まさに「人生の一片」と呼べるような風情ある作品だなと思いまして──。
どうしても比喩表現に目を奪われがちなのですが、特筆すべきは「この"一片"より前にあった物語」を匂わせる文章の数々ではないかと。「オーディオはとっくに切ってしまった。音楽の代わりにビビッドな景色が私の頭に飛び込んでくる」どうしてオーディオを切ってしまったのだろう。見慣れているはずの景色は何故ビビットに映るのだろう。決して知り得ることのない"余白"に繋がる細片が、読み手の想像力を掻き立ててくれます。
ただ、「おや?」と違和を覚えた部分もありまして、それが「昔何かの工場だったらしい小さなトタンの建物が、葛の葉にすっかり覆われて朽ち果てていた」から以下に続く風景描写なのですが──。
件のシーン、まるで静止画なのですよ。"私"はアクセルを踏んでいるのですから、クレヨン画のように鮮やかなトマトやきゅうりやなすだって、入道雲のようなヤマブドウだって、あっという間に視界から消え失せてしまうはずなのに。あまつさえ自動販売機には、未だ訪れぬ夜を幻視してさえいる。
そこまで読んでふと、本当に何かから逃避しているかのような文脈だと思いまして──。
「行けるところまで架空に行き」から続く一文が、胸に刺さってくるのです。煙草を吹かす真似事をして、髪だってらしくない色に染めてしまって、壊せるだけ私を壊してしまえたら──。飛び込んでくる情景とは、こういうものかもしれない。
価値観を押し付ける気はさらさらないのだけれど、なんとなく雨に打たれたい気分ってあるじゃないですか? そういうとき、手に取りたい作品だなと思いました。だからこれは、誰しもに訪れる人生の一片。