第139話 大人のいじめ

 怪物エムデンの強烈な圧迫面接を終えた後、宿に帰った俺はベッドにダイブした。


 MPがごっそり削れ、虚ろな目をしているであろう俺を心配してパピーがベッドに駆け寄ってくる。


 駆け寄った勢いのまま、俺のお腹へとダイブするパピー。


 癒やしを求めた俺の手は、自然とパピーを撫で回していた。


 はぁー、癒やされるわぁー。アニマルセラピー最高。パピーさんの可愛さ、ホンマ五臓六腑に染み渡るでぇ。


 パピーがいなかったら、俺はどうなっていただろう? 精神がぶっ壊れ、スラムで廃人になっていた? 冒険者どうぎょうしゃにあっさり殺されていた? おそらく、ろくなことになっていない。


 ありがとうの気持ちをありったけ込めてパピーを撫でる。


「わふぅ」とパピーが嬉しそうに目を細めた姿を見て、胸が締め付けられた。


 恋人やペットに依存する人の気持がよく分かる。


 この癒やしを失ってしまったら、そう考えるだけで背筋が寒くなる。


 でも、いつまでも一緒にはいられない。


 パピーも成長したらツガイを探し子孫を残すのだろう。一緒に森で暮らすという選択肢もあるが、現実的じゃない。


 いつか、パピーと別れる日がくる。


 その日まで、パピーがモンスターの領域でも一人で生きていけるようにパピーを守り育てる。


 それまでは、死ぬ訳にはいかない。


 したたかに生きると誓ったのだ。エムデンすら利用してうまく立ち回ってやろうじゃねぇか。


 いつか君が俺の元を離れるまで、それまではずっと一緒に……。


 そんなことを考えながらパピーを撫でているうちに、眠りが俺を優しく包み意識が遠のいていった。





 パピーに癒やされながら少しセンチメンタルになってしまったが、MPはかなり回復している。


 起床して、顔を洗い歯を磨く。


 動的ストレッチで体をほぐした後、空手の基礎練習を行う。突き一本。蹴り一撃に神経を張り巡らせ、極限まで集中する。


 時間は有限。ならば、練習にひとつひとつの動作の内容を濃くして効率を上げる。


 漫然まんぜんと突くのではなく、高い目的意識を持って突くのだ。


 体ではなく、脳が先に疲れるほど深く集中する。


 正しいフォームで全身をスムーズに連動させて突く。


 相手を想像してしっかり人体の急所を打つイメージで突く。


 動き出してから突き終わるまで最速最短で動けるように突く。


 一定のリズムで惰性で打つのではなく、緩急を意識しながらどのようなタイミングでも『質』が変わらないように突く。


 突きを突くという動作の神経系が発達するよう、反復動作を脳に刷り込むよう突く。



 それほど本数は多くない、それでいて脳が疲れるほど濃密な基礎稽古を終えた俺は体を清める。


 その後、装備の確認を行う。


 確認は毎日行っている。依頼をこなしていない日でもだ。人は慣れてくると、どうしても雑になってしまう。


 装備の状態や備品の有る無しは命に関わってくる重要な要素。


『めんどうくさい』に負けて、自ら死神に飛び込むようなマネはしたくない。





 いつものルーティーンを終え、パピーとまったりしていると人の気配が近付いてくる。


 同じ階の住人ならばいいのだが……そう考えていると、俺の部屋の前で気配の主が止まった。


 足音や気配の感じから、おそらくコンシェルジュさんだと思うが……一応警戒はしておく。


 いつでもナイフを抜けるよう手を掛けて意識を集中させていると、コンコンとドアがノックされた。


「はい」


 俺は短く返事をすると、警戒しながらドアを開ける。


 ドアを開けた先には予想通りコンシェルジュさんが立っていた。


「御寛ぎのところ失礼いたします。ヤジン様、お客様がエントランスでお待ちです」


 俺はコンシェルジュさんの態度に違和感を覚えた。


 いつも通り丁寧ではあるが、少し硬いというか焦っている感じがしたのだ。


 おそらく、俺を訪ねてきた『客』とやらが関係しているのだろう。


 ろくでもない相手だと確信した俺は、小さく『ふぅ』とため息をこぼすと、回路パスでパピーに部屋で待っているように伝える。


 コンシェルジュさんにパピーを見られないよう、開けたドアからヌルリと抜け出した俺は意識を完全に戦闘モードに切り替えた。




 コンシェルジュさんのに先導されエントランスに着いた俺は、見覚えのある人物を見かけた。


「おお、ヤジン。なかなかいいところに住んでるじゃねぇか。気に入ったぜ!」


 そう言って朗らかに笑うのは、昨日別れたドミニクだった。


「ドミニクの兄貴じゃないですか! どうしたんですか?」


 俺がそうたずねると、ドミニクは二カっと笑いながら大きな声で言った。


「エムデンさんがオメーに仕事を回すって言っただろ? 俺が仕事を教えてやることになったんだ」


 ドミニクが周りに喧伝するように『エムデン』の名前を告げる。


 周囲で興味深そうに俺を見ていた商人たちが、露骨に目をそらす。


 彼らは、場にそぐわない宿泊者である俺を嫌っていた。


 直接なにか嫌がらせをされた訳じゃないが、陰口を叩かれたり嘲笑されたりはしていたのだ。


 俺もガキじゃない。


 ホテルの理念に胡座をかいて『蛮族の冒険者』が高級ホテルに居座っている現状を苦々しく思う宿泊客が多いのは分かる。


 逆の立場なら、俺も眉をひそめたかも知れない。


 ただ、仕方がないとわかっていてもムカつくものはムカつく。そのムカつく商人たちが顔を青くして下を向いているのだ。


 貧乏くさい冒険者が身の程もわきまえず、自分たちのテリトリーに居座っている。そのことを不快に思いネチネチと嫌がらせをしていたら、首狩りドミニクの登場だ。


 そして、そのドミニクから『エムデン』の仕事を受けている人間だと喧伝されたのである。


 軽い気持ちで嫌がらせをしていた人間が『反社の関係者』だった。


 そりゃ顔色も悪くなろうってもんだ。


 虎の威を借る狐のようで情けなくは有るが、正直ものすごく気分がいい。


 これが『ざまぁ』か。


 リスクもでかいがリターンもでかい。『エムデン』という強力なお守りがさっそく効力を発揮していた。




『首狩り』なんて二つ名が付いているドミニクだが、頭も回るようだ。エムデンの側近の一人なのだから、馬鹿では務まらないのは当然といえば当然なのだが……。


 さっきの一言で、俺を『エムデン』の関係者だと周知した。俺に変なちょっかいを掛けるなと牽制してくれたのだ。


 状況から判断したのか、それとも俺が嫌がらせを受けているという情報を何処かから仕入れたのか。


 どちらにせよ、さっきの一言で俺は『大人のいじめ』から解放されてしまった。


 ドミニクに借りができたってことだ。


 エムデンの名前を出すだけで、周りの態度が一変する。これが権力。この力は、人を狂わせるには十分な魅力を持っている。


 しかし、この力は借り物の力だ。


 自分が偉くなったと勘違いした瞬間、薬師ギルドのギョームのように破滅する恐ろしい力。


 調子に乗らないよう心に誓いながら、俺はドミニクにできてしまった借りをどう返そうか頭を悩ませていた。

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