第174話 創意工夫

 水泳界で革命を起こした高速水着は、噂によると着るのに三十分もかかったと言われている。


 その話を聞いたときは『大変だな』としか思わなかったが、自分が同じような経験をすると大変さが身にしみてわかった。


 性能を追い求めると、利便性が失われるのは科学が進んだ転生前でも変わらないみたいだ。


 ただ、こちらの装備は文字通り命が懸かっている。多少の不便さより、身の安全を優先したい。


  それでも、利便性を求めてしまうのも人間のさがなのだけど。



 装備にもう少しだけ遊びを持たせるよう調整することに決まったが、根本的な問題は解決していない。


 性能が最優先なことを念頭に置き、俺たちは話し合った。


 首周りをもっと柔軟性のある素材にする。首の部分は巻きつけるタイプの別装甲にする。トイレの問題もあるので、いっそズボンと上着で分けて装着するようにする。などなど、様々なアイディアがでた。


 しかし、どれも一長一短。なんなら、デメリットの方が多い。


 首には頸動脈など、急所が集中している。できるだけ防御力は持たせたかった。別装甲にすると、防具と防具の隙間ができてしまう。


 さらに、浸水したり砂が入ってくる恐れがある。


 上着とズボンに分けるのは便利そうだが、これも防御力の低下や浸水などが懸念される。


 運動性能と静音性。耐斬、耐衝撃性能をある程度キープ。更に、水中や泥などで活動してもスーツの中は影響を受けない。


 あらゆる環境で性能を発揮する装備。そんなコンセプトで作られた防具としては現状の形がベストだ。


 しかし、脱着にあそこまで時間が掛かるのはさすがにまずい。


 それに、トイレなどの緊急事態のとき脱ぐのが間に合わないと大変なことになる。いくら防水とはいえ、スーツの中で垂れ流しはキツすぎる……。


 あちらを立てればこちらが立たず。色々話し合っていると昼食の時間になった。


 エマさんの手料理にトゥクンしながら腹を満たし、また話し合いを続行。しばらくするとアイディアも尽き、話し合いを沈黙が支配する。


 ここは仕切り直して、また後日話し合った方がいい。


 そう思ったときに閃いた。閃いたというか、一番最初に試すべきことをやっていないことに気が付いた。


 着方の工夫をしていない。




 構造だの技術だのと話し合いに夢中になっていたが、一番単純な今あるものをなんとかしようという努力が足りていなかった。


 俺はそのことを二人に話すと、改めてレザースーツと向き合った。そして、創意工夫の末なんとかスムーズに着る方法を発見したのだ。


 まず、上半身部分を裏返す。裏返した状態で足を先に入れてしまう。


 下半身の装着が完了したら、裏返しにしていた上半身部分を引っ張りながらベロベロと反転させる。


 こうすることで、胸辺りまでスムーズに着ることに成功。難関の腕を通す部分は、油を潤滑剤にすることにした。


 刃物が錆びないように油を塗って酸化を防ぐため、鍛冶師の工房には当然油が存在する。


 その油を少し分けてもらい、薄く腕に塗ることで潤滑剤にする。塗りすぎるとベトベトして気持ち悪い、ほんの薄くだ。


 片方だけ先に通すと、たすき掛けになって締め付けが強くなる。左腕を先に通すが、右側もすぐ通せるよう少しだけ手を入れておく。


 左腕を一気に通すと同時に、右手も一拍遅れて一気に通した。


「フン!」


 完全な力技だ。右手を通すときに右肩に負荷が掛かる。そこは、レベル補正で強化された肉体でゴリ押しである。


 こんな乱暴な着方をウエットスーツなどでしたら破損しそうだが、 海牛セレニアの皮はとても頑丈だった。


 伸びてしまったり、傷が付くようなこともない。


 最後は、首の部分をペロンと裏返せば装着完了である。


 おそらく五分程度で装着できたはずだ。慣れれば、もっと時間は短縮できる。


 ようやく、防具を装備するというスタート地点に立てた。





 装備の着心地は抜群だった。少しだけ締め付けを感じるが、圧迫感があるとか血流が阻害されるといったことはない。完璧なフィッティングだった。


 エマさん、すげぇな。


 防具を着た状態での動きをチェックするため、中庭へと移動する。中庭にある川には、新しい建物が立てられていた。


 おそらく、ドラム式なめしを試しているのだろう。もうすでに試作の段階まで進んだのか。そんなことを考えながらベンとエマさんに付いていく。




 中庭には様々な環境が用意されていた。巨大な桶に大量の水が入っていたり、土と水を混ぜた泥が作られていたり。


 二人が作業した訳ではないだろうが、恐ろしく労力が掛かっている。


 最初は、的の前へ案内された。ここで、基本的な動きを確認する。的には剣術の練習などで使う藁人形と、木製の人形が用意されていた。


 俺はチラリとベンを見た。ベンを疑っている訳じゃない。だけど、冒険者の本能が手の内を見せることをためらった。


 ベンが、微笑みながら静かにうなずく。


「大丈夫だよ、僕もエマも喋らない。これでも、口は堅い方なんだ」

「いや、疑っている訳じゃないんだ。すまない」

「戦う人間の本能みたいなものだよね、理解わかるよ。大丈夫だから」

「ありがとう。俺の戦い方は少し『変わっている』から、驚かないでくれ」


 俺はベンにそう告げると、木製の人形へと飛び込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る