公爵家の馬丁リシャール(二)


 お坊ちゃまは私と一緒に今のところ朝も夜も鍛錬に励まれています。しょっちゅう文句はたらたらたれているものの、続いているのです。


「リシャール、半時も走り込むのが洗濯板とどう関係してくるの!」


「体の基盤を作るためです。その上持久力もつきます」


「酒を控えて食事制限しろってどういうこと!?」


「健全な肉体を作り上げるためです」


 私が休みの日にも屋敷の裏庭で一人せっせと鍛錬をしているお坊ちゃまの姿は、屋敷中の人間の涙を誘っていました。いえ、皆呆れ返っていたと言うのが正しいです。


「クロエェ、洗濯板ぁ……ハァハァ……」


 鍛錬中の彼に近付いてみるとそう繰り返し呟いているのです。




「こんな事続けてもいつまで経っても洗濯板にならないよぉー」


「そんなことはありませんよ。少しずつですが変化は見られます。そうですね、愛しい彼女にご褒美をおねだりしてみるのはどうでしょうか?」


「ご褒美……」


「腹筋が割れて洗濯板が現れたら希望のプレイをしてもらうという約束をするのはどうでしょう?」


 そこでしばらくの間がありました。プレイを想像して脳内煩悩の嵐だったのでしょう。


「……プレイどころかまだデートでさえも断られ続けているのに……」


 お坊ちゃまは黄昏たそがれた背中を見せ、走り込みに行ってしまわれました。


「は? さすがにもう付き合い始めたんじゃねぇのか? あのお坊ちゃまの誘いに乗らない女が存在するとは……恐るべしツンデレラ、クロエ嬢……」


 お坊ちゃまは約束通り報酬を下さいました。と言うよりもその月から私の給金が上がったのです。彼が鍛錬に飽きてしまったら私も用無しですからその時は減俸なのでしょうが臨時収入はありがたいものでした。




 そんなある日のことでした。他の馬丁や庭師達と休憩時間にうまや脇の休憩所で雑談をしていました。


 若い男だけですから、まあ男子トークというのに発展するのは自然な流れです。その時はオ〇ホの話で大層盛り上がっていました。と言うのも一人が大人の玩具専門店のチラシを持っていたからなのです。


「俺はやっぱり使うとしたらこういうタイプ、非貫通型〇ナホなんだよなぁ」


「使うとしたらってお前、使いまくっているの言い間違いじゃねぇのか?」


「うるせぇよ。お前新婚だからってやたら上から目線じゃん、嫌味な奴だなぁ」


「俺は断然、衛生面を考えるとその下に載っている使い捨てオナ〇だね。経済的に苦しい時は洗って何回も使えるタイプ。もっと苦しい時は右手だけ」


 そこで全員大爆笑していました。


「えっと、皆が休憩中に申し訳ない……」


 笑いが少し止んだところで私の後ろから聞こえて来た声に皆固まりました。お坊ちゃまでした。同僚たちは皆血の気が引いた顔をしています。私だって振り向きたくはありませんでしたが、覚悟を決めました。


「お坊ちゃま、大変失礼致しましたっ。遠乗りに出掛けられるのでしょうか? で、でしたら今馬を引いて参ります」


「いや、まあ、馬も必要なのだけれど、皆その〇ナホっていうのはどこで購入しているの? そのチラシは繁華街にある店のもの?」


 後ろで同僚の一人がお茶を吹き出した音が聞こえました。


「い、いえ……お、お坊ちゃまのお耳にお入れするようなお話では決して……お耳汚しで申し訳ありません」


 大体お坊ちゃまのような男性に群がる女性は掃いて捨てるほど居るでしょう。いくらあの鉄壁の守りのクロエ譲に相手にされなくても、オナ〇に頼るほど欲求不満が溜まっているとも思えません。それに金持ちは大枚をはたいて高級娼館へ行けばいいのです。


