第146話 とびっきりの危険地帯

 クールさんの変化に戸惑っていると、クールさんが俺の質問に答えてくれる。


 俺は意識を切り替え、仕事モードで薬師ギルドとの契約を確認していく。


 俺の認識と冒険者ギルドに伝わっている内容に齟齬そごがないことが確認できた。


 ここで食い違いがあると、非常にめんどくさいことになっていたはず。とりあえず一安心。


 後は、キッチリ仕事をこなすだけである。


「他に、なにかご質問はございますか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 クールさんが急にデレた理由は分からないが、ギルドでの用事はつつがなく終了した。


 クールさんの変化は気になるが、今は仕事に集中しよう。


「ありがとうございました。それでは、採取に行ってきます」


 改めて礼を告げ、立ち去ろうとしたそのとき。


「ヤジンさん、グリューンへようこそ。これから、よろしくお願いしますね」


 クールさんは笑顔で俺に優しくそう告げた。


 え? グリューンへようこそ? 


 まさか……ギルドの会計にタッチできる人間ってのは。


 俺は驚き、目を見開いてクールさんを見た。


 そして気付く。


 クールさんの耳元に飾られた、綺麗な『緑色』の宝石があしらわれたイヤリングに。


 驚きを隠しつつ、俺がぎこちない笑顔を浮かべていると童貞殺しヴァージン・キラーが横から不機嫌そうに『フン』と鼻を鳴らす。


 その音に釣られて童貞殺しヴァージン・キラーを見る。


 彼女の胸元には、豊かな胸を美しく飾る『赤色』の宝石があしらわれたネックレスが在った。


 まさか……。


 ブワッと汗が吹き出す。


 やばい、やばい、やばい。


 今すぐ冒険者ギルドここから離れないと。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 俺は声が震えないように、なんとか言葉を絞り出す。


