死人は夜目覚める
彼はある夜、墓場で目覚めた。生前の記憶はまるでなかった。目覚めてはじめに感じられたのは、ひどい腐臭。ところがそれが不快ではなった。彼は男だった。そう、まぎれもなく男だった。しかしあくまで「だった」のだ。今や彼は男ではない。今彼は単なる死人、あるいは人ですらなく、単なる死体というべきなのかもしれない。彼は墓場を飛び出した。死人とは思えないほど敏捷な動きと言いたくなるのは、生きている側の偏見である。まさに死人らしく敏捷だったのだ。
そう、彼はいかにも死人らしかった。死人らしく歩き、むしろ練り歩き、死人らしく地を這っては、死人らしく跳躍し、死人らしく壁をよじ登り、死人らしく電柱のてっぺんに立ち上がる。死人らしく辺りを睥睨し、死人らしく月夜に瞳を輝かせ、死人らしい容赦のなさで、死人らしく獲物を狙う。死人らしく他人の家に侵入しては、そこで鉢合わせた間抜けな生者の喉笛に食らいつく。死人らしく喉の肉を噛み切って、生者らしい情けない悲鳴にもならない息もれの音を、死人らしい満足で堪能する。顔にかかる血しぶきも、そのどろりと熱い感触も、実に死人にとっては堪えられない喜びだった。やがて生者は息絶える。床に伸びて、ゴキブリのように手足を動かすものの、すでにその時、意識は殆ど途絶えている。そこに訪れるとどめの一撃を、死人と言えども目にすることはかなわない。だがそのような神の領域が一瞬目の前を横切ることに、死人はこの上ない幸せを感じている。
なぜ、死人は死の瞬間を喜ぶのだろう。そのような残虐性を、誰もが生きている間に備えているわけではない。むしろ誰も持たないと書きたいところだが、世界がそのように画一的になることはあり得ないので、結局誰かが持ってはいる。しかし我々の多くは、生きている間に、そのような残虐性に満足を覚えることはない。むしろ自分の内にそのような残虐性が芽生えることすら耐え難いと思っているはずだ。どうか、そうであって欲しい。そうでない人の目にこの文章が留まり、そうでないのだということを全力で抗議しに来るようなことがあっても、対応しかねる。ともかく死の瞬間を喜ぶということは、生者にとっては決して一般的ではない(あなたのことを言っているのではない、念のため)。ところが死者にとっては、それは普遍的な喜びであり、そうでないという例外は、生者の側の例外よりも、もっと数が少ない。
なぜ、それは、生と死とというものが互いに排他的であるからだ。同じコインの表と裏。あるいは一つの惑星に輝く月と太陽。どちらかになることはどちらかにはなれないということで、両方になることはできない。このことから、この世についての一つの暗鬱たる見解が導き出される。空間と時間というのも、二つのものが同じ位置を占めることができない一点を持つ。その一点において、生と死は互いにその領域を奪い合う敵同士なのだ。あなたが生きているのなら、それだけで死者が占め得る場所を一つ占有していることになる。だからあなたが生きていれば、それだけで死者にとっての敵となり得るのだ。いや、なり得るどころではない。あなたが生きているというだけで、死者にとっては敵に他ならないのである。
そしてこれはその逆もまた成り立つのだ。あなたが死者であれば、生者にとっては敵である。こうして世界は果てしのない闘争の場所としての性質を、我々の眼前に表すのだ。残念ながらもはや、死もその出口にはなり得ない。死がその性質を変えたのはいつからだったのだろう。いかなる悪戯が彼らに彷徨い歩く体を蘇らせたのだろうか。死が不在を意味しなくなった時、世界の闘争的本質はその残虐性を極めていく他なくなった。いや、その中で絶対的不在というのは存在し続けていたのではある。だが何者もそれを顧みることはなかった。死者は死者の如く死を追い求め、生者はというとこれまたより完全な死を与えようと躍起になり始めたのだった。
これが世界の滅亡の第一段階である。
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