第159話 ようこそ、修羅の世界へ

 俺に問い詰められたメイソンは、急にスリの小僧に近付く。


「おい! 動くな!!」


 俺はメイソンに警告すると、メイソンと小僧の間に立つ。


「てめぇ、ガキの口封じを狙いやがったな」


 この野郎、舐めたマネしやがって……。


「そ、そんなこと考えてませんよ。勝手なことをしたガキをちょっと締め上げてやろうとしただけで……」


 よくもぬけぬけと、この野郎……。


「おい、ガキ」

「ひぃ」

「お前、今日のスリはこいつの指示か?」

「あ、あの」


 ガキが口を開こうとした瞬間、メイソンが怒鳴りつける。


「おい! てめぇが勝手にやったんだよなぁ? そうだろ、おい!」

「……」


 メイソンの脅迫に怯えたガキは口を閉ざす。


「メイソン、いい加減に黙れ。てめぇの下顎、引きちぎるぞ」


 俺が睨みつけると、メイソンは口を閉じた。


「ガキ、グリューンは知っているか?」


 ガキはコクンと頷いた。


「ぜったいに逆らっちゃいけないって聞いた」

「お前、あのカスと組織グリューンどっちが怖い?」

組織グリューン


 ガキはポツリと言った。


 身近な恐怖の対象であるメイソンを目の前にしても、組織への恐ろしさが勝るようだ。


 こんなガキでも、組織のカンバンは恐ろしい効果を発揮している。


 どれだけ恐怖を振りまけば、どれだけ人を殺せばこうなるのだろう。


 組織のカンバンの凄さと、その重さを改めて認識した。


 そして、俺も今はそのカンバンを背負っている。中途半端なことはできない。


「組織が怖いなら、正直に話せ。お前が今日行ったスリはメイソンの指示か?」


 これは誘導尋問だ。メイソンの指示だろうが、ガキが勝手にやったことだろうがどうてもいい。


 ガキを使ったスリ集団を管理していたメイソンには、ガキたちの行動に責任を取る必要がある。


 それに、メイソンは組織の一員である俺に嘘を吐いた。


 あの時点で、メイソンこいつの運命は決まっていたのだ。


「うん」

「メイソンがやれって言ったんだな?」

「うん、そうだよ」


 メイソンが忌々しそうにガキを睨みつける。


「聞いたな、メイソン。こりゃどういうことだ?」


 俺はゆっくりメイソンに近付いていく。


「違うんです。そのガキが俺に罪を擦りつけてるんです!」

「そうだとしても、ガキを管理しているのはてめぇだろ?」

「それは……」


 管理責任を問われたメイソンは言葉に詰まる。


「だいたい、アンタ誰なんだよ。本当に組織グリューンの人間か?」


 メイソンは逆ギレ気味に言った。


「俺はドミニク兄貴から事務所を任されたヤジンってもんだ」


 俺が名乗ると、メイソンは怯えた表情を一変させる。


「あぁ、アンタが後釜の……」


 俺の外見のせいなのか、それとも新参者だからなのか。その表情には明らかなあなどりがあった。


「なぁ、アンタ。そうカリカリするなよ。新しく事務所を任されて大変なのはわかるけどよ。これからも仲良くやろうや」


 メイソンはニヤニヤしながら近付いてくる。


「アガリはこれからも届けるからよ、スリの範囲は今の場所を認めてくれよ。なぁ、いいだろ?」


 舐められている。


 こいつは馬鹿か? 俺を騙せても、後ろにいるドミニクやエムデンが黙っていない。


 そんなこともわからないのか? わからないから、スラムでこんなクソ見てぇなシノギやってんだろうな。


 こいつは組織を舐めている。


 いや、違う。俺が舐められているのだ。組織のカンバンを背負っている俺が舐められたせいで、組織のカンバンが汚れているのだ。


 なるほど、これがメンツのために人を殺すって感覚か。


「そうだな、これからもよろしくやろうや」


