第五話 零れ落ちる、日常
あれから数日経過し、私は都内にあるオフィスで普段通り仕事をこなしている。
目の前のモニターに並ぶ数値と文字列のチェックが終われば、次は会議資料の作成だ。
仕事は好きだ。
特に今みたいなプライベートが悲惨な状況だと、仕事に忙殺されることで一時的にその辛さを忘れられる。
ともすればそれは、現実から目を逸らしている逃げのようなものなのかもしれない。でも、今の私にはその時間が必要だった。
ただ、一つだけ問題があった。
視線を、感じるのだ。
最初は同僚か上司からのものかと思っていたのだが、それとは明らかに違う位置、例えば四隅の床や天井から後頭部へと突き刺すような強いものを感じる。
当然のことながら、振り向いても誰もいない。
しかも移動中もそれは続き、瑞美との一件でやはり参っているのかな、とため息を零した。
「水谷さん、ちょっといいかね」
そんなことを考えながら作業をしていると、上司である室長の声が上から響く。
はい、と見上げると、そこには。
頭部が全面吸盤になった、軟体生物を何重にも貼り付けたようなスーツ姿のオブジェが立っていた。
ひっ。
息が止まる。
だが、声の主は老若男女が同時発声したような複雑奇怪な声で「すまん、この資料なんだが」と先日作成した書類を見せる。
吸盤の
室長だと思しきソレは、無数の吸盤をせわしなく動かしながら話を続ける。
側頭部と頭頂部には長細い触手が不規則に収縮しており、不気味な粘液を垂れ流すため、段々と生臭さまで感じられるようになる。
吐きそうになるのを必死にこらえて、醜い異音と異臭を頭の中で修正しようとしたのだが、途中で耐えられなくなった私は「すいません、ちょっとお腹の調子が……」と嘘をついて、端末片手にその場を逃げるように離れ、そのままトイレに駆け込んだ。
何が起きてるの。
おかしくなったとしか思えない。
目の前に映る私は私のままだ。
肩まで伸びた髪をヘアクリップで束ねているが、もうそろそろ切りたいと思っている私。
うっすらと出来たクマをメイクで隠してる私、人間だ。
ちょうど別の部署の女性が入ってくる。
鏡に映るその姿も、どこをどう見ても普通のOLだ。
トイレから出て、
と、そこへ、着信の音が頭に響く。恐る恐る暗いディスプレイを確認すると、アトウからだった。
「もしもし、アトウちゃん?」
「あ、おねえちゃんこんにちは……、お仕事中にごめんなさい」
「ううん、大丈夫、大丈夫だよ。ちょうど休憩してたから、大丈夫」
脳内に響くアトウの声は、いま感じている底知れぬ恐怖を一掃するほどの心地よさがある。
「それで、土曜日の遊園地のことだけど」
「あ、うん。どうかな?」
「大丈夫、一緒に遊べるよ」
「本当?!」
思わず大きな声を出す。それくらい、嬉しかった。
もし、室長が今後ずっとあの醜い異形のままだったとしても、何とか普通に接することが出来ると確信するほどに。
自分でも制御出来ない程に高揚し、アトウとの短い
心配そうに出迎えた室長は、側頭部の髪をかき集め頭頂部の薄さを必死に隠している、いつも通りの人の良さそうな
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