第161話 人格
メイソンを殺した廃墟から、事務所へと歩き出す。
周囲の人々は、俺を見ると表情をこわばらせている。
ドミニクのように、町の人たちが気軽に話しかける『人気者』にはなれない。
しかし、俺に舐めた視線を飛ばすやつはひとりとしていなかった。
ドミニクから事務所を引き継いで一か月ほど。
最初は平和だった。
カールの警告が杞憂に思えるほど何も起きなかったのだ。
しかし、徐々にトラブルは増えていく。
ドミニクが事務所から手を引いたことが広まったからだ。
金の返済が遅れたり、スラムの住人が組織に逆らったり。
そのたび、手下のチンピラを派遣して対処することになる。
この時代はスマホなんて便利なものは存在しない。情報は人から人へとゆっくり伝わる。
そのため、トラブルが起こるまでタイムラグがあったのだ。
それからは大忙し。
最初は組織のチンピラを派遣することで対処していたが、そのうち下っ端じゃ対処できない案件が飛び込んでくるようになった。
でかい金額を貸し付けていたヤツの返済拒否。組織の傘下にあった小規模なグループの離反。
そういったトラブルの対処をしつつ、冒険者としてファモル草やギーオの採取も続けなければいけない。
次々起こるトラブル。繰り返される拷問。余裕のない状態での、危険な森での採取作業。
肉体的にもしんどかったが、それより精神がどんどん削られていった。
「な、なぁ。金は払う。頼む、頼むからやめてくれッ!」
「はらわたぁ引きずり出してやるよぉ、かわいこちゃん」VC若本〇夫
「匂い立つなぁ……たまらぬ血で誘うものだ」
「な、なに言ってやがる。てめぇイカれてんの――ぎゃああああ」
「も、もうやめでぐだざい」
「悪夢は巡り、そして終わらないものだろう」
「頼む……家族だけは」
「もういない」
「え?」
「お前に家族なんてもういねぇよ」
「まさか、てめぇええええ」
狂人を演じ、残虐行為を繰り返す。
その精神負荷は尋常ではなく、パピーの癒やしをもってしても精神の均衡が保てなくなったのだ。
俺は所詮養殖物。
本物たちとは違い、こういった行為に適性はなかった。
行動はマネすることができても、その精神性をマネることはできない。
そして、精神が摩耗した状態でいろんな狂人を演じたことにより自分の本当の人格が曖昧になってしまう。
このままではまずいと思った俺は、自分の中にスイッチを作ることにした。
元の自分である冒険者としてのヤジン。裏ギルドの構成員である残酷なヤジン。
このふたつを別人格として切り分ける。
裏ギルドの人格はエムデンをベースに、ドミニクの気前や面倒見の良さをプラス。
思考を暴力的に寄せ、残虐な行為をまるで呼吸をこなすかのように『当たり前』に行える倫理観ゼロの人格。
意図的にそういった人物を自分の中で作り出す。
あとは、特定の行動を切り替えのスイッチとして設定しておく。
自分に強烈な暗示を掛けることで、反社組織の一員であるヤジンを作り上げたのだ。
この行為にはリスクがある。
精神負荷を別の人格に肩代わりさせていると、本当に精神が分裂してしまうことがあるのだ。
解離性同一症、いわゆる二重人格。
作り出した人格が肉体のコントロールや意識まで支配してしまうと危険だ。
現状、綱渡りのような微妙なバランスで各勢力の間でうまく立ち回っている。
自分のコントロールを失えば、綱から転落してくたばってもおかしくはない。
苦渋の選択ではあったが、あのままだと俺の精神は壊れていた。
まともな人間がまともじゃない世界で生きるなら、まともじゃない人間になればいい。
だが、ドミニクの求める人材はまともに振る舞えるまともじゃない人間なのだ。
それなら、まともな部分とまともじゃない部分を分離させればいい。
冒険者のヤジンがビビるなら、反社のヤジンが前に出ればいい。
反社のヤジンがやり過ぎるなら、冒険者のヤジンが止めればいい。
そうやって、役割を分担することでこのイカれた世界に対応している。
前世なら、こんなことは不可能だった。おそらく、レベル補正のおかげでなんとか形になっている。
ただ、俺は器用じゃないし機械でもない。
人格は分けたつもりでも、完璧とは言いがたい。
ガキを殺せなかったのがその証拠だ。
組織の一員としてガキは殺すのが正解。
メイソンの指示だろうがなんだろうが、縄張り荒らしはタブー中のタブー。
殺してしかるべきだ。
しかし、冒険者のヤジンはガキを殺すのを嫌がった。
空手の指導員をしていたとき、ガキと関わる機会が多かったからかもしれない。
そのガキたちと、スラムのガキが被るのだろう。
とんだ甘ちゃんだ。
しかし、その甘ちゃんが俺に影響している。
そして、冒険者のヤジンも俺の影響を受けている。
思考が凶暴な方によりがちになっているのだ。
意識的に切り離していても、完璧にふたつの人格を切り離すのは難しい。
なぜなら、本当に人格が切り離されているわけじゃないからだ。
そんな風に『演じている』だけ。いつか限界が来て、俺の精神は破綻を迎えるかもしれない。
二重人格になってしまうのか、統合され新しい人格が生まれるのか。どちらにせよ、今はだましだましやっていくしかない。
事務所に着いた俺は、深呼吸をすると耳元でパチンと指を鳴らした。
すると、冒険者のヤジンが顔を出す。
子供たちの組織運用に関して話すのだ。反社のヤジンに任せると『ガキが多すぎるから減らせ』とか言い出しかねない。
自分で殺すのが嫌なら、手下のチンピラにやらせる。反社のヤジンなら、そのぐらい平気でやりかねない。
自分を自分で警戒する。まったく意味不明ではあるが、今はそうやって生きている。
不自然でも、歪でも、滑稽でも。
俺はそうやって『生きていく』ことしかできないのだから。
子供たちのスリ組織をできるだけ穏当に運営する。
そのことに思考を回しつつ、俺は事務所へと入っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます