第151話 お返しの法則

 尋問官という専門家が存在するほど、尋問というのは難しく高度な技術を要する。


 おそらく、ドミニクも俺がうまく口を割らせることができるとは思っていない。


 俺の傾向を知るための行動なのだろう。


 この状況でどういった拷問をして、どういう風に情報を引き出そうとするのか。


 困難な仕事に対するアプローチ。困難であるがゆえ、余裕は持てない。


 俺の手札や思考を丸裸にするために用意された尋問の場。


 この男は俺に対する試験のため用意されただけに過ぎないのだ。


 そもそも、女の居場所を探したければ男の口を割らなくても可能なはず。


 おそらく、グリューンは強力な情報網を形成している。


 やたら俺の情報に詳しかったことからも、それは間違いない。


 女もずっと隠れている事はできない。やがて食料が尽き嫌でも外にでることになる。


 外に出れば情報網に引っかかるのだ。


 時間は掛かるが、かなり高い確率で女を見つけ出すことができるはず。


 つまり、情報を引き出すこと自体は失敗してもそこまでグリューンの不利益にはならない。


 任務の失敗から粛清のコンボは確率が低いだろう。


 そう考えると、少し肩の力が抜けた。


 それでも、成功するにこしたことはない。


 俺は無言で男をにらみながら、方針を固めるため思考を回し続けていた。


 


 尋問の目的は『正しい情報』を引き出すことにある。


 覚悟のないヤツの口を割らせるのは簡単だ。


 いつかの盗人宿を経営していた女将おかみみたいな人種がそれに当たる。


 他人を傷付けておきながら、自分が傷付く覚悟ができていないヤツ。


 自分だけが安全圏にいて、一方的に他人を攻撃できる。そんな立場にあぐらをかいている人間は脆い。


 多少痛めつけてやれば、すぐに口を割る。


 逆に言えば、覚悟が決まった人間の口を割るのは困難を極めるということだ。



『お返しの法則』ビジネスの世界では『返報性の原理』とも呼ばれる法則がある。


 相手に良くしてもらったとき、何かお返しがしたい。そう感じる心理のことだ。


 スーパーの試食による販売。無料で粗品を配り、お人好しで判断力の鈍った老人に高値で布団を売りつける悪徳業者。


 こちらが恐縮してしまうほど丁寧な接客。他にも、あらゆる業種でビジネスの世界では幅広く使われている。


 この法則は良くしてもらったときに好意をお返しする方がクローズアップされるが、実はマイナス方面でも適用される。


 つまり、自分を攻撃した人間には攻撃的な『お返し』をするのだ。




 縛られて身動きが取れず、一方的に殴られている相手に『お返し』をするにはどうしたらいいのか? 相手の求めるものを与えなければいいのだ。


 相手が情報を欲しているなら、それを与えないことが攻撃になる。


 黙秘を貫こうとしても、拷問の苦痛に耐えきれず口を割ることはある。


 その場合は、嘘の情報を伝えればいいのだ。


 相手が欲しているのは『正しい情報』。それなら、正しくない情報を伝えることで相手へ『お返し』をする。


 そして、その情報が正しいかを精査する間は拷問が止まる。


 情報が嘘だとバレれば、拷問はより激しくなるかもしれない。それでも、しばらくは苦痛を先送りにできるのだ。


 そうやって何度も嘘の情報を吐いていると、尋問する方も何が正しい情報なのかがわからなくなる。


 拷問により限界を迎え口を割っても、嘘つきの言葉は情報の信頼度が著しく下がってしまう。


 また、嘘を繰り返し激しい拷問を受け極限状態になったヤツは『まともな状態ではない』自分で吐いた嘘を真実だと思い込んだり、真実と嘘を混同して情報がぐちゃぐちゃになっている場合もある。


