第171話 危険人物
身支度が終わり、工房に向かう準備が完了する。
後は部屋を出て目的地へ向かいだけなのだが……。
はぁ……気が重い。
試作品の完成を伝えてくれたのだ、装備の製作拒否といった最悪の事態は回避できたと思う。
本来なら、悪党に使わせる装備などない! 金は返すから失せろ! そう言われても不思議じゃないからなぁ……。
工房地区にこもっていて、大商会や貴族とも取引しているベンやエマさんに裏ギルドの威光なんぞ通じるはずもない。
そもそも、二人には友人として接して欲しいのだ。
組織の圧力やら、暴力でどうこうしようなんて考えは一切ない。
ただ、今までと変わらず付き合って欲しいなんてのは俺のわがままだ。
知り合ってまだ間もない人間がやべぇ組織のやべぇやつだった。逆の立場なら、俺だって距離を取る。
仕方の無いことだと分かっているが、それでも寂しいと感じる気持ちも俺の本音だ。
このまま工房に行けば、二人との関係性が変わってしまったことが『確定』してしまう。
現実から目を逸らすわけにはいかない。痛いほど分かっているが、それでも目をそらしたくなるのだ。
俺は顔をパチンと両手で叩いて気合を入れた。
突然の俺の行動をパピーが驚いている。
そうだ! パピーを連れていけばエマさんなんかは可愛さでメロメロになるのではなかろうか……。
そこから、なんとか関係の修復を……。
いや、駄目だな。パピーは可愛いが、モンスターだ。テイムされた従魔もいないわけじゃないが、モンスターに拒否反応を示す人もいるだろう。
それに、パピーをダシにするのもなんか違う気がする。
まったく、いい年してなさけねぇ。
人に嫌われるのが怖くて会いたくないなんて、思春期の中坊じゃあるまいし……。
いつまでも現実逃避をしていても仕方ない。
留守を頼むとパピーをひと撫でして、俺は部屋から足を踏み出した。
部屋から一歩外に出ると、俺は内心などおくびにもださず『俺は絶好調だぜ!』と自信満々に肩で風を切る。
これでも事務所をひとつ預かる身。俺は組織の看板を背負っている。
そんな俺が、不安そうな顔をして町中を歩く訳にはいかない。
こうやって自信満々の演技を続けていくうち『演技が演技じゃなくなる』のだろう。
なるほど、これが『立場が人を作る』ということか。
言葉としては知っていたが、実際に経験すると納得がいく。
人の環境適応能力は素晴らしい。良くも悪くも、人は適応する。
与えられた役割を全うしようと自らを変質させていく。
俺は着実に『立派な裏ギルドの一員』として成長しているようだ。
ますます
「ヤジンの旦那、この前は助かりました! これ、受け取ってください」
「おう、ありがとな!」
この前トラブルを解決してやった屋台の男が、りんごを投げ渡してくる。
俺は笑顔で受け取ると、銀貨を一枚親指ではじいた。
「旦那! こんな……受け取れやせん!」
「いいから取っとけ」
俺はそう言うと、りんごをかじる。
うーん、すっぱい。それにボソボソしている。前世で食べていたりんごに比べるとお粗末な味だ。
俺はりんごを咀嚼しながら、毒が仕込まれていないかを慎重に判断する。
苦みや痺れはないか、しっかりチェックしてからりんごを飲み込む。
りんごの味がイマイチなことや、毒への警戒などおくびにもださず俺は屋台の店主へ礼を告げる。
「うまかったぜ、ありがとな!」
俺は手をひらひらと振りながら、先へと進んだ。
俺はうまく演じられているだろうか……ドミニクのように。
当たり前だが、地域の顔役ムーブなど経験がない。そのため、必死にドミニクのマネをしてなんとかやり過ごしている。
コミュ障の陰キャが必死の陽キャの真似をしているのだ。
スクールカーストに怯える中坊かな? そんな風に自嘲しながら、演技を続けていく。
面倒だ、しんどい。そう思いながらも、怯えられるだけだった俺が、町の人たちに受け入れられていることを少し嬉しく思っている。
地域住民の問題解決という地道な作業は、しっかり効果として現れていた。
冒険者としてどれだけ頑張っても、こんな風に町の人たちに受け入れられることはなかったと思う。
反社になって地域に受け入れられる。
皮肉の利いた話だぜ……。
地域の顔役ムーブにいい加減疲れた頃、工房地区の入口へと到着した。
門に向かって歩いていくと、周囲の空気がピリッとする。
門番たちも俺のやべぇ噂を聞いているのかもしれない。
まぁ、そりゃそうだよな。町の危険人物を覚えるのも門番の仕事だもんな。
前のように尋問されるかと身構えたが、門番は俺をあっさり通してくれた。
ベンたちから連絡が行っていたのか。それとも、身分がはっきりしたからなのか。
どちらにせよ、取調室で詰められるよりはよっぽどいい。
もっとも、警戒は緩めない。
いきなり後ろから襲いかかってくる可能性もゼロじゃないからな。
門番とすれ違う瞬間、ピリついた空気が物理的な重さを持ったかのように周囲を包む。
俺と門番たちの付近だけ空気が圧縮されたかのような錯覚を覚えた。
どちらかが武器を抜いた瞬間、殺し合いが始まる。
そんな確信がお互いにあった。
剣呑などという言葉では言い表せないほど、お互いが危険信号を感知している。
一瞬たりとも気を抜けない濃密な時間。
体感が引き伸ばされ、交差した視線が絡み合う。
すれ違い終え、お互いある程度の距離が空く。
そこでようやく一息。
完全に警戒を解くことはできないが、ほんの少しだけ警戒を緩めた。
町の人に受け入れられて嬉しい? はは、笑っちまう。
衛兵たちの反応が普通なのだ。
これが、裏ギルドに所属するということ。
悪名高くなるということ。
舐められないことと引き換えに、俺は『危険人物』として認知されている。
当たり前のことを痛感した俺は、工房へ向かう足取りがますます重くなった。
自分の選択の結果だろうに……。
俺は首を小さく左右に振ると、意を決して工房の扉を叩いた。
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