第144話 抜けるような青空

 ドミニクの存在感に目を奪われていた衛兵たちは、ようやく商人のおっさんに気付いた。


 首からダランと舌をぶら下げた、異様な光景を見てしまった衛兵たちは絶句する。


 そりゃそうだ。まともな神経の持ち主ならこんなことは思いつかない。俺も、前世の知識があるからやっただけ。


 凡人の俺には、ここまでの邪悪な独創性クリエイティビティは存在しない。


 未だにガフガフと血で溺れている商人を、若干引きながら見つめる衛兵たち。


「ドミニク、これはお前が……」


 職業柄、毅然とした態度を求められる衛兵たち。


 しかし、相手が『首狩りドミニク』であることと、目の前の異様な光景に恐怖を感じているようだった。


「いや、コレはうちの新人がやったのよ。ヤジンってんだ、まぁよろしく頼むわ」


 俺の肩に手を置いて、衛兵たちに紹介するドミニク。


「ヤジン、お前がコレをやったのか……」


 衛兵の一人がつぶやくように言った。


「お前、あいつと知り合いなのか?」

「えぇ、まぁ。あいつ、アルフォンスさんと仲が良いんです」

「アルフォンスと? そうか、あいつは顔が広いからな……」


 俺の名前を知っていた衛兵には見覚えがあった。


 アルフォンスさんに差し入れを持っていったとき、たまに見かける顔だ。


 何度か、短いながら会話したこともあるのだが……完全に他人のフリをしてやがる。


 そりゃまぁ、そうだよな。こんなヤベェマネするクレイジーなヤツと『顔見知りです』なんて言えんわな。


 これがゲームなら、衛兵Aの友好度が下がった! そんな感じだろうか……。


 おそらく、衛兵の間で俺がやべぇやつだと情報が出回る。今まで普通に接してくれていた人たちも、態度を変えるかも知れない。


 それも仕方がないことだ。


 裏ギルドと衛兵は対極に位置する存在。上層部はズブズブの関係でも、下の人間はそこまで割り切れない。


 衛兵たちとの関係を切るつもりはないが、関係性は大きく変わるはず。


 それでも構わない。


 搾取する対象から、警戒は必要だが付き合えば旨味の有るヤツに関係を変化させればいいだけ。


 一方的に搾取の対象として見られるより、こっちの関係性の方が幾分かマシだ。


「ドミニク、あまりやりすぎるなよ」

「はいはい、お仕事ゴクローさん」


 捨て台詞を吐いて去っていく衛兵たち。


 ドミニクは面倒くさそうに返事を返す。衛兵に対するドミニクの態度がさっきより悪い。


 おそらく、商人のおっさんを見てビビった癖に無理して偉そうに振る舞っている姿が気に入らなかったのだ。


 こんなビビリに、偉そうに言われたくねぇ。まともに相手にする価値もねぇ。まるで、そう言わんばかりの態度であった。


 衛兵とドミニク。両者の格の違いは明白であり、その格の違いは野次馬たちに印象付けられたはず。


 狙っているのか天然なのかは分からないが、ドミニクはこういう振る舞いが上手い。


 分かりやすく他人を抑圧したり、横柄に振る舞わなくても周囲に上下関係をはっきり示すことができる。


 裏ギルドの人間でありながら、角を立てずに上下関係を決定付けるのだ。


『虐殺担当』というイカれたポジションの癖に、エムデンの右腕が務まっているのはこういう部分が有るからなのかもしれない。


 衛兵たちが去り、体感時間で数分ほどのち……商人のおっさんは死んだ。首からダラリと舌を垂らし、苦悶の表情を浮かべながら。


 気の弱い人間なら、一生忘れられないほど強烈な死に顔。


 おっさんの妻は泣くこともせず、まるで魂が抜けたかのように呆然と空を見ていた。娘は歯を食いしばり、涙を堪えながら震えている。


 裏ギルドから金を借り、返すどころかギャンブルに突っ込んだクソ野郎。殺されて当然のクズでは有るが、巻き込まれた母娘には同情を覚える。


 しかし、いちいち同情していては身が持たない。


 おそらく、今後このような『お仕事』をたくさんこなしていくのだから……。




 おっさんの死を見届けた後、ドミニクが手を洗う水を用意してくれた。


 聞こえてくるヤベェ噂とか、ぶっ飛んだ肩書の持ち主の癖に細かな気遣いができるんだよなぁ。


 まともな職業なら、実は『理想の上司』なのでは? そんなことを考えながら血と粘液に塗れた手を洗っていく。


 コレが初めての殺しなら、いくら洗っても血が落ちねぇんだよぉ! なんて風に錯乱していたのかもしれないが、俺の手はすでに血で汚れている。


 桶の血が赤く染まろうと、心は乱れない。


 綺麗になった手の匂いを嗅ぐと、生臭い血の香りがした。


 水を替えてもらい、再び手を洗う。


 あんなヤベェおっさんの血だ。何か病気を持っているかも知れない。


 しっかりと洗わないとな。


 宿に戻ったら、石鹸で手を洗うことにしよう……。




『初めてのお仕事』は見事失敗! 回収金は金貨ゼロ枚。コレが普通の会社なら、駄目社員の烙印を押されるところである。


 ただ、今日俺に求められた仕事は金貨の回収じゃないはず。


 俺に単純な借金取りをさせたいなら、わざわざドミニクを寄越すはずがない。


 殺し担当で普段は仕事が少ないとはいえ、ドミニクも幹部のひとり。


 新入りの下っ端にわざわざ付いてくるほど暇じゃない。