 本人が正しい情報を話していると思っていても、その情報はすでに汚染されている可能性が高いのだ。


 どのみち殺されるなら、わざわざ苦痛を味わう必要はない。さっさと情報を吐いて楽になればいいのに。


 合理的に考えれば、それは正しい。


 しかし、すべての人間が合理的な思考をできるとは限らない。


 自業自得とは言え、自分を監禁して暴行を加えている相手に敵意を抱くのは自然な感情と言える。


 人は理性ではなく感情の生き物なのだ。


 それがいかに非合理的で生産性の低い行為でも、自分の気持を優先してしまう。


 そもそも、合理的に考えられる人間は『裏ギルドの金』を持ち逃げしようなどと思わない。


 ましてや、一緒に逃げようと考える女性がいるのだ。大切な人間を危険に晒してまで危険な行為を平然と行う人間が『合理的』な行動を選べるはずがない。


 そんな思考能力があるなら、最初からこんな事態には陥っていないのだから……。



 実話を元にした映画で、尋問に関する『闇』を描いた作品がある。


 その映画は、とある心理学者が情報機関に画期的な尋問方法を売り込むことから始まる。


 その内容はまったくのデタラメで、心理学者たちは肩書こそ立派だが尋問の素人であった。


 そんなメチャクチャな内容を尋問のプロである情報機関が信じて採用してしまったのだ。


 おそらくは半信半疑、怪しいと思ったはずだ。それでも、高確率に口を割らせる方法という『魅力的な商品』に飛びついてしまった。


 当然、正しい情報など得られるはずもなく現場は混乱。偽情報に踊らされ、多くの犠牲がでてしまった。


 情報機関は失態を誤魔化すため事実を隠蔽。


 偽の方法を売り込んだ心理学者は税金から多額の報酬を受け取り、情報機関は現場の信頼と税金を失った。


 尋問の専門家である情報機関すら、こんな胡散臭い話に飛びついてしまうほど尋問というのは難しいのだ。




 では、正しい情報を入手するにはどうしたらいいのか?


 ここで生きてくるのが『お返しの法則』である。


 人は攻撃されれば攻撃を返し、好意を向けられれば好意を返す。


 好意とは何か? ズバリ買収である。


 こちらが与えることで、好意的な『お返し』を受け取るのだ。


 こちらもまた実話を元にした映画で、テロ組織の首謀者を殺害するまでの過程を描いた作品が存在する。


 捕虜の尋問。捕虜を拷問して口を割らせるシーンから始まるこの映画もまた、尋問の難しさを描いている。


 拷問は熾烈を極めた。映画では描写されていない『うわさ』レベルの情報ではあるが、相手の信じる宗教を攻撃させたり教義で禁止されている同性愛行為の強要など、徹底的に相手の尊厳を破壊する行為におよんだと言われている。


 そうして得た情報は罠であり、犠牲者が出てしまう。


 結局、正しい情報を得られたのはテロ組織の人間ではなく金で転んだ第三者からの密告であった。


 第三者は情報機関と敵対関係ではない。なので、買収されたことで正しく『お返しの法則』が働いたのである。



 目の前で俺を睨みつけているこの男に買収は通用しない。


 こちらから提示できる利益は『楽に殺してやる』ことだけ。そして、お互いの関係は敵対状態である。


 この状態では、お返しの法則は正しく働かない。


 俺から提示できる利益は少なく、男とは完全な敵対関係。この状態をひっくり返すほどの利益を男に与える権限を俺は有していない。


 となると、別の方法で口を割らせる必要がでてくる。


 ここはファンタジー世界。もしかしたら、俺が知らない強力な自白剤などがあるかもしれない。


 そんなモノがあればとっくに使っているだろうが、聞いてみるだけならタダだ。


 俺はドミニクに質問してみた。


「ドミニク兄貴。口が軽くなる薬とかってないですよね?」

「あん? そんなもんあったら、貴族が独占してるわ」

「それは……確かに」


 呆れを含んだドミニクの返答を聞いて失敗を悟った。


 聴くだけならタダなんて軽い考えで聞いたが、アレ過ぎる質問をしたこと自体がよろしくなかったかもしれない。


 ドミニクの採点にマイナスの影響がでるかも……。


 俺は頭を抱えたくなったが、今から尋問する相手に情けない姿は晒せない。


 すでに手遅れかもしれないが、無表情を貫きなんとか体裁を取り繕った。

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