第134話 欲望の楽園

 案内役に付いて歩いていると、露天の店主や通行人が案内役の男に次々と挨拶を投げかける。


 男は、おう! と軽く腕を上げ返事を返す。


 どうやら、この男はそれなりの『顔』らしい。ただの下っ端ではなく、裏ギルドでもそれなりの地位にいることがうかがえた。


 下っ端を使って呼びつけるのではなく、それなりの人物に迎えさせる。これだけでも、エムデンが俺のような五級冒険者に格別の配慮をしていることが理解できた。


 これは、いい兆候といえる。


 ただ、エムデンほどの大物が俺と直接会う理由がさっぱりわからない。なにか用事があるなら、適当な下っ端に伝言を頼めばいいだけだと思うのだが……。


 俺を通して薬師ギルドと繋がりを持ちたいのか? ベンとエマさんの工房にツテが欲しいのか? それとも、俺個人に何か価値を見出しているのか? 


 駄目だ、考えてもさっぱり分からない。推察するのに必要な情報が不足している。


 下手な予測を立てるより、その場で対応した方が良さそうだ。高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応ってやつだな。




 結局『出たとこ勝負』に落ち着いた俺は思考を止め、周囲を警戒することに脳のリソースを使う。


 もうすぐ東地区の市場から、治安の悪い新街とスラムのある南地区へ向かうための門に近付くからだ。


 俺を案内するグリューンの構成員に対して、門番は特にへりくだったりはしなかった。


 しかし、高圧的な雰囲気は鳴りを潜めている。明らかに機嫌を損ねないよう配慮している空気が感じられた。


 構成員と案内されている俺は特に身分証の提示も求められることがなく、顔パスで門を通過する。


 裏ギルドの影響力は衛兵たちに及ぶ。理解はしていたが、実際目にするとなかなかに衝撃的な光景だ。


 正義の味方である衛兵隊が、裏ギルドと仲良くするはずがない! なんて、脳みそお花畑なことは考えちゃいない。


 日本にだってヤクザとよろしくやっている警察は存在していた。ニュースにもなっていたし、何なら映画にもなっている。


 取り締まる側と取り締まられる側が癒着して『ヨロシク』やっているのは別に不自然なことじゃない。


 それでも、地球の規則でがんじがらめの警察と違い、強い権力と戦力を有している衛兵が裏ギルドの構成員に配慮を見せた事実は大きい。


 言葉として理解しているのと、体験として実感するのは大違いだ。


 裏ギルドには逆らえない。俺が必死こいて作った衛兵とのツテ。そんなもの、裏ギルドの権力の前ではないに等しい。


 衛兵すら敵対を避ける組織に、俺個人が立ち向かえるはずがない。


 わかってはいたが、改めて自分の立場を理解した。


 本来なら、相手の要求をすべて受け入れなければならないほどの力関係。


 しかし、相手は裏ギルドだ。譲歩すれば、しただけ詰めてくる。相手の機嫌を損ねず、かといってケツの毛までは毟られない。


 加減が難しすぎる。


 しかも、交渉の天秤にのせられているのは自分の命。


 難易度ベリーハードすぎるだろ。




 俺は陰鬱になる気持ちを押し込み、案内役の後を追いスラムへと足を踏み入れる。


 ロック・クリフのスラムとは違い、こちらのスラムはかなり荒れている。


 道端には物乞いや、物乞いのフリをした強盗がチラホラ。


 寝ているのか死んでいるのか分からない、道端で倒れている人たち。


 腐敗臭や排泄物の匂い。


 こちらの隙をうかがうスリ集団。


 路地や建物の中から剣呑な視線を飛ばす住人たち。


 案内役がいなければ、足を踏み入れて数分で何かしらのトラブルに巻き込まれていた可能性は高い。


 荒れたスラムを進んでいくと、クモの巣状に伸びた道路の中心部へと近付いていく。


 スラムでは見慣れない豪華な馬車とすれ違うことが多くなってきた。


 周囲の悪臭は薄れていき、綺麗な建物が増えていく。


 屋台がそこかしこに店を出し、元気な声で呼び込みをしている。


