くいただろうし、別にこれはただの筆者の体験と偏見もあるかもしれないのであくまで参考程度に聞き流して欲しい。・・・と前置きした上で

 具体的にどういうことかというと、リアルタイム世代であれば、時はまさに怪獣特撮ブーム真っただ中 周りを見渡せば猫も杓子もウルトラマンという状況では、当然、皆に人気の物事に注目が集まり、それを追いかけること自体がステータスになっていくというのは至極当然 人は時にこれをミーハーと皮肉ったりするのであるが・・・ 例えば この怪獣がカッコいいと皆がいえば 自分もそれになんとなく同調してしまい、本当はウルトラシリーズを好きなのってそういう部分ではないんだと思っていてもなかなか言い出せないなんてこともあっただろう

 その意味で、周囲を気にせず自分の尺度や素直な感覚で作品に浸れたという点で

筆者のこの後発世代としての独りぼっちのウルトラ体験は、良くも悪くもリアルタイム世代とは異なっていたというわけである。

 さて、序幕はこれで一先ず閉じさせて頂くことにする。

 

 ときは特撮氷河期、周りは(大体)ウルトラどころか特撮に興味がない、そんな環境の中、孤独なウルトラ体験で筆者はこの昭和ウルトラ作品のどこに魅力を感じ、愉しさを見出していったのかについて 次回からは章を変えて綴っていこうと思う。


 


 

 

 

 

 

 

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