第173話 完全敗北

 善性のベンたちが裏稼業の人間を忌避するかと思いきや、まったく気にしていなかった。


 それどころか、エムデンやドミニクという反社の親玉見てぇな奴らに武器を作っていたとは……。


 まぁ、盗賊が剣で人を殺したからって鍛冶屋を攻めるのはおかしい。


 それに、裏稼業の人間へ武器の販売を拒否しても、間に人を挟むなりなんなり手に入れる方法はいくらでもある。


 悩むだけ無駄ってのは合理的な考え方かもしれない。


 最初は意外に思ったが、そう考えると理解できある。


 なにはともあれ、裏ギルドの構成員になった俺でも装備を作ってくれそうだ。


 そう思い、ほっと胸を撫で下ろしていると……。




「あの……やジンさん、ちょっといいかな?」


 エマさんが何か思い詰めたような表情で俺に話し掛けてくる。エマさんは悪党に作る装備はねぇ! っていうスタンスなのだろうか。


 胸の中で落ち着いたはずの不安がむくむくと湧き上がってくる。


 俺は緊張をさとられないようなるべく平穏を保ち、エマさんの返答をした。


「はい、なんでしょうか?」


 少しの沈黙の後、エマさんが意を決したように口を開いた。


「人間を食べるって本当?」


 それかあああああ! 


「食べない、食べない!」


 俺は首をブンブン振りながら否定する。


 慌てて否定する姿が余計怪しく感じるのか、エマさんはじっとりした目で俺を見続ける。


 新たな性癖の扉が開きそうで悪くはないが、食人鬼だとは思われたくない。


「ちょっと部下をからかったら、なんか話が広がっちゃって……」

「そうなの?」

「ええ、そうなんですよ。色々大げさに吹聴するやつでしてね」

「本当に人は食べないのね?」

「はい、。もちろんですよ」


 エマさんは、疑念は残るがひとまず納得。そんな感じの表情で理解してくれた……。



 ハンスの野郎、噂の拡散力が半端ねぇなオイ! 数日で工房地区にまで話が広がってんじゃねぇか! 


 俺の自業自得なのだが、あいつのニヤけ面を思い出したらなんだか腹がたってきた。今度会ったら軽くシバいておこう。




 俺の心配は結局、取り越し苦労だった。


 これで心置きなく『試作品』とやらを確認できる。


 二人に試作品を見せて欲しいと頼むと、エマさんが工房の棚にしまわれていた一枚の服を手渡してくれた。


 「サイズ合わせの段階だからね、まだ追加装甲なんかはつけていないんだ」


 そう言われて渡されたのは、黒にほんの少しだけ赤みが足されたレザースーツ。何の装飾もないのっぺりとした全身タイツのような形状だった。


 レザースーツはそれなりに重量を感じるが、厚みは思ったほどじゃない。軽く表面を叩いてみると、コンと硬質な音が返ってくる。


「ヤジンさん、急かすようで悪いけど試着してみておくれ」


 超一流の職人が作り出した俺の新装備。はたしてどのような性能なのだろうか……。


 俺は高鳴る胸の鼓動を感じながら、新装備に袖を通すことにした。


 

 


 装備を着るため、俺は下着姿になる。


 多くの期待と少しの不安が入り混じる複雑な感情が湧き上がってくる。迷いを振り切りいざ新装備へ。


 レザースーツの首部分をぐいっと横に引っ張り、一気に足を奥まで通した。


 スーツの内側の感触は、鶏皮のぶにゅりとした感触と、おもちゃにあるスライムのヌルッとした感触の中間に近かった。


 少しの抵抗というか引っかかりを感じるが、強く押し込めばしっかり奥へと侵入できる。


 ただ、表面の材質というか皮質がつるつるしていてとても掴みにくい。


 そのことを告げると、エマさんが砂蜥蜴サンド・リザードの手袋を持ってきてくれた。


 摩擦力が強めに調整された砂蜥蜴サンド・リザードの手袋を使って、なんとかレザースーツを引っ張る。


 なんとか両足が通り、胴体部分を通すときにそれは起こった……。




 首周りの部分は他に比べて細くなっている。


 いくら俺の首が太いとは言え、胴体に比べればスリムだ。細い首周りの部分が、胴体部分を強く締め付ける。


 多少窮屈だとか、締めつけ感が不快だとか、そんなレベルじゃない。


 シンプルにクソ痛い。


 痛いのですぐに装着を完了したいのだが、皮膚に食い込むほどぴっちりした状態でレザースーツを上にずらすのは困難だった。


 表面をつまんで少しずつ上に伸ばすのだが、表面がつるつるしているため非常に掴みづらい。


 砂蜥蜴サンド・リザードの手袋を装備していてこれだ。素手なら、装着は不可能だと思う。装着に苦戦している間に、首周りの細い部分が胴体をギューギューと締め付ける。


 どのぐらい時間がたっただろうか? おそらく十分以上は苦戦していたはず……。


 なんとか胴体部分を通過して、腕を通すところまでやってきた。


 胴体の締付け、うまく着れないストレス。慣れない体勢での作業も合わさり、俺はへろへろの汗だく。


 腕を通す作業に嫌な予感しか感じなかったが、これはテストだ。しっかり試して、修正点を明確にしなくてはならない。


 俺は気合を入れて、一気に左腕を通す。


 多少抵抗を感じたが、力ずくで押し通した。左腕を通したレザースーツはたすき掛けのようになり、俺の右脇辺りをこれでもかと締め付ける。


「いだだだだだ。無理! これ無理です。抜けない。た、助けて」


 俺が悲鳴を上げると、ベンとエマさんが慌ててレザースーツを脱がそうとする。


 しかし、ぴっちり皮膚に食い込んだスーツはなかなか外れない。ベンとエマさんが苦労しながら装備を脱がすまで、工房に俺の情けない悲鳴が響き続けた。


 最初の試着はレザースーツの締め付けに完全敗北。


 新装備への期待は全て吹き飛び、俺は『今までにない新しいモノを作り出す』という作業の難しさを痛感していた。

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