 周囲には生活雑貨や服を販売する店、鍋などを売る金物屋など、スラムとは思えない普通の店が立ち並ぶ。


 ここだけなら、東地区の商業地域と言われても違和感がないはずだ。


 案内役の男は、相変わらず色々な人たちに声を掛けられている。


 その後ろを付いていく俺を訝しげにみるでもなく、まるでいないように扱っている。


 なるほど『しつけ』が行き届いている。



 俺を無視する普通の住民とは別に、色々なところから剣呑な視線が俺に突き刺さる。


 この視線が、ここがスラムであることを俺に思い出させた。


 

 さらに中心部へと進んでいくと、かなり立派な城壁と門が見えてくる。


 門の前まで進むと、武器の提出を求められた。少し迷ったが、ここまできて逆らう意味はない。


 意を決してナイフと棒手裏剣を装備から外し門番に預ける。


 外出の目的が人通りの多い安全な市場での買い物ということで、毒付きの棒手裏剣は装備していなかった。


 ここで毒付きの武器を出せば、一悶着ひともんちゃくあったかもしれない。


 物騒なモノを宿に置いてきた自分の判断を褒めてやりたい。




 入念なボディチェックの後、ようやく中に入ることを許された。


 門をくぐると、街の様相はさらに変化する。


 そこには貴族街の商業地区と見間違うほど、美しい街並みが広がっていた。



 綺麗に舗装された馬車がすれ違えるほど大きなメインストリート。道路脇には街路樹と花々が彩りを添えている。


 店には見目麗しい妙齢の女性が薄着で微笑んでいる。


 高級そうな馬車から、身なりの良い商人やお忍びの貴族たちが降りて店に入っていく。


 高級そうなレストラン、キャバクラのような店。高級な装飾品を売る店もある。


 どこかのお店の店員らしき女性に、商人らしい男が鼻の下を伸ばして首飾りをプレゼントしていた。


 噂には聞いていたが、こちらも見るのと聞くのじゃ大違いだ。



 スラムってのは普通、町の中心から外れるほど荒れていく。立地のいい場所からはじき出された弱者が外側に追いやられ、より悲惨な環境を形成していく。


 だが、トゥロンこのまちは違う。


 新設された南地区の中心地からクモの巣状に道路が設置され、外側に行くほど治安が悪くなる。


 裏ギルド、グリューンは南地区を他の区域と切り離し、南地区の中央を繁華街にした。


 そして、南地区の外周をスラム化することで、他の区域を隔てる緩衝地帯を作り出したのだ。


 トゥロンにもとからあった地区にぶら下がる形ではなく、南地区を切り離して自分たちの『国』として新たに作り出す。


 普通、こんなマネされれば領主が黙っていない。


 その領主が南地区に手を出していないということは、何らかの密約が裏ギルドと領主との間に交わされているということ。


 そして、このとんでもない規模の構想を実現させた男が『金貸しエムデン』その人である。



 中央の豪奢な建物に近付くにつれ、周囲の建物はどんどん豪華になっていく。馬車や通行人の格好も上質できらびやかな服装へ。


 俺の場違い感が半端ない。


 なるほど、迎えにそれなりの地位の人間を寄越す訳だ。そこらへんのチンピラじゃ、この地区に入ることすらできないだろう。


 恰幅のいい貴族と思われる男性が、下手な変装で商人っぽい格好をしている。ニヤニヤと笑いながら、腕を組んだ女性の胸の感触にご満悦だ。


 あちらの仮面で顔を隠した御婦人は、シュッとしたイケメン従者のお尻をガッツリと掴んで揉んでいる。


 皆が欲望を開放し、誰もが見ないふりをする。


 おそらく、ここではお互い見なかったことにする『暗黙の了解』が遵守されている。


 ここはスラム。法の外にある欲望の楽園。


 この楽園の創造主にして、支配者である金貸しエムデン。


 彼の根城である豪奢な建物が、目前まで迫っていた。

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