「飲み屋街や夜の街にはそう言った大人の玩具などを売る店が大抵ありますよ。商売柄、宅配を行っている所も多いです。このチラシもよろしかったらお持ちください」


 なんと同僚はお坊ちゃまにその十八禁チラシを差し出しているのです。お前公爵家の人間に何ちゅうもんを渡しているんだよ、と私は睨みをきかせましたが効果なしでした。


「色々貴重な情報ありがとう。これ、ありがたく頂くよ。今日のところはもう馬はいいや」


 お坊ちゃまは丁寧にそのチラシを折ってポケットに入れると、機嫌良さそうに母屋に戻って行かれました。


「いやぁ、お貴族様ってのはあんなピンクチラシを受け取る姿もさまになるもんだなぁ……『これ、ありがたく頂くよ』だってさ」


「なんだか几帳面に折りたたんでたぞ」


「俺、ノーコメントで。あのビラをお坊ちゃまに渡したのが俺等だとバレたらうちの親父や執事に大目玉だぜきっと……」




 その後お坊ちゃまは実際〇ナホや大人の玩具をお求めになられたのかどうか、怖くて聞けませんでした。


 それでも鍛錬の際にリシャールにはいつもお世話になっているから、と言われることが何度かあったので、あのチラシが大いに役に立ったのだろうと勝手に想像していました。




 さて、年の瀬も近づいたある冬の夜のことでした。ガブリエルお嬢様とうちの父も巻き込まれるクロエ様誘拐事件が起こったのです。その日、父はクロエ号でガブリエルお嬢様を迎えに行きました。


 そう言えば父の帰りが今夜は遅いなと思い始めた時、私は執事に呼ばれました。


「お坊ちゃまに馬車をお出しして、ああ、クロエ号は出払っているからもう一台の方だ。今すぐ、急いでほしい」


 何事かと思いました。父が居ない時には私が御者を務めるのですが、これはただ事ではないと執事の表情から理解出来ました。私が馬車を正面玄関に回すよりも先にお坊ちゃまが男の子の手を引いてうまやの前に来られました。


 美しい銀髪のこの少年はザカリー・ルソー様と言い、私も何度かガブリエルお嬢様と一緒のところを見たことがありました。彼女と同じく偉大な魔術師だと聞いています。


 普段はガブリエル様の方がザカリー様を訪ねていて、彼がこの屋敷に来ることはまずありません。しかも、まだ幼い彼がこの時間にいらしているということは益々ただ事ではありません。しかもガブリエル様は不在なのです。


「リシャール、緊急事態だ。姉とクロエ、それにマルタンが帰宅していない。とりあえず港の方へ向かってくれ、急いで!」


 二人はさっさと馬車に乗り込み、お坊ちゃまがザカリー様に話し掛けているのが聞こえました。


「ザカリー、港に近付いたら御者のお兄さんに詳しい場所を教えられるよね?」


「うん」


 私は馬をかしました。ラシーヌ川沿いに走り、港の時計台が見えてきたところでザカリー様が私の隣に座りました。


「しっかり掴まっていて下さい。急いでいるため、揺れますから」


「はい、お兄さん。時計台まではまっすぐ行ってください」


「かしこまりました」


「時計台の向こうの大きなたてものの方なのだけど……」


 似たような倉庫が建ち並んでいます。


「こちらがわではなくて、もう一つおくの通りに入ってください。あ、分かった、あのたてものだ」


 魔術師とやらの能力には舌を巻きました。角を曲がった先にクロエ号が見えたのです。路上に止められていました。


「お坊ちゃま、この先にクロエ号を発見しました。このまま馬車で参りましょうか? それとも徒歩で音を立てないように近付いた方がよろしいでしょうか?」


「ああ、あそこか。君の言う通りだ。僕達は降りて行く」


 お坊ちゃまはザカリー様も御者台から降ろしました。ザカリー様はそこで空を見上げて手を振り上げて手招きの仕草をされています。何かと思ったら頭上に何十羽もの鳥が飛んでいるではありませんか。


 夜中ですから蝙蝠こうもりふくろうの類と思われます。この鳥たちも魔法で呼んだのでしょう。


「警護団にも通報したからすぐに駆けつけてくれると思う。リシャール、君は時計台まで戻って彼らをここまで案内してくれ」


「分かりました。お気を付けて」


 お坊ちゃまはザカリー様と手を繋いでそっと駆けていかれました。その後に鳥の大群も続いていました。




(三)に続く




***ひとこと***

さて、フランソワ君との男同士の裸の付き合い(注:全年齢対象可)も順調!?なリシャールさんでした。今度は同僚の皆さんと男子トーク中に思わぬ事態に……


それはそうと、クロエ誘拐事件ではフランソワ君とザカリーと共にリシャールさんも駆け付けたのですねー。

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