第145話 マジどしたん?

 ハードな初出勤を終えた俺は、パピーの待つ宿へとたどり着いた。


 宿に入ると、いつも俺に嫌な目線を向けていた商人たちや一部の従業員が目線を下げうつ向いている。


 複雑な気分だが、舐められるよりはいい。


 今日の出来事が噂になって、彼らの耳に入ったときどのような反応を示すのだろうか……。


 彼らがビビって宿を変えたり、従業員が仕事を辞めてしまうと営業に支障がでてしまう。


 行き場の無い俺を泊めてくれたいい宿だ。迷惑がかかるなら、別の場所に移動しなければならない。


 ドミニクに一軒家でも紹介してもらうか……。



 自分で家事をこなすのは少々面倒だが、気兼ねなくパピーと二人暮らしができるのは魅力的だ。


 それに、市場に地球と同じような食材を多く見かけた。前世で親しんだ料理を再現してみるのもありかもしれない。


 そんなことを考えながら、レストルームへと移動する。


 洗面所に備え付けてある石鹸を使い、しっかりと手を洗う。くんくんと匂いを嗅いでみると、柑橘系の爽やかな香りがした。


 もう、血の匂いはしない。


 これなら、パピーを撫でても嫌な顔はされないはずだ。


 急な外出でパピーには心配を掛けた。


 部屋に戻ったら、しっかりコミュニケーションを取ろう。







 昨日はパピーと戯れ、しっかりと英気を養った。


 本日は本業のお時間である。


 装備を確認して、リュックに荷物を詰め一度背負ってみる。うん、バランスが取れている。


 荷物の中身はOK。入れる順番もこれでよし。重心のバランスもこれでいい。装備や荷物は問題なしと。



 パッキングは地味だが重要な要素だ。荷物の位置で歩きやすさや疲れが変わってくる。


 俺はなるべく最小の荷物で短期間に採取を終わらせるスタイル。荷物の量はそんなに多くない。


 あまり神経質にならなくてもいいとは思うが、これから行くのは危険なモンスターの生息域。


 僅かな差で命を失ったり、拾ったりすることも有る。命がかかっている以上、慎重過ぎるぐらいでちょうどいい。


 パッキングは上手くいったが、リュックがもう少し体に密着してくれると動きやすいんだけどなぁ。


 買い物のたびに探してはいるのだが、なかなか好みの品に出会えない。今度、エマさんに依頼してみようかな。


 折りたたみ式スコップをベンに依頼するのもありだ。


 せっかく、腕の良い職人と知己を得ることができたのだ。冒険に役立つ細々としたものを依頼してみよう。


 横にそれた意識を戻し、準備を完了させる。


 準備を終えた俺は、パピーをフードに入れ宿を出た。





 日が昇ってすぐの時間。周囲は薄暗く、登った太陽が闇を侵食しグラデーションを作り出している。


 朝焼けの作り出したコントラスト。陽の光から隠れるように、町は薄暗い。


 前世でみた日の出より綺麗に見えるのは、空気が澄んでいるからだろうか。


 しばらく進むと、冒険者ギルドの看板が見えてきた。


 田舎の町は違うが、トゥロンほどの大都市ともなれば冒険者ギルドの営業時間は長い。


 町の門が開く日の出から、門が閉じる夜まで営業している。


 早朝に開くのは、よその町からきた『護衛専門』の冒険者たちの依頼完了の手続きを行うためだ。


 門での混雑や待ち時間を避けるため、前日から門の前で夜を明かす商人は多い。そのため、街に入るのが早朝になることもあるのだ。


 町に入り、ギルドで依頼完了の手続きをしたくてもギルドが開いていない。そんな事態を避けるため、人の集まる町は早くからギルドが開いている。


 早朝からギルドが開くので、掲示板に張り出される依頼も早朝に更新される。


『美味しい依頼』は早いもの勝ち。


 美味しい依頼を求めて、数少ない勤勉な冒険者は掲示板に張り付く。