 俺はそう言うと、メイソンと肩を組む。


 そして、逃げられないよう服をがっしり掴むとナイフで腹を滅多刺しにした。


「え?」


 サクッサクッサクッ。


 黒鋼のナイフは、骨のない柔らかな腹部を容赦なく貫通していく。


 シチュエーションや刃物の形状にもよるが、腹部を刺された後の痛みはタイムラグがある。


 最初にしびれのようなものを感じて、その後痛みがやってくるのだ。


 メイソンが痛みを認知したとき、俺のナイフはもう取り返しがつかないほどメイソンの腹部を破壊していた。


「ぎゃああああ」


 サクッサクッサクッ。


 現実感が無いほど軽い手応えで、ナイフが腹を貫通しながら往復する。


「や、やめぇ」


 サクッサクッグチュグチュグチュ。


 ナイフで血液と内蔵がかき回され、粘着質な音が廃屋に響く。


 グチュグチュグチュグチュグチュ。


「がふ」


 メイソンは血を吐き動かなくなる。それでも、俺の手は止まらない。


 グチュグチュグチュグチュグチュ。


 ナイフを刺し続けると、限界を迎えた腹部が崩壊して内蔵がこぼれ落ちる。


 ビチャ、ビチャ、ドサッ。カツン、カツン。


 おっと、内蔵が抜け落ちたことでナイフが背骨に当たったようだ。これ以上やると、ナイフを傷付けてしまうかもしれない。


 俺は手を止めて、メイソンの服で血を拭う。


 脂が付着しているのであまり綺麗にならないが、多少汚れは落ちた。パッと見ナイフは欠けたりしていない。


 感情に任せて乱暴にやりすぎたようだ。


 俺は軽く反省すると、ガキの方へと歩いていく。


「ねぇ、組織の人」

「ん? なんだ」

「あいつの死体、俺に売ってくれよ」


 ガキからの予想外の提案。俺は思考がフリーズしたが、悪くないと思った。


 恐怖を撒き散らす対象としては、少し『綺麗』に殺しすぎた。頭に血が登ったせいで『楽』に死なせてしまったからなぁ……。


 服の上着もズタズタ。肉も内蔵はぐちゃぐちゃになって土塗れ。


 タダでさえ安い死体の状態がこれだけ悪いと、大した値段にはならない。


「金はあんのかよ?」

「これ」


 ガキがスリの報酬を全額渡してくる。


 金額としては少ないが、少し興味が湧いた。


 腹が減っているはずなのに、全額こいつの死体に払うのはなぜなんだろう。


 そういえば、リベリアの内戦ではシャーマニズムに基づき『敵兵の心臓』を少年兵が食べていたそうだ。


 相手の力を取り込むための行動だそうだが、この小僧もメイソンを『食料』にするのだろうか?


 まぁいい。金になるならそれで構わない。


「金は受け取った、取引成立だ。死体は好きにしていい。ただし、ゾンビにならないよう処理はちゃんとやれよ」


 ガキはコクンとうなずくと、メイソンの死体に近付いていく。


「コノヤロー! コノヤロー! コノヤロー!」


 ガキは泣きながらメイソンの死体。正確には死体の股間を蹴り続ける。


 打撃音は徐々に湿り気を帯びたグチュグチュとした音に変わっていく。


 このガキは、空腹を満たすより復讐を選んだのだ。


 たとえ、相手が死体であっても。


 地獄だ、地獄のような光景だ。


 だけど、そのぐらいじゃないとスラムここじゃ生き残れねぇよな。


 気に入ったぜ、小僧。


 殺すのは止めだ。


 俺は小僧ごとスリ組織を取り込むことにした。


 手下で有用そうなやつに組織運営を学ばせる教材にするのも面白そうだ。


 スリの小僧は今のメシより暴力を選んだ。


 そして、その選択によって命を繋ぐことができた。


 ようこそ、修羅の世界へ。


 歓迎するぜ、小僧。

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