第137話 兄貴
エムデンの意図が読めず、俺が混乱しているのもお構いなしにエムデンは続ける。
「上納金は稼ぎの三割。お前は冒険者だったな。ギルドから直接徴収するから、金は持ってこなくてもいい」
は? ギルドから徴収? そんなことできるのか? 俺が困惑していると、エムデンは続けて言った。
「薬師ギルドでの小遣い稼ぎはまぁ、見逃してやる」
何故それを知っている? 事務長と話が出ただけで、まだ一度も取引をしていないのに?
情報量が多すぎて処理しきれない。頭の回転が速い人間は平凡なアホのペースなど考えもしない。
俺の残念な脳みそは、ようやくエムデンが出した最初のトピックスに追いつく。
上納金が三割? ギルドの報酬から税金で抜かれて、その中から衛兵たちへの賄賂を出している。
ベンたちへの支払いもあるし、正直カツカツだ。
そこから三割? これじゃ、他人に金を払うために働いているようなモノ。
薬師ギルドがファモル草以外の薬草を買い取ってくれる契約だが、うまく形になるか分からない。
治安の問題などから、宿のランクを下げるのはリスクが有る。
出費を落とすとなると、食費となるが体が資本の冒険者でそこは削りたくない。
エムデンと交渉してなんとか減額を……。
交渉する? 俺が、この怪物と? 無理だ。対等な口を聞くことすら危険な相手に、大した交渉材料も持たない状態で交渉なんて自殺行為。
嫌な予感がグルグル廻り、背中が汗でビシャビシャになる。
それなりに稼いでいると思っていたが、まさか一瞬で経済的に困窮するとは……。
「いきなり三割と言われてもキツイだろ? 安心しろ、美味しい仕事を回してやる」
俺の心の機微を捉えたとしか思えないタイミングで、エムデンから助け舟が出された。
追い詰められた俺は、一瞬『助かった』と思ってしまった。
落ち着け俺、追い詰められたのは目の前の人物のせいだ。それを解決してもらっても、プラマイゼロ。なんなら、エムデンから斡旋された仕事をこなさないといけないだけマイナスだ。
なんというマッチポンプ。権力者は、少し言葉を話すだけで好き放題格下を翻弄できる。
そのことについて『気に入らない』という思いはあるが、それを表に出すことは許されない。
いや、表に出さなくてもお見通しなのだろう。俺は今、エムデンに首根っこを押さえつけられたのだ。
経済的な奴隷。
俺は今の生活を維持しようと思ったら、エムデンの言う『美味しい仕事』とやらを振ってもらわないといけない。
元々逆らう気なんぞないが、経済奴隷になった俺はエムデンの顔色をうかがう必要がある。
俺は様々な感情を押し殺し、エムデンに言った。
「はい、よろしくお願いします。エムデン様」
俺が自分の立場を理解したのが確認できたからだろう。
「話はそれだけだ。オイ!」
エムデンは俺を視界から外し、一切の興味を向けなくなった。
まるで路傍の石、いや躓いて気付く可能性がある石の方がマシなほどエムデンの瞳には俺の存在は写っていない。
俺を意識から消した頭の中で、どのような悪巧みを企んでいるのだろう。
俺のような弱者の人生を弄び、利益に還元し影響力を伸ばす。
この怪物は、この豪華な部屋の一室で何人の人生を操っているのだろうか。
エムデンの声に反応した案内役が静かに入出すると、エスコートのフリをして俺を室内から追い出す。
汚れた上着は新しい服に着替えられており、派手さは無いが生地の上質さがその服の値段を俺に理解させた。
さっきとは逆。案内役の後ろについて、今度は出口へと向かって歩く。
行きのとき気圧された豪華な内装や護衛に対して、今回はそこまでプレッシャーを感じない。
二度目で慣れたのか、エムデンという怪物のプレッシャーを浴びたせいで感覚が麻痺したからだろうか……。
従業員用と思われる出入り口で、再び尻穴に指を突っ込まれる。
出るときは大丈夫だろうと思ったが、貴重品を『穴』に隠して盗むやつがいるらしい。
尻穴に感じる強烈な異物感が、どこかふわふわしていた俺の精神を現実へと引き戻してくれた。
尻穴に指を突っ込まれるのは嫌だが、その刺激のお陰で精神と肉体がしっかりリンクしたような気がする。
尻穴チェック人のいかついおっさんに、笑顔で感謝を伝えると『こいつ、目覚めやがった!』みたいな顔で俺を見てくる。
いや、そうじゃねぇよ! 俺は慌てて目線と表情でアピールした。
尻穴チェック人が訝しげに俺を見つめる。
ほぼ初対面の人間でも目と表情だけでここまでコンタクトを取れることに驚きつつ、俺は屋敷を後にした。
案内人の後を無言で歩き続ける。
相変わらず彼は人気者で、町の人たちから次々声を掛けられている。
関所で預けた荷物を返してもらい、スラムを抜けたところで案内人が言った。
「俺はここまでだ。まぁ、なんかあったら俺に言いな」
そう言って去ろうとする案内人に慌てて声を掛ける。
「あの、お名前を教えて頂いても?」
「あぁ、悪い。俺はドミニクだ」
「ドミニク様ですね」
「様なんていらねぇよ。エムデンさんたち幹部なら別だが、俺は『様』をつけて呼ばれるほど偉くはねぇ。そうだな、俺たちの業界じゃ目上の人間を『兄貴』って呼ぶからよ。まぁ、ドミニク兄貴でもドミニクの兄貴でも好きなように呼んでくれや」
ドミニクはそういうと、少し照れたように笑った。
初めてドミニクの笑顔を見たが、なかなか魅力的な笑顔だ。俺にそっちの趣味は無いが、人を引き付ける魅力のようなモノがあった。
名前を名乗り忘れたのも、みんな名前を知っているからだろう。
俺のように『業界』に疎い人間と接したのは久しぶりだったのではないだろうか。
「分かりました、ドミニク兄貴。何かあれば頼らさせて頂きます」
「おう、まかせな。ヤジン、オメーも今日から俺たちの仲間だ。
ドミニクはそう告げると、背を向けて歩き出した。
この町の情報を集めたとき、その名は聞いている。写真などがないので、顔に傷があるなど大きな特徴のある人間以外、実際にその人物なのか分からない。
そのため、名前を尋ねてみたがやはりそうだった。
首切りドミニク。それが、彼につけられた異名。
金貸しエムデンお抱えの殺戮部隊。『暗殺組織』ではなく『殺戮部隊』だ。
こっそり処理するのではなく、派手に殺し散らかす。敵対者をこれでもかと残虐に殺す。その部隊のエース。
エムデンに高い忠誠心を持ち、人を引き付ける魅力的な笑顔で爽やかに喋る男。
高価な服を自然と着こなし、町の住人とも気軽に挨拶をかわす。そんな男、ドミニク。彼は、組織の為なら誰でも残虐に殺す異常者だ。
「ドミニク兄貴……か」
ゴンズ以来の『兄貴』と呼ぶ人物。
俺の口から漏れた『兄貴』にこめられた気持ちは、ゴンズに対するそれとは大きく違っていた。
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