第176話 攻防一体

 武術や格闘技に於(お)いて、経験者と素人の差はなんだろうか? 俺は『防御ディフェンス』だと思う。


 防御とは、単純に相手の攻撃を防ぐだけじゃない。相手にダメージを与える攻撃の影には、直前の防御が関わっている場合が多いからだ。


 ギリギリで攻撃をかわせれば、それだけ相手に近い位置で反撃ができる。


 近い位置で反撃ができるということは、相手に攻撃が届く時間が短くなるということだ。相手が防御の準備を整える前に攻撃をすることができる。


 また、反撃のための『攻撃的な防御』も存在する。


 受け流すと聞くと、相手の攻撃をいなすイメージになりがちだ。しかし、相手のバランスを崩すために力の方向をコントロールする受け流しもあるのだ。


 バランスが崩れた状態では、人はその力を十全に発揮できない。優れた受け流しは相手を無防備な状態にすることができる。


 攻撃をかわして、有利なポジショニングをする。これもまた、攻撃につながる防御だ。


 相手との距離や角度によって、相手が反撃できないポジションを取ればやりたい放題。反撃を警戒しないで済むため、全力で攻撃ができる。


 戦いは常に攻防一体。攻撃は防御に、防御は攻撃につながる。



 技量の優れた相手と対峙したとき『隙がない』ことにプレッシャーを感じるのは、どこを攻撃しても当たらないという感覚だけではなく、優れた防御からの反撃を容易に想像できてしまうからだ。


 目の前に対峙しているベンからは、そういった危険が感じ取られた。


 ベンは鍛冶職人だ。優れた剣を作り出すためには、剣術を知っていた方がいい。探究心の塊のような男であるベンが、剣術を修めていないとは思えなかった。


 しかし、これほどの技量だとは……。


 

 ベンが高レベルなのは想定していた。これだけの工房を弟子や下働きの人間を雇わず回しているのだ。それだけの作業量を一人でこなせるということは、常人の数倍は働けるということ。


 ベンの地位から考えて、パワーレベリングは容易。


 二十五レベル。下手をすれば三十レベルに到達しているかもしれない。おそらくエマさんも同じようなレベルだろう。


 意気投合したとはいえ、初対面の俺を家に泊めてくれたのは『簡単に対処できる』と理解していたからだ。


 その気になればいつでも『殺せる』。だから、女性のエマさんがいるにも関わらず俺を家に泊めてくれたのだ。



海牛セレニアの革は頑丈だから、鉄の剣ぐらいじゃ傷ひとつ付かない。内側の革がある程度衝撃も吸収してくれる。それでも、剣を真正面から受け止めると骨が折れるかもしれない。だから、角度を付けて滑らすように受けてくれるかい? それと、突きだと貫通する可能性もある。一番警戒するのは突きだね」


 俺がビビっているのを知ってか知らずか、ベンはいつも通りの口調で話しかけてきた。


 余裕のあるベンとはちがい、俺は緊張から口が渇いて声が出なかった。なんとかコクリとうなずいて返事をする。


 今までも、自分より高レベルのモンスターや人間と戦ったことはある。


 しかし、ここまで『武』の匂いを濃く感じさせる相手は異世界こっちのせかいでは初めてだ。


 普段のどこかヌケた印象とは大違い。握手したときに感じた手の皮の厚さは、鍛冶だけではなく、剣を振ることで分厚くなったのだと理解した。




 間合いは剣を持っているベンが圧倒的に有利。対人技術も持ち合わせているとなると、こちらから仕掛けるのは難しい。


 カウンターを狙うしかねぇ。


 俺は覚悟を決めると、小刻みに体を動かし攻撃を誘う。


 重心を残したまま数ミリ体を前に出し間合いをごまかし、小刻みに体を揺すって視線を誘導。微妙に対峙する角度を変えて直線距離をごまかす。


 前手、筋肉、踏み込みで細かくフェイントを重ねながら少しずつ距離を詰める。


 相手の視線や呼吸を読み、相手のリズムを崩すようにフェイントで相手の動きを阻害する。


 自分のペースで動けるよう細部まで気を張り巡らせ意識を集中。


 ベンの間合いに入っては外れ、入っては外れを少しずつ繰り返す。そのたび、角度や体の位置を変えながら、少しずつ深く間合いを削っていく。


 数ミリが積み重なり、数センチに。その分、間合いの近い俺は有利になる。


 深く入りすぎて回避できなくならないよう、細心の注意を払いつつ『間』を制していく。


 最初に動くのは後ろ足。人間は地面を蹴ることで推進力を得ている。動き出すのは必ず後ろ足からだ。


 次に警戒すべきは腕。武器は腕の延長線にあるもの。手元を見れば武器の動きが分かる。


 注視すれば視野が狭まる。全体をぼんやり見つつ、意識を足と腕に少しだけ向けておく。


 俺が色々と細かい技術を使ってなんとかベンとの差を縮めようと必死だが、ベンは正眼に構えたまま微動だにしない。


 だが、俺のフェイントに一瞬だけ意識が反応している。漫然と突っ立っている訳ではなく、どっしりと構えて隙を見せないのだ。


 格上にどっしり構えられるほど厄介なことはない。


 ゴリゴリと精神力が削られ、ほんの一瞬だけ集中が途切れた。


『ふぅ』と短く息を吐いた瞬間、ベンは頭の位置を全く変えずにノーモーションで踏み込んだ。


 まずい! 息を吐ききった瞬間、呼吸の隙間。力のでない息を吸う状態。普段自分がやっている攻撃を逆にやられた。


 ボッと空気を切り裂きながら喉に向かって剣が迫ってくる。


 受けが間に合わねぇ!


