第172話 領分

 工房の扉を叩くと、バタバタと足音が聞こえる。


 そのまま扉の前までやってくると、扉が勢いよく開いた。


「ヤジン、よく来たね! ささ、入って入って。見せたいものがあるんだ!」


 俺の心情などお構いなしに、ベンがすごい勢いで俺を引っ張っていく。


 力つえぇなおい! 地味に痛てぇよ!


 引きずられるように工房に入ると、一本のナイフが台座に飾られている。


 そのナイフはキレイなダマスカス模様をしていた。

 



「ベン、もう完成したのかよ!」


 俺は驚きベンに向かって叫ぶ。


「まだ改善点は多いけどさ、とりあえず形にはなったよ」


 そういって誇らしげに胸を張るベン。


 マジかよ。俺のざっくりした説明から、短期間で形にしちまった。


 トゥロン一の鍛冶師ってのはここまですげぇのか……。


 俺が驚愕しながら視線をナイフとベンの顔を何度も往復させる。


 ベンが形になったってことは、製品として世に出せるレベルってことだ。


 複数の異なる金属を積層させる。言葉にすれば簡単だが、膨大な試行錯誤が必要なはず。


 使う金属。折り返しの回数。焼入れや焼戻し。鍛冶の素人である俺でも、超えなければいけないハードルはいくつも思い浮かぶ。


 大都市で一番の鍛冶師。なんとなくすげぇんだろうな、そんな朧気なイメージしかしていなかったが……。


 なるほど、ベンは間違いなく天才だ。


 膨大な試行錯誤が必要になる完成までの工程を鍛冶師の知識と『カン』でショートカットしたんだな。


 俺が手放しの称賛しょうさんををベンに送っていると、気分がノッてきたベンがオタク特有の早口でガンガンに説明してくる。


 いや、嬉しいのはわかるけど『門外不出の秘伝』みたいな知識をペラペラ喋んじゃねぇよ。


 知ってしまうリスクが高すぎるわ。


 俺が困っていると、ウェーダーを付けたエマさんがやってくる。


 エマさんからは強い薬品臭。何らかしらの作業をやっていて、等客対応が遅れたのかもしれない。


 エマさんは興奮して喋りまくっているベンに近づくと、結構な力でゲンコツを頭に落とした。


 ガッ! というかなり痛そうな音が工房に響く。


 痛みで頭を抑えてうずくまるベンを冷たい目で見ながら、エマさんが俺に話しかけてくる。


「来てくれてありがとう、ヤジンさん。防具の試作品ができたんだ。試着して貰うために呼んだのだけど……兄さんがごめんね」


 そういって申し訳無さそうに苦笑いをするエマさん。


 ふたりは変わらないなぁ。


 俺は、クスッと笑う。


 めちゃくちゃ緊張しながら工房に来たけど、いつも通りの空気感で迎えてくれたことに俺は安堵した。


 このまま、俺が裏ギルドに加入したことに触れずに話を進めたかったが……それは嫌だった。


 ふたりが触れないでいてくれるのだ。


 好意に甘えて、何事もなかったかのように振る舞うのが正解かもしれない。


 だけど、それはなんとなくふたりに対して不誠実だと感じてしまうのだ。


 我ながら馬鹿だとは思うが……ふたりに対しては誠実でいたかった。


 たとえ、嫌われることになったとしても……。








 なごやかなふたりの空気を壊すように、俺は硬い声で聞いた。


「ふたりは、俺がグリューンの構成員になったことに……思うことはない?」


 言ってしまった。唇から解き放たれた言葉はもう……取り消すことはできない。


 これで良かったんだ。言わなければよかったのに。


 納得と後悔がくるくると頭を廻る。


 ふたりはお互いに目を合わせると、ベンが俺に問いかけてくる。


「最初に工房を訪ねたとき、もうグリューンの構成員だったの?」


 冒険者と名乗ったけど、本当は反社の手先だったのか? 言外にそう責められた気がして言葉に詰まる。


 違う! そう叫びたくなる心を抑え、俺はなるべく冷静に組織へ加入したときの経緯を話した。


「へぇー、エムデンから直接勧誘されたんだ。それじゃ断れないよね」


 ベンはなんでもないようにさらっと答えた。


 あれ? なんか思ったより気にしてない?


 俺が戸惑っていると、ベンが続けた。


「それで、ヤジンはなにをそんなに気にしているのさ」


 ベンの質問に、俺は答えた。


 高位の職人は腕に比例してプライドが高い。俺の作った武器を、妹の作った防具を薄汚い反社野郎に使わせたくない。


 そんな風に考えてもおかしくはない。


 そうじゃなくても、ふたりは善人だから犯罪者に装備を作るのは嫌なんじゃないか? そんな風に思ったのだと、そう答えた。


 それを聞いたベンは、少し笑いながら言った。


「あー、そんな感じの職人もたまにいるね。でも、ウチの工房はそんなの全然きにしないよ」


 俺は、うつむいていた顔を上げベンを見る。


「そりゃ、駆け出しの頃は迷ったこともあるよ。でもさ、美味しい料理を作って欲しいと願いを込めた包丁で人が殺されることだってあるんだ。悪人を退治するために打った剣が、悪人に奪われて善人が斬り殺されることもある。そういうのは、鍛冶師の領分じゃないんだよ。ことの善悪は領主や法家の領分なんだ」


 ベンはそう言うと、自分の手のひらを見つめる。


「職人としてなすべきことは、物事の善悪に頭を悩ませることじゃない。いい作品を全力で作ることなんだ」


 そういって、手のひらを握りしめるベン。


 そう告げたときのベンの目は、自分の両手を見つめる職人の目は恐ろしいほどに透き通っていた。




 一見すると思考停止にも思える結論。


 だけど、悩み抜いて決めた結論なのだと思う。


 だからこそ、ベンには迷いがない。


 エマさんの方を見ると、軽くほほえみながら頷いてくれた。


 エマさんも同じ気持ちのようだ。


 この迷いなき意志の強さが、ふたりを一流の職人たらしめる要因のひとつなのかもしれない。


 今まで以上に、ふたりに尊敬の念を抱く。


 俺と出会ってくれてありがとう。そんな、小っ恥ずかしい気持ちが口から漏れそうになる、そのときだった。


「そもそもさ、ドミニクのメイスもエムデンの剣もウチの工房で作られた作品だし」


「えぇー!!」


 マジかよ、俺の悩みはいったい……。


 情報収集の大事さを改めて噛み締めながら、俺は頭を抱えた。

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