 真剣に掲示板を吟味する冒険者を尻目に、カウンターの受付嬢の元へと向かう。


 薬師ギルドとの話し合いで、依頼の条件が色々変わっている。


 冒険者ギルドでもそのことを把握しているか? 俺の認識と齟齬がないか? それらを確認するためだ。


 カウンターには、クールさんと童貞殺しヴァージン・キラーのふたり。


 いつも通りキリッとしたクールさんと、早朝で気だるそうに髪の毛をいじっている童貞殺しヴァージン・キラーの対比が面白い。


さて、どっちの受付に行こうか。童貞殺しヴァージン・キラーは厄介なので、普通ならクールさん一択だ。


 しかし、クールさんはクールさんでなかなかの曲者くせもの


 鍛冶屋を紹介してもらうとき、クールさんはベンたちの工房へ紹介状を書いてくれた。


 その御蔭で助かったのだが、冷静に考えれば善意からの行動じゃない。


 あえてそう見せている部分もあるため、俺の装備はかなり貧相にみえる。そんな貧相な装備の冒険者に町一番の鍛冶師を紹介する。


 前世で例えるなら、新社会人に一見いちげんさんお断りの最高級テーラーを紹介するようなものだ。


 場違い感が半端ない。


 紹介状があっても、まともに相手にしてもらえるかは怪しい。


 職人なんてのは気難しい人間が多いのだ。


 幸い、ベンとエマさんは気難しいタイプではなかった。


 俺も、前世のお陰で冒険者にしては最低限の礼儀作法はできている。


 運良く、二人の歓心を買うための知識も持っていた。


 すべてが上手く転がったから良かったものの、悪い方に転がっていたら目も当てられない。


 門前払いならまだマシな方。工房地区に悪い噂が広まり、装備の更新が難しい状況に追いやられていたかも知れない。


 工房地区の警備をしていた人たちが俺を怪しんで拘束したのも当たり前なのだ。


 へんな客を紹介した冒険者ギルドの心象も悪くなるが、そこは巨大組織の傲慢さといったところであろうか。


 一職人の気分を害そうが、自分たちの立場は揺るぎないと思っているのだろう。


 おそらく、交渉で『冒険者ごとき』が条件を付けたことが気に入らなかったのだ。


 いや、クールさんはプライドが高そうだ。


 俺ごときに条件を飲まされたのが気に入らなかったのかもしれない。


 たかがその程度で軽いとは言えリスクを犯して嫌がらせをするのか? おそらく、してもおかしくはない。


 社会的地位が高い人間は傲慢になりやすい。そういった人や組織を怒らせると、本当にくだらないことで嫌がらせをしてくるのだ。


 前世でも、覚えがある。


 う、頭が……。




 冒険者に色恋営業を仕掛けて利益を吸い取るタイプのやべぇ地雷『童貞殺しヴァージン・キラー』。


 プライドが高く、自分が気に食わないと嫌がらせをしてくる『傲慢なクールさん』。


 正直、どっちもやばくて相手にしたくない。


 このまま回れ右して、別の職員が出勤してくるのを待ちたいところではあるが……。


 薬師ギルドとの取り決めで納品の間隔が前より短くなってしまった。


 無駄に時間を浪費するのはよろしくない。


 ものすごく迷った挙げ句、俺はクールさんに話しかけることにした。


 童貞殺しヴァージン・キラーより、クールさんのほうがまだ話は通じそうだしな。




 クールさんのいる受け付へ向かい、少しビビりながら話しかける。


「あの、薬師ギルドの依頼についておうかがいしたいのですが……」

「はい、ヤジンさん。薬師ギルドの依頼に対してのご質問ですね」


 俺が尋ねると、クールさんがめちゃくちゃ笑顔で答えてくれる。


 え? マジどしたん? 急にデレたんだが……。


 属性が腹黒クールから、クーデレになったのだが……。


 あれ? また俺なにかフラグ立てちゃいました?

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