 俺は咄嗟に体を後ろに傾ける。そして右肩をせり上げ喉を隠す。肩で受け止めるのではなく、角度をつけて『滑らせる』。


 肩に付けた傾斜通りに剣が眼前をすり抜けていった。剣と防具が擦れ『シャリン』と場違いなほど澄んだ音が響く。


 俺は肘を支点に右腕を回転させ、肩の上に乗っている刃を受けで外側にそらしながら前進。


 ベンに中段回し蹴りと見せかけて上段回し蹴りを放つ。途中で軌道が変化するブラジリアンキックだ。


 村長の息子を仕留めた初見殺し。ベンは驚愕の表情を浮かべ動きが止まっている。


 もらった! そう思った瞬間、ベンが高速で動いた。


 ブワッとベンが突然膨らんだ錯覚に陥る。恐ろしい速度で間合いを詰められたため、目が錯覚を起こして距離感が一瞬曖昧になった。


 間合いを詰めたベンは、剣の柄で蹴り足の太ももを一撃。


「ぐうっ」


 予想外の反撃と太ももに走る鈍い痛み。とても反撃など行えない。バランスを崩さないようにするので精一杯だった。


 ベンは俺の太ももを打ち据えた後、流れるような動きでスルリと体を反転。その動きに合わせて、俺の胸を押しながら軸足を払う。


 胸を押されのけぞった状態で軸足を払われた俺は、なんの抵抗も出来ずにあっさりと空中に浮かされる。


 空中でなんとか蹴りを……いや、無理だ。ここまで完璧にバランスを崩された状態で蹴りを放っても、威力など望めない。


 地面に手を付いて、体を跳ね上げながら足刀で下から喉を狙う。


 蟷螂拳の穿弓腿をイメージする。


 しかし、俺のイメージをぶち壊すようにベンが胸を押した手の角度を変えた。


 そして、そのまま胸を下方向に押し加速。地面に俺を叩きつける。


「かはぁ」


 咄嗟に受け身を取ったが、衝撃を殺しきれなかった。肺から空気が絞り出され、思わず苦痛に顔が歪む。


 人間は脳からの信号を神経が受け取り行動する。そこにはタイムラグが発生するため、スムーズに動くには常に次の動きを想定していなければ動けない。


 想定していた動きが出来なかった俺は、一瞬だが動きが止まってしまった。


 叩きつけられたダメージと行動のタイムラグ。ベンはその隙を見逃すほど甘くはない。


 俺の喉元にはベンの剣が突きつけられていた。


「まいりました」


 俺が絞り出すようにそう告げると、ベンが剣から右手を離し俺に差し出してきた。


 模擬戦でも負けるのは悔しい……。


 相手が格上とはいえ何も出来なかった。俺は、こみ上げてくる苦い敗北の味を噛み締めながら差し出された手を掴む。


 ベンはグッと力強く俺を引き上げると、満面の笑みを浮かべてハグしてきた。


 困惑している俺に構わず、ベンは興奮した様子で一方的にまくし立てる。


「すごいよ野人、あの蹴り技! 途中で軌道が変わるなんて完全に想定外だった!!」


 興奮したベンは俺の背中をバンバン叩きながら、つい本気を出してしまったと謝ってきた。


 普通なら『本気出しちゃってごめんね。俺が強すぎてすまんね。がっはっは』という嫌味に聞こえるが、ベンの性格からしてそれはないはず。


 その後も興奮して飛びまくるベンの話を整理すると、俺のレベルに合わせて手加減しようと思っていたそうだ。


 ところが、想定外の技に混乱しついつい本気を出してしまったと。


 レベル差のある模擬戦では、レベルの低い方の身体能力に合わせるのがマナーのようだ。


 反応速度など手加減のしようがない部分もあるが、なるべく技量だけで戦えるようにするのが基本なんだとか。


 なるほど、レベルがある世界ではそうやって技量を高めているみたいだな。


 同じレベル帯の人間としか切磋琢磨できないとしたら、かなりの制限がかかってしまう。


 当たり前といえば当たり前のことかもしれない。


 格上相手に自分の技術が通用したことを喜ぶべきか。うまく手加減できなくてごめんね。そう言われたことに屈辱を感じるべきか。


 本来なら後者なのだろうが、ベンの人柄がネガティブなイメージを感じさせずにいた。


 対人技術を修めている相手にも、俺の磨いた技術が通用することを今は喜ぼう。


 ベンの話を聞きながら、負けたことに対する心の区切りを付けていると、俺は眉を吊り上げて大股で歩いてくるエマさんに気付いた。


 うわぁ、怒ってる。アレは怒っているぞ。俺の表情の変化に気付いたベンが訝しげな顔をする。


 そして、背後に迫るエマさんの気配に気付き表情を歪めた。


 ベンが助けを求めるような視線を俺に飛ばした瞬間、エマさんはベンの耳を引っ張り上げた。


「ちょっと、兄さん。まだ自己修復を付与していないのよ! 傷が付いたらどうするの。突きが一番駄目だって自分で言った癖に、なんで最初に突きを打ってるのよ!!」


 ギューッと擬音が聞こえてきそうなほど耳を引っ張り上げられたベンはつま先立ちになりながら、俺に『助けて』という視線を再び飛ばしてくる。


 俺はベンから目を逸らすと、気配隠蔽を発動させてそっと空気になった。

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