第142話 一生懸命生きてんだ
「え?」
太腿にナイフを突き立てられたおっさんは、何が起きたか分からず間抜けな声を出していた。
俺は突き立てたナイフを引き抜くと、冷めた目でおっさんを見る。
「ぎゃあああああ。痛い、痛い、痛いぃぃぃ」
状況を理解したからなのか、それとも脳が痛みの信号を受信したのか。
太腿を押さえながら、おっさんはのたうち回る。
「なんで? なんで刺した! お前、ワシの価値が理解できていなのか!」
今までの仮面を脱ぎ捨て、おっさんが鬼の形相で俺を睨む。傷口を押さえ、牙を剥きながら俺に吠え続ける。
「読み書きも計算もできる! それなりに大きな商売もしてきた! ワシは高く売れる! 貴重な人材なのに、それをこの阿呆が!」
なるほど、このおっさんの危機感のなさはそういうことか。
奴隷に落ちたとしても、それなりの待遇で暮らせると高をくくっていたのだ。
自分は能力の高い貴重な人材だと。
だけど、それは間違いだ。
このおっさんは視野が狭い。商売を失敗するのも納得だ。
「それはねぇ。おっさん、オメェには銅貨一枚分の価値もねぇよ」
「何を言って! それに、さっきからおっさんおっさん失礼だ! ワシは」
逆ギレして怒鳴り散らすおっさんの声を遮って俺は言った。
「テメェの名前なんざ興味はねぇよ。今から死ぬ人間の名前なんて覚えても意味ねぇだろ」
「なッ……」
おっさんが絶句する。
自分の価値をアピールしたから、自分は安全だとでも思っていたのだろうか。
「さっきも言ったが、オメェには銅貨一枚分の価値もない」
「そんな訳ないだろ! アンタ、さっきから何が言いたいんだ!」
「誠実さが足りない」
「は?」
裏ギルドの人間から出るとは思えない言葉に、おっさんは絶句していた。周囲の野次馬たちも、頭にハテナを浮かべている。
「おっさん、アンタ『エムデンさん』を舐めてんだろ」
「な、何を言っている。そんな訳……」
「じゃぁ、なんで母娘を叩き売らなかったんだ?」
「は? どういう意味だ」
「俺たちが金を回収しにくる前に、なんで自分から母娘を叩き売って金を作らなかったんだよ」
俺の言葉が理解できないのか、おっさんも野次馬たちも固まっている。
ドミニクだけは、面白そうにニヤニヤ笑みを浮かべ俺を見ていた。
「商売に失敗して金が返せませんでした、それは分かる。だったら、その時点でなんで返せるだけ金を用意して返さねぇんだよ」
「そ、それは……」
「母娘叩き売って、テメェの髪でも歯でもなんでも引っこ抜いてなんで金に変えねぇんだよ。用意できる精一杯を用意して、それでも足りなくて申し訳ないです。自分の命で残りは返します。なんで、そうならねぇんだよ」
「……」
「エムデンさんを舐めてるからそうなってんだろ? エムデンさんから借りた金に対して、誠実に対応する必要はねぇ。そう思っているからだろ?」
「ち、違うワシは」
「違わねぇ。テメェは自分で扱う金にも、借りた金にも不誠実なんだよ。そんな人間を重用するヤツはいねぇ。テメェの能力がどれだけ高かかろうと、テメエの価値はそこらへんの奴隷以下だ」
返答に窮したのか、おっさんは何も言えなくなる。
「テメェは金にならねぇ。そして、エムデンさんを舐めた。生かしておく理由があるか? 見せしめにテメェを惨殺するぐらいしか利用価値がねぇだろ。せいぜい派手に泣き叫んでくれや」
ありったけの殺意を込めておっさんを睨むと、おっさんは半狂乱で叫ぶ。
「嫌だ、嫌だ。嫌だー! なんで、たかが金貨百枚ごときで殺されるんだ! 嫌だぁぁぁ」
その言葉を聞いた俺は、ブチギレそうになる。
たかが金貨百枚? 貸した側が言うならまだしも、借りた側のテメェが言うのか!
「ワシは有能なんだ! 金貨百枚上の価値があるんだ! キサマ、後悔することになるぞ!」
「確かに、命は金で買えねぇ」
「そうだ、ワシの命は金貨百枚ごときじゃ買えない!」
「でもよぉ、金が無いから無くなる命もあるんだよ」
頭に浮かぶのはスラムのガキたち。
「何を言って……」
「テメェ、スラムのガキがパンを盗んでぶっ殺されるのを見たことあるか?」
俺の問いかけにおっさんは混乱しながら答える。
「そりゃ、見たことあるが……」
「スラムのガキは銅貨数枚のパンを盗んで殴り殺されるんだ。殴り殺した店主はガキを殺して喜ぶ人でなしだと思うか? それは違う。かわいそうだからと見逃すと、スラム中のガキが寄ってきて店が潰れるからだ。自分や家族の暮らしを守るため、ガリガリの痩せた『かわいそうなガキ』を棒で殴るんだ」
「……」
「金で命は買えないが、金があれば助かる命はいくらでもある。金貨百枚あれば、何人のガキが大人になるまで生きられるだろうな? 大人になれば冒険者や娼婦として暮らしていけるかも知れない。ガキを殴り殺したあの店の稼ぎはいくらだろうな? オメェの店と違って銀貨数枚か? でもよ、あの店の店主はその稼ぎを、暮らしを守るためにガキを殺すんだ。心を鬼にしてな」
俺は周囲の野次馬を見渡しながら続けた。
「この中にいる人たちは金貨百枚なんて一生お目にかからないような人もいる。でもよ、それでも……一生懸命生きてんだ。一生懸命生きて、必死に稼いで生きてんだよ! 金に誠実じゃねぇヤツは命を粗末にするヤツだ。そんなやつの命が、大切なはずねぇだろうがぁ!」
俺はそう叫ぶと、無事だった方の太腿にナイフを突き立てる。
「ぎゃあああああ」
おっさんの悲鳴が再び響く。
しかし、野次馬の視線は冷たい。
さっきナイフを突き刺したときは、周囲の野次馬からおっさんに対する同情と俺に対する非難の視線を感じていた。
今は違う。おっさんの対する同情も、俺に対する非難も感じない。
野次馬たちは俺の叫びを聞いて思ったのだ。こいつは殺されても仕方のない人間だと。
さっき叫んだことは、俺の本心だ。
しかし、周囲の民衆に対して下心があったのも確か。
恐れられるのは構わない。だけど、嫌われるのは駄目だ。
今からおっさんを見せしめに惨殺する。
そこに恐怖はあっても、憎悪があってはならない。
本来は目立たず生きていたかったが、こうなった以上周囲の民衆たちの意識をある程度コントロールする必要があった。
おっさんを哀れな被害者から、金を雑に扱ういけ好かない金持ちのクズに変える必要があったのだ。
勢いで押し通した感はあるが、民衆は流されやすい。
そして、敵に回った民衆は恐ろしく冷たい。
舞台は整った。
後は、おっさんをできるだけ残酷に殺すだけ。
もし死後の世界があるなら、俺は確実に地獄行きだろうな。
そんなことを考えながら、俺はおっさんに近付いて行った。
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