 そして、新人に初めてこなさせる借金回収の仕事として今回のケースは明らかに不向き。


 回収金額も多く、回収も困難な案件を『初めてのお仕事』に持ってくるのは不自然だ。


 そこらの雑な組織ならありえることかも知れないが、あのエムデンがその程度の采配をミスるはずがない。


 つまり、この仕事は最初から金銭の回収を目的としていないのだ。


 俺にそのことを告げなかったのは、おそらくテストのため。


 教育を受けていない人間というのは、指示待ち人間が多い。自分で考えて動く、相手の意図に気付くというのは、言葉や文章の理解、論理的な思考の組み立てという作業を何度もこなさないとなかなか身につかないのだ。


 よく、使いもしない方程式や古文なんかを勉強しても意味がない。そう主張する人がいる。


 俺も、学生時代はそう思っていた。


 ただ、アレは単純に知識を詰め込んでいるのではなく論理的な思考だったり、全体を把握して正解を導き出す方法だったり。


 社会に出て必要とされる能力を鍛えるためでも有るのだ。


 テストの点数で優劣をつけるため、どうしても詰め込み暗記ゲーになりがちだ。


 そのため気付きにくいが、学校の教育というのはしっかり社会を生き抜くために必要な要素を鍛えてくれている。


 指示を無視して暴走するのはアウトだが、自分で考えて動く。相手の意図を正確に読み解く。そういった能力は教育の行き届いていない世界では貴重なのだ。


 エムデンは短いやり取りで、俺にそういった素養があると気付いたのだろう。


 そのためのテスト。


 与えられた課題を正確に把握して、エムデンやドミニクの望む行動を取れるかどうかを試したのだ。


 そして、俺に求められた行動は恐怖を振りまくこと。


 人は未知を恐れる。俺のような容姿をした人間はこの町に存在しない。


 貴族なら珍しいペットとして珍重するだろう。


 町の人間なら、見たこともない人間をコミュニティから排除しようとする可能性が高い。実際、差別の対象になり嘲笑されることもあった。


 良くも悪くも、珍しいモノ、知らないモノというのは普通とは違う価値を生み出す。


 エムデンは、その未知という価値を『恐怖』へと利用しようとした。


 見たこともない人種が残虐な行為をする。それだけで人々は脅威の対象とみなす。


 何の後ろ盾もないなら、全力で排除しようと動くレベルの存在だ。


 しかし、俺の後ろには裏ギルド『グリューン』がある。見たこともない、残虐で恐ろしい怪物は、もっと恐ろしい存在の首輪がついているのだ。


 人々は俺を排除できず、俺の悪名が轟くほど飼い主であるグリューンはより恐れられる。


 見たこともない人種。


 アジアンフェイスの俺を差別の対象として侮蔑するのではなく、未知に対する恐怖として使う。


 俺の素養を見抜いた上でだ。


『金貸しエムデン』彼の目には、世界はどのように見えているのだろうか……。


 政治の世界を牛耳る老人や、経済界のフィクサーをよく『妖怪』などと表する事がある。


 権力の座に君臨する存在は、文字通り人を超越した存在なのかもしれない。


 


 洗い終わった手を布で拭いていると、色々と指示していたドミニクが寄ってきた。


「おう、お疲れさん。今日はここまででいいぜ」


 ドミニクがそういいながら、俺に革袋を渡してくる。受け取った革袋にずっしりとした重みを感じる。


 重さからして、金貨だろうか。


「ドミニク兄貴、これは?」

「今日の手間賃だ。とっとけや」


 ドミニクはそう告げると、二カッと笑った。


 俺は受け取った革袋の中身を取り出す。


「おい、そういうのは普通裏でこっそり開けるもんだろ!」


 ドミニクの突っ込みを聴きながら中身を確認すると、金貨が十枚入っていた。俺が借金をすべて回収したとき、手にできる金額と同額。


 一般的な生活をするなら、数年は暮らせる金額である。


 俺は受け取った金貨から三枚掴むと、ドミニクに渡す。


「あん? なんの金だ?」

「上納金です。受け取ってください、兄貴」


 ドミニクはポカンとした後、大笑いした。


「がっはっは。そうか、上納金か。おう、受け取った。ヤジン、おめぇ長生きするぜ」


 いつ死んでも可笑しくない世界だ。とくに裏で生きるドミニクにとっては、最上級の賛辞かもしれない。


「ありがとうございます。ドミニク兄貴。それで、俺は合格ですか?」


 俺がそう尋ねると、ドミニクは嬉しそうに言った。


「おう、合格だ。ようこそ、俺たちの部隊へ。歓迎するぜ」


 こうして、俺の初仕事は無事終了したのだった。





 初仕事を終え、宿へと戻る帰り道。


 人気のない裏路地に入った俺は、我慢していたモノを吐き出す。


「オエェ」


 びしゃびしゃと嘔吐物が地面に落ちる音が響いた。


 人殺しには慣れている。拷問も初めてじゃない。


 なのになんで、こんなにも気持ちが悪いのだろう。


 こんなときいつも頭に浮かぶのは、道場の子供たちだった。


 しかし、今は俺を教え導いてくれた師の顔が浮かぶ。


「館長、俺反社になっちゃったよ」


 俺が呟いた言葉は、抜けるような青空へと吸い込まれていった。

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