 そして、冒険者ギルドから逃げるように外へと向かった。




 やばい、本当にやばい。イカれてやがる。


 冒険者ギルドのギルドマスターは頭がおかしい。完全に狂ってやがる。


 なんで、ギルドの受付嬢ふたりが裏ギルドの人間なんだよ。


 なんで、教会にべったりな職員が昇級の確認なんて大事な作業をやってんだよ。


 なんで、みんなそんな状態で平気な顔して働いていられるんだよ。



 冒険者ギルドはとびっきりの火薬庫だ。


 この町の大きな勢力を自分たちの組織にあえて取り込むことで、勢力を拮抗させてやがる。


グリューン』『ロート』『教会』の三竦さんすくみを生み出すことで、特定の勢力に冒険者ギルドが乗っ取られないようにしているのだ。


 普通なら思いつきもしない。自分たちの組織に、あえて敵対組織を深く浸透させるなんてことは。


 普通なら思いついても実行なんてしない。あまりにもリスクが高すぎるから……。


 冒険者ギルドのギルドマスターが、何故このような行動に出たのか……俺には理解できない。


 うまくコントロールする自信があったのか。それとも、何処か特定の勢力に深く食い込まれ止む無く行ったのか。


 ただ、今のところ試みは上手くいっているようだ。


 冒険者ギルドは奇妙な均衡を保ち、いつも通り運営されているのだから。



 もしかしたら、ずっと何も起きないかもしれない。


 でも、明日爆発してもおかしくはない。


 そんな、危ういパワーバランスで冒険者ギルドは成り立っている。


『平和は次の戦争への準備期間である』なんてのは良く言ったもので、人は争っている状態こそが平常なのだ。


 人類の歴史を見ると、平和であった期間の方が短い。


 そして、戦争なんてのはほんの些細な理由で起こるものだ。


 その方が利益になる。勝てると思った。メンツのため。追い詰められて、何か大きな手柄が欲しかったから。


 もっともらしい大義名分を掲げちゃいるが、争いの理由なんてのは大抵つまらないものだ。


 争いを起こす人間は、それがどれだけ大きな『被害』をもたらすかなど考えもしない。



 今現在、争いが起きていないのはそっちの方が利益になるからに他ならない。


『戦争は儲かる』そんなイメージがあるかもしれない。


 都市伝説として語られる軍産複合体やら、死の商人と呼ばれる武器商人など一部の人間は儲かるのだろう。


 しかし、本来戦争というのは非常に不経済だ。


 経済活動は鈍化するし、人的資源を含むあらゆる資源がどんどん消費されていく。


 負ければすべてを失い、勝利しても負債を取り戻せるかは不明瞭。戦争は大抵の場合、リスクとリターンの見合わない行為なのだ。


 金持ち喧嘩せず。


 すでに儲かるシステムを構築した『金持ち』は現状を維持するだけでどんどん利益がでる。


 今、火薬庫である冒険者ギルドが平和なのは各勢力がそのことに気付いているからだ。


 今のままで十分利益が出ている。だから、無駄に争うことはない。


 非常に合理的な判断。


 できれば、ずっと拮抗状態を維持してもらいたい。俺の安全のために、そのまま安定して利益を稼ぎ続けて頂きたいのだ。


 しかし、人は感情の生き物。


 戦争というのは、争いというものは本当につまらない些細なきっかけで起きてしまう。


 火種はそこら中に転がっている。


 グリューンロートはここ最近、大きな抗争を起こしてはない。


 だが、下っ端はしょっちゅうやり合っている。


 毎日、お互いの組織の人間が殺されているのが実情だ。


 下っ端とはいえ、仲間を殺られた恨みは募っていく。


 権威の象徴である教会勢力も不気味だ。


 宗教というのは、立場を超越して人々に影響を及ぼす。


 なぜなら、神は人より偉いからである。


 どれだけ金を持っていようが、どれだけ高貴な生まれであろうが『神』と比べれば、所詮は『人』なのだ。


 あらゆる行動の優先順位トップを『神』にしている人間は、相手や自分の立場など考えない。


 最上位の神が、神の僕である『教会』がすべてにおいて優先される。


 また、冒険者ギルドも組織が蚕食さんしょくされるのを黙っているはずがない。


 コントロールは難しいが、裏ギルドのように組織化されていない無軌道な暴力装置である冒険者はたちが悪い。


 無軌道である分、何をしでかすかわからないからだ。


 最悪、町中に火を放って財貨を片っ端から盗んで逃げる。そんなマネすらする可能性があるのだ。


 統率の取れていない集団の暴力ほど恐ろしいものはなく、冒険者ギルドはおそらくいつでもその『最悪のスイッチ』を押すことができる。


 ギルドの酒場で飲み食いしているやつらは気がついているのだろうか? そこが、いつ爆発してもおかしくないとびっきりの危険地帯だということに……。


 薬師ギルドのギョームが排除される訳だ。


 おそらく、エムデンと同じ。俺を冒険者ギルドに対する取っ掛かり。小さな突起のひとつとして自分の勢力下に置きたかったのだろう。


 しかし、手を出した場所がまずかった。


 裏ギルドの人間が薬師ギルドに手を伸ばすのとは訳が違う。複数の勢力が絡んだ危険地帯。そんなところに、ギョームは手を伸ばしたのだ。


 自分ならうまく状況をコントロールできるとでも思ったのだろうか? それとも、複数の勢力が食い込んでいる冒険者ギルドに薬師ギルドの影響力がないことを憂慮ゆうりょしたのだろうか? どちらにせよ、冒険者ギルドに手を伸ばした時点でギョームの運命は決まっていた。


 薬師ギルドのギルドマスターも、本来はギョームを排除したくはなかったはず。


 ギョームは叩き上げでのし上がったのだ。かなり優秀だったことがうかがえる。ある程度の裁量をギョームに与えていことからも、ギルドマスターがギョームに一定の信頼を置いていたのは確かだ。


 それに、ギョームはおそらく汚れ役。名門貴族出身で平民にクリーンなイメージを持たれているギルドマスターは、表向きは綺麗で居る必要がある。


 有能で都合のいい汚れ役。ギルドマスターからしても、大事な駒だったことは間違いない。


 勝手にギルドマスターの名前を使ったのは確かにまずかった。増長もしていたのだろう。


 だが、ギョームが排除された理由はそこじゃない。


 微妙なバランスで成り立っている冒険者ギルドのバランスを崩そうと、いや崩す可能性がある行為を行おうとしたことだ。


 そのことを『上の人間たち』は許さなかった。


 薬師ギルドのギルドマスターも、ギョームを断罪せざるを得なかったのだろう。





 冒険者ギルドで感じる剣呑な視線。ふたりの美人受付嬢のギスギスしたやりとり。


 そんな表面上の出来事しか見えていなかった俺は、事実に気付いてから震えが止まらない。


 物事を見通す目には多少自信があった。


 しかし、それは虚しい思い込みだったのだ。


 俺が当たり前に通っていた冒険者ギルドは複雑に利権と欲が絡み合った魔境であり、いつ爆発してもおかしくない火薬庫。


 色恋営業を仕掛けるやべぇ地雷系や傲慢なクール系の受付嬢は犯罪組織の構成員。


 冒険者ギルドは狂信者や犯罪組織を受け入れるイカれた組織で、上の人間たちを怒らせるとギョームほどの大物でも簡単に処断されてしまう。


 気付いていないだけで、この町にはそこらじゅうに地雷が埋まっている。気付かず踏み抜けば命はない。


 危険なモンスターの生息する森より、町のほうがよっぽどやばい気がしてきた……。


 すべてを捨てて、別の町へと逃げるか? いや、ここよりマシとは限らない。


 森で一生引きこもる? 文明の味を覚えてしまった俺には無理だ。


 それに、転生前でも同じような状態だったのだろう。


 前世は世間に綺麗に見せるのが上手くなっただけだ。本質的には変わらない。裏ではドロドロした人の欲が渦巻いていたのだ。


 その手の話はいくらでもあった。でも、操作された情報を鵜呑みにして気付かないフリをしていただけ。


 結局、汚いものから必死に目をそらしていただけなのだ……。


 議員秘書に自殺、疑惑の人物が行方不明になる。


 そんなできごと、いくらでもあったじゃないか。


 世界が変わろうと、人の本質は変わらない。


 いい人もいる。あったかい人もいる。


 でも、悪党だって何処にでもいるのだ。


 俺が人と関わっていく以上、逃げ続けることはできない。


 グリューンに入ったことで、前より『見える』ようになっただけ。いや、今までのように『見ないフリ』が許されなくなっただけなのだ。


 危険から自力で身を守る必要がある以上、何も知らないよりはマシ。


 嫌なことに気付いてしまったが、知識を得た分リスクを回避できる可能性が高まったと思うことにしよう。


 パピーと幸せに生きる。そのためには、いつまでもビビっちゃいられない。


 背中に感じる温もりが、俺に勇気をくれる。


 恐怖を乗り越えるように、俺は力強く歩を進め森へと向かった。

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