第135話 金貸しエムデン

 眼の前に広がる豪奢な建物に圧倒されていると、案内役に従業員用の出入り口へ向かうと言われた。


 正面の豪華な扉から少し離れた小さな入口が従業員用の出入り口らしい。


 出入り口には人相の悪い男が周囲に目を光らせていた。顔に斜めに走った傷跡、鋭い眼光。荒ら事になれた者特有の暴力的な匂い。


 服装もレザーを基調とした荒くれ感満載の着こなしで、異世界でもアウトローのファッションは似た系統になるのは興味深いなぁと思った。


 しかし、そこらへんのイキリとは違う。


 男の佇まいや手の形にすり減った剣の柄がハッタリ野郎じゃないことを雄弁に語っていた。


 男の足元には、何故か水の入ったツボが置いてある。剣に付いた血を洗うためだろうか。


 従業員用の出入り口とはいえ、チリひとつない綺麗に掃除された空間。血の跡などまったく見られないここはどれだけの血を吸ったのだろう。


 綺麗な空間だからこそ、恐怖心を掻き立てた。



 男は眼光鋭いまま、俺のボディチェックを始める。


 最初の門とは比べものにならないほど入念に調べている。口の中もチェックされ、もう調べるところはないだろうと思っていると、男の太い指が突然ズブリと尻穴にめり込んだ。


 アッーー! と声が出そうになったが、気合で耐える。


 俺は『全然平気だぜ』、そんな風にすまし顔を決めるが結構痛い。異物感もエグいし、屈辱感もエグい。


 睨まないよう意識しながら尻穴に指を突っ込んだ男を見るが、男も『俺だって、できればやりたくねぇよ』と無表情ながら目で語りかけているようだった。


 男は無造作に指を引き抜くと、顎をクイッとやって案内役を中へと促す。その後、少しだけ顔をしかめ足元のツボに入った水で指を洗っていた。


 あのツボ、尻穴チェック用の指を洗うためのモノなんかい! 斬新な職場環境の改善だなおい!




 厳重なチェックを終え、案内役に後を付いていく。


 万が一に備え、必死に内部構造を頭に叩き込む。人の気配も多い。警備の人間も含め、かなりの数が働いている。


 すれ違うメイドや従僕もある程度戦えるかもしれない。この人数すべてと敵対するのは流石さすがに厳しい。


 この廊下を突っ切って逃げるのは難しそうだ。


 しかし、すれ違うメイドさんの露出がやばいな。胸の谷間がエグいことなってるやんけ! 今からとんでもねぇ怪物と対面するってのに、ワイのヤジンがサンライズしそうやんけ! 従僕も綺麗な顔をしたイケメンばかり。


 顔面偏差値の不条理に心がえぐられる。


 尻穴に指は突っ込まれるわ、エロと顔面偏差値の暴力でぶん殴られるわ。情緒がめちゃくちゃになるでぇ!


 俺お得意の緊張の緩和、現実逃避。


 プレッシャーが掛かるほど、頭の悪いことを考えてしまう悪癖が発動していることを見るに、俺はめちゃくちゃ緊張しているみたいだ。


 衝撃的なことが多すぎて、恐怖や緊張が多少は緩和されたと思ったが自覚症状がないだけらしい。


 そりゃまぁ、怖いわな。


 この建物ひとつとっても尋常じゃない。従業員用通路のはずなのだが、装飾がとんでもなく豪華だ。


 客用の通路など、キンキラキンで目が潰れるレベルなのではないだろうか。


 正直、成金丸出しで趣味がいいとは言えない。


 しかし、ここまで経済力を明確に示されれば馬鹿でも気付く。廊下に一定の間隔で屈強そうな男たちが警備している姿を見れば、これまた馬鹿でもわかる。


 ここの主に逆らったらただじゃ済まない、と。


 やけに緊張して喉が渇く。肩がこわばり、手と脇が汗でびちゃびちゃになる。


 平和な日本なら、豪華で警備が厳重な家を案内されていても『ほえー、すごいなぁ』とアホ面下げて歩けるが、こっちじゃこの財力と武力が俺を殺すための刃に変わる。エムデンの気分ひとつでだ……。


 今までの命のやり取りや死への恐怖とはまた違ったプレッシャーや恐怖が俺の背筋をなでる。


 死への恐怖という本質は変わらないのに、今まで味わったことのない感覚だ。


 それにしても、屋内の移動とは思えないほど距離がある。外から見ても巨大な建物だったが、内部を歩くと改めて実感する。


 エムデンと揉めた場合、この距離を逃走しなくてはいけない。間違いなく出口まで到達は不可能。窓をぶち破って逃げるしかないが、おそらく何かしらの対策はされているだろう。


 エムデンの居る場所までの距離。これも、エムデンを守り敵対者を逃さないための強力な武器なのかもしれない。



 チリひとつない綺麗な廊下。エッチな衣装の見目麗しいメイドさん。目の保養になる景色ばかりだというのに、まるで巨大な怪物の体内に居るような感覚だ。


 気合を入れて意気込んできたはいいが、交渉する余地すらない気がする……。


 正直、心が折れそうだ。パピー、力を貸してくれ。


 重さと温もりを感じない背中に寂しさを覚えつつ、俺は心の中でそう呟いた。




 ひときわ豪華な扉の前に、板金鎧プレートアーマーを着た護衛がふたり。


 俺が村娘の居た村で戦った偽騎士とは比べ物にならない威圧感。


 目をそらした瞬間、喉を貫かれているのではないか? そう思うほど強烈な殺気を放ちがながら、プレートの隙間から鋭い眼光で俺を睨みつけている。


 強烈な殺気を浴びているのに、案内人は平気そうな顔で扉へと近付く。


 わかっていはいたが、只者じゃない。慣れているとはいえ、なんて胆力だ。


 俺が案内人の肝の太さに感心していると、扉をノックする瞬間、一瞬だけ案内人の顔に緊張が走った。


 肝の太い案内人でも扉をノックするだけで緊張を滲ませる。金貸しエムデンとは、どれほどの怪物なのだろう。


「入っていいぞ」


 部屋の中から聞こえてきた声は、意外にも『普通』の声だった。


 案内人が『失礼します』と、扉を開ける。


 扉の少し前には、正座をして震えている男の後ろ姿が見えた。


 震えている男の奥に、ひとりの男が立っている。


 髪を乱暴に後ろに流した、背の高い男。その男からは、強い暴力の……いや、血の匂いがした。


「お前がヤジンか? よく来たな。俺がエムデンだ」


 強烈な血の匂いを感じさせる男が、あまりにも普通の声で普通の挨拶をした。そのことが、なぜかとても恐ろしかった。

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