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 みちるは腰をかがめて、いつまでも走り出せるように、姿勢を変える。

 この幽霊の女の子がもし、本物の百目の鬼なのだとしたら、白藤の宮のそばには絶対に近づけるわけにはいかなった。

 ……たとえ、その代わりに私の命が犠牲になったとしても構わない。

 みちるは思う。

 みちるはじっと、百目の獣姫の姿を見つめる。

 見てはいけないと言われる鬼。

 その鬼と出会うと、その鬼の顔に、美しい姿に魅了されると、そのまま、あの世に連れて行かれてしまうとされている、怖い、怖い悪霊。鬼。

 でも、実際に会ってみると、その姿形に恐怖は感じない。

 むしろ、安心感のようなものさえ感じる。

 この幽霊の女の子について行きたいと思う。ずっと一緒にいたいと、そう思わせるような魅力が確かにこの鬼にはある。

 それは一番怖い、この鬼の力、なのだろうか?

 みちるは視線を百目の獣姫に向けたまま、心の中で自分の背後でぐっすりと安心して眠りについている白藤の宮のことを思う。

 白藤の宮。

 どうか私を守ってください。

 どうか私に、あなたの力を貸してください。

 みちるは思う。

 それからみちるは自分の愛刀である、白い刀を思い浮かべる。

 鬼を切るための刀。

 みちるの生まれた神社に伝わっている山々の神様が鍛えた神刀。その美しい白い刀は今、みちるのそばにはない。

(……だからこそ、こうして安心して、百目の鬼は私の前に姿を現したのかもしれない)

 雲が、少しの間、明るい満月の月の光を遮った。

 その瞬間、みちるは百目の獣姫に向かって、思いっきり、畳をけって、(音もなく)まるで森に住む獣のように、走り出した。

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