第160話 公平な取引

「フー、フー」


 死体蹴りが止まり、荒い息づかいだけが廃墟に響く。スタミナが切れたのか、それとも少しは落ち着いたのか。


 どちらにせよ、今なら俺の話を冷静に聞けるだろう。


「おい、ガキ。おめぇ、トビーとか言ったか?」

「え? うん。俺はトビーだよ」

「あのカスが管理していたガキはおめぇ意外に何人いるんだ?」

「えっと、たぶん十人くらい」


 思ったより多いな。狭い縄張りでその人数だと、ひとり当たりの稼ぎも必然的に少なくなる。


 メイソンの野郎、数を増やせばいいってもんじゃねぇんだぞ。


 まったく、使えねぇ野郎だ。


「連絡が取れる奴らだけでいい。明日ここにそいつらを集めとけ」

「えっと、どうして?」


 ガキは少しおびえを見せながら聞いてくる。縄張りを荒らしたケジメを取らされると思ったのかもしれない。


「トビー、お前たちのケツ持ちはくたばった。これからは組織グリューンがお前らのバックになる」

「それって、何が変わるの?」


 ガキの目からハイライトが消えている。憎いメイソンが死んだ、これで解放される。そう思った矢先、組織がメイソンの後釜に座った。


 何も変わらない。搾取される対象が変わっただけ。


 また、虐げられる日々に戻るのか。


 トビーの表情がそう告げている。


 一度救われたと思ったのだろう。その落差が、トビーの心を打ち砕いていた。


「何も変わらない。稼ぎの半分を組織グリューンに納めろ」


 トビーの瞳から完全に光が消える。すべてを諦めた無機質な瞳。ガキがしていい表情じゃない。


「メイソンと組織おれたちの違いは、約束を守ることだ」

「やくそく?」

「そうだ。その日の気分でお前たちをぶん殴ったり、取り分を変えたりしない」


 俺の話を聞いても、トビーは死んだ目をしたままだ。


 今まで近付いてきた大人たちも、こうやって最初は甘い言葉をささやいたのだろう。


 今まで出会ってきた大人たちへの不信感から、俺の発言を信じることができないでいるのだ。


「俺たちは取り分をいただく。その代わり、組織グリューンの名前でお前たちを守る。これは、公平な取引だ。お前たちが約束を守るなら、俺たちもお前たちを守ろう」


『お前たちを守る』そう聞いたトビーの目に生気が宿る。何の庇護も受けず、搾取され続けたスラムのガキにはまぶしい言葉だ。


「ほんとうに守ってくれる?」

「あぁ、守ってやる。メイソンみたいなやつが寄ってきたら、組織グリューンの名前を出せ。それでも引かないなら、事務所まで来い。俺がそいつをぶっ殺してやる」


 トビーの瞳が、本当の意味で俺を見つめる。


組織グリューンは約束をたがえない。そして、約束を破るやつにも容赦しない。それは分かるな?」

「うん……わかるよ」


 トビーの目を見ながら、会話を続ける。


「明日、組織の人間がここに来る。他のガキたちを昼の鐘が鳴る時間、ここに集めとけ」

「うん、みんなをよんでおく」


 そう返事を返したトビーだが、何か奥歯に物が挟まったような言い方だった。


「どうした、何か気になることがあるのか?」

「あの……おじさんがくるんじゃないの?」


 どうやら、明日会う組織の人間が俺じゃないことに不安を感じたようだ。


「わりぃな、こう見えて俺は忙しいんだ。安心しろ、組織の名前で約束したことは必ず守る。それが、俺以外でもな」


 俺の答えを聞いても、トビーはまだ不安そうな顔をしている。


「明日来る組織の人間が約束を破ったなら、俺に言え。事務所の場所は分かるか?」


 トビーがコクンとうなずく。


「俺はヤジンってもんだ。事務所で俺の名前を出せば取り次いでくれる」

「うん、わかったよヤジンさん」


 トビーの表情が少しだけ柔らかくなる。このまま終わってもいいのだが、少し忠告をしておく。


「トビー。組織はお前たちを守るが、それはあくまでも守るだけだ。グリューンの名前を使って偉そうに振る舞ったり、組織の名前で勝手に金を稼ぐと……」


 俺は視線をメイソンの死体に向ける。


「アイツみたいになる」


 トビーがゴクリとつばを飲む。


 バックがつくと気が大きくなって偉そうに振る舞うアホも出てくる。そいつらが組織のカンバンを汚すことになれば、楽には死ねない。


 そして、その役目は俺に回ってくる。


 全身反社にずっぷり浸かってはいるが、ガキを殺すのは忍びない。


 最低限の警告はしておくべきだ。



 緊張感のあるやりとりをしていると、ぐぅー! とトビーの腹が鳴った。


 空腹状態でゲロまで吐いたのだ。腹も鳴るだろう。


「ご、ごめんなさい」


 殴られると思ったのか、トビーが身を硬くする。


 俺は財布から銀貨を一枚取り出すと、親指でピーンと弾いた。


 弾かれた硬貨をトビーが反射的にキャッチする。


「おう、それで飯でも食え」


 手のひらに収まった硬貨が銀貨であることを確認したトビーが、驚きながら言った。


「え? こんな大金もらえないよ」

「ガキが遠慮なんかするんじゃねぇ。自分で使い切れねぇんだったら、家で待っているガキどもにお土産でも買ってやれや」


 俺はそう言うと、廃墟の出口へと歩き出す。


「それからよ、金が奪われそうになったり、店でぼったくられそうになったら組織グリューンの名前をだせ。わかったな」

「う、うん。あの、ヤジンさんありがとう!」


 俺は背を向けたまま、手を軽く振る。


 ほこりと血のにおいが立ちこめる廃墟から外に出て、新鮮な空気を胸に吸い込む。


 新鮮なはずの空気は、土埃と排泄物。血と腐敗臭。


 そして、人の欲望の香りがした。

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