第136話 様子見のジャブ
今、目の前にいる『金貸しエムデン』は俺のイメージと違っていた。
暴力ではなく金の力でのし上がった男は、
スリーピーススーツを着こなし、オールバックでビシッと決めモノクルを掛けた目つきの鋭い男。
インテリヤクザのステレオタイプを中世風にした、そんな男だと思っていた。
しかし、今俺の目の前にいるのはインテリのイメージとかけ離れた『獣』。
ゴンズと同等か、あるいはそれ以上。強烈な暴力の匂いを漂わせ、平静と狂気の狭間を揺らめいている。
『純粋』なゴンズとは違い、危険な狼の狡猾さを感じさせる瞳。
その瞳を見続けていると、こちらの心の奥まで見透かされたような感覚に陥ってしまう。
目を逸らそうとしたが、何故か逸らせない。
危険なはずなのに、恐ろしいはずなのに瞳を見続けてしまう。
人は好奇心の塊だ。
自分たちとかけ離れた強大な野生動物。人間などちっぽけに思える自然が作り出した雄大な風景。労力が想像できないほどの巨大建造物。
そして、凶悪な犯罪者。
人は、圧倒的なモノから目を離せない。金貸しエムデンからは、そういった種類の圧倒されるナニカ。
ある種のカリスマとも言える凄みがあった。
エムデンと目があった時間はおそらく一瞬。引き伸ばされた体感時間とは比べものにならないほど短い時間。
その時間だけで、俺はもうエムデンから目が離せなくなっていた。
恐怖と好奇心がないまぜになった不思議な感覚に俺が翻弄されていると、エムデンの前で正座をしている男が震えながらエムデンに話しかける。
「か、金は倍にして返します。いや、三倍にして返しま」
男が言葉を発することができたのは、そこまでだった。
エムデンがおもむろに男の下顎を引きちぎったのだ。
その辺に置いてある物を気軽に取るような感覚で無造作に。
下顎をむしり取られた男の声にならない絶叫が響く。
その絶叫も長くは続かなかった。
エムデンはむしり取った下顎を無造作に捨てると、机の上に在ったクリスタルの灰皿で男の頭を叩き潰したのだ。
ぐしゃりと頭部が激しく潰れ、男の鼻の穴と割れた頭部から脳漿が飛び散る。
足元にあるふわふわした毛足の長い高級そうな敷物が、灰皿からこぼれた葉巻の吸い殻や血と脳漿で汚れていく。
エムデンは頭部が潰れビクビクと痙攣している男をつまらなそうに見ると、案内人に顎でクイッと指示を出した。
案内人は上着を脱いで死体の頭部をちぎられた下顎といっしょに包む。頭部から内容物がこぼれてそれ以上カーペットを汚さないための配慮だろうか。
上等そうな上着を躊躇なく使った行為に、男の財力とエムデンへの忠誠心の高さを感じた。
男が死体を担ぎ部屋を出ていく。
エムデンは俺と二人きりになったが、気にする様子もない。
「俺は回りくどい言い回しは嫌いだ。単刀直入に言う。俺の下につけ」
どちらにせよ、俺はエムデンを冷めた目で見ていた。
想像の中でエムデンを大きくしすぎたのかもしれない。あんなにもわかりやすい『脅し』を仕掛けてくるなんて。
正直、がっかりだ。
ヤクザがよく使う手段で『粗相をした若い衆をぶん殴る』という手法がある。
脅しを掛けたい相手の前で暴力を全面に押し出す方法だ。
普段暴力に慣れていない人間なら、ビビって相手の要求を飲んでしまうかもしれない。
しかし、暴力を生業として生きている冒険者には効果が薄い。
どうやら俺は雰囲気に飲まれてエムデンを大きく見すぎたようだ。
俺の中でエムデンへの評価を下方修正しようとしたところで、背筋にゾクリと戦慄が走る。
安い脅しを得意げに仕掛けるような人間が、こんな『帝国』を町の中に築けるか? そんな訳がない。
あのわかりやすい脅しは『俺の反応を見るため』の行為なのではないだろうか?
わかりやすいレベルの低い脅しではなく、チンピラレベルの冒険者にも伝わるようにあえて『わかりやすく』したのでは……。
格闘技に置き換えると、さっきの行動は様子見のジャブ。
格下とスパーリングするとき、この程度は対処できるよな? そんな感覚で出した軽いジャブを見て、俺は格上の相手を『雑魚』だと勘違いしてしまった痛い野郎になっているのではないか。
冷静に考えれば、様子見のジャブで『人を惨殺』する相手がまともな訳がない。
俺は慌ててエムデンに意識を集中させる。
評価を下方修正? とんでもない。金貸しエムデンは紛れもない化け物だ。
一瞬でも油断した自分をぶん殴ってやりたい。
反省は後だ。
エムデンの誘いを断るのは不可能。
立場が違いすぎる。
表向きは勧誘だが、実質脅迫に近い。
アホの俺でもわかりやすく、断ったらどうなるかを目の前で示されたからだ。
さっきの惨殺は単純な脅しではなく、俺の選択次第で訪れる未来への提示。
これ以上なく明確に逆らったら『殺す』と脅されたのだ。
生命の危機を感じた俺の肉体が脳を高速で回転させる。
五感を集中させエムデンのかすかな変化も逃さない。
少しでもエムデンの機嫌を損ねたら殺される。
複数のファイトプランや逃走経路を頭の中でシミュレーションしながら、俺はエムデンの問いかけに答えた。
「はい、エムデン様の傘下に入らせて頂きます」
俺がそう答えると、エムデンは眉を少し上げて嬉しそうに言った。
「ほう、思ったより使えそうだな」
すぐ返答したからだろうか? それとも、俺の心の動きを読み最終的には警戒したことだろうか。
駄目だ、相手が大きすぎて全体像が見えない。
エムデンの真意が見えないまま、俺はひたすらに警戒を続けた。
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