第二話 瑞美との、記憶
瑞美とは高校からの付き合いで、当時はそんなに交流がなかった。
というのも、私の通っていた女子校は小学校から始まるエスカレーター方式で、中学校、高校で外部入学者が入ってくるシステムだ。
このシステムだと、それぞれのタイミングで、内部進学、外部進学でグループを作ってしまいがちになる。私達の代もそうだった。
瑞美は高校からの外部進学組で、グループが違い、部活も重ならなかった。
偶然にも三年間同じクラスではあったが、たまに日直で一緒になるくらいの関係に過ぎなかった。
私は身長が比較的高い方で、彼女は先頭から数えた方が早い、という感じであったので、体育の時も近くになりおしゃべりすることもすらなかった。
コミュニケーションアプリでは基本的にクラス全員が登録しあっているため、連絡先としてはあったのだけど、話題があるわけでもなく。
だが、高校時代にひとつだけ、記憶に鮮明に残る接点があった。
それは、高二の秋のことだった。
*
瑞美が体調不良で数日欠席し、当時学級委員であった私が担任の代わりにプリントなど一式を渡しに行くことになった。
住所も私の家にほどなく近い場所だったこともあり懇願された私は、さして断る理由もなかったため、彼女の家に訪問することとなった。
瑞美の家は一見して分かるほどの、立派な高級マンションであった。
渡されたメモには部屋番号は403と書かれている。
インターホンで呼び出し、中から開けてもらうシステムのため、コンソールで部屋番号を押し、数秒を待つ。
すると、妙にくぐもった音と共に、はい、と短い応答がある。
「その、——高校の水谷です。木下瑞美さんにプリントをお渡ししたいのですが……」
ほう、……ふむ。「キノシタミズミ」の。お待ちください、開けます。
更に数秒。そしてエントランスのガラス扉が左右に開閉する。
その時の私は緊張していたのか、まだ暑い時期だったのに、じっとりと手汗をかき、首筋が妙に冷える何とも言えない寒気を感じ続けていた。
*
快方に向かっていたのだろうか、玄関では瑞美本人が出迎えてくれた。
明らかに丈余りの、サイズが合っていない寝間着を着ている彼女は、普段教室で見る姿とはまるで違う。
小柄さがより一層強調され、病み上がりの弱々しさも相まって、保護欲と、それとは趣の違う情動が湧き上がる。
首筋や胸元のやけに白い肌が露出し、熱のせいか少し汗ばんだその部分を私は何度もちらりと見ていた。
それが私との彼女との関係の始まりであり、彼女を意識した最初だったと思う。
瑞美の部屋に入った私は、持参したアイスやプリンなどを瑞美と食べながら、この時初めて彼女と「会話」をした。
私は会話が思いつかなかったので、学校のことやクラスメイトのこと、そして流行りのお店のことを話した。
瑞美はというと、学校で普段見せる姿とは違い、少し難しい内容を眠たそうな声で話し、
彼女はベッドの中で、私はその横にある椅子に座って。時間をあっという間に過ぎていった。
そういえば、思い出した。その時、一冊の本を貸してもらったんだった。
茶色い装丁で、タイトルがない、ハードカバーの洋書。中身はもう覚えてないけれど、気が付いたら朝になるまで読みふけってしまうほどの内容だった、はずだ。
今どこにあるのか。実家にあるか、本棚の中にしまい込んでいるかもしれない。
*
その後、高三になり、私と彼女は同じ都内の大学に進学することとなった。
受験会場でばったり会い、その後、登校日にお互い合格したことを話したのだった。
おそらくだが、それがなければ「再会」はずっと後になっていたような気がする。
その頃の私は、中学から付き合っていた彼女が居た。
一応ミッション系の学校でもあったので、カタチの上では秘められた関係だった。
それゆえに校舎裏での密な時間はとても背徳的で、神に対する
だが、そんな彼女とも大学進学後、ほどなくして別れた。
大学の先輩の「オトコ」が出来たからだった。
あっさりと奈落の底に突き落とされた私は、意気消沈し、悩んでいた。
周りと同じように「健全」な男女交際をすべきではないか、と。
もしかしたら男に免疫がないだけで、実は上手く行くのではないかと、合コンに参加してみたりもしたのだが、結果は散々だった。
髪を色とりどりに染め、軽い感じで話しかけ、隙あらば身体を触り、覚えかけなのか不慣れな手つきでタバコを吸う男達の姿は、嫌悪感をさらに増大させる結果となった。
「あ、祥子ちゃんだ」
学食で、瑞美に出会った。
彼女は仲良さそうな友達数名と一緒に来ていた。
髪こそ染めてなかったものの、高校の頃から随分と雰囲気が変わっており、女子らしく毛先を巻き、メイクもしっかりをしていて、とても可愛らしかった。
その場は、彼女のグループに加わるような形で食事をし、そのままそれぞれの授業のためお別れしたのだが、それを機に少しずつ瑞美とのやり取りは増えていった。
高校の頃の、あの日のことは記憶にないようだった。
それはとても残念だったけれども、瑞美とやり取りすることは、空虚だった私の大学生活に彩りを与えた。
普段はふわっとした何気ない日常トークが多いのだが、たまに向こうからかかってきた時に限って出る妙に深い話題が、あのお見舞いの時と同じで、その魅力に段々と惹かれていった。
大学二回生になり、良い関係の中にあった私達は、瑞美の部屋で大学のシラバスを見ながらあれこれと話をしていた。
せっかくなので、同じ講義を取っていこう、ということになったのだ。
それぞれ得意とする分野が違ったが、だからこそ補うことでより楽に大学ライフを突破しようという試みであった。
実際のところ、効率も学びの深さも上がるわけで、持つべきものは友である、とはよく言ったものである。
その頃から、瑞美の借りているワンルームへ遊びに行くことが多くなった。
私は実家から出してもらえず、一時間ほどかけて大学に通っていた。
一方、瑞美の親は割と寛容なようで、大学近くの一室を用意したのだ。
講義の取り方によって妙に時間が空いてしまうこともあり、瑞美の部屋での生活は日常の一部と化していた。
ただ、恋愛感情を持つことについては
私にとって瑞美はあくまで仲の良い友人で、友達で、親友だった。
それ以上の一歩を踏み出すのは怖かった。この世の中に依然として受け入れられにくい性的指向をむき出しにした瞬間、関係を断ち切られるのではないかという不安がどうしても拭えなかったからだ。
高校くらいまでは特殊な箱庭の中に居たせいか、イケナイことだとは分かっていて、それを愉しんでいた。
けれど、こうして共学の大学に行くと、それが決して正常な世界ではなかったことに気づく。
それどころか、不寛容さで息苦しい世界だったのだ。
先日も自らの性的指向をコミュニケーションアプリのグループに
そんなわけで、何かを押し殺し、飼い殺しにする生活が続いていた日々の中で、唐突に。
転機が、訪れた。
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