第128話 哀れな中年男性
翌朝、俺は身なりを整え工房に向かう準備をすます。
パピーを連れて行こうか迷った。しかし、ベンとエマさんがどのような反応を示すかわからない。
一応、従魔という存在は認知されている。ただ、そのほとんどが馬型のモンスターだ。
牧場で育てられた
従魔と聞くと、多くの人がイメージするのはそのどちらかだ。
ダンジョンを探索する探索者の中には、小型のモンスターを
ただ、モンスターを
パピーの可愛さは、可愛い生き物に慣れていない人間には恐ろしい武器になる。いくらモンスターとはいえ、いきなり殺そうとしないはず。
ただ、モンスターということでどのような反応を示すかわからない。二人にパピーを紹介するのは、もう少し友好を深めてからの方がいいだろう。
パピーには申し訳ないが、いつものお留守番セットを用意して部屋で待ってもらうことにした。
たっぷりとパピーをもふもふして、後ろ髪を引かれつつ部屋を出る。
新装備に浮かれそうになる気持ちを落ち着け、ゆっくり慎重に歩く。朝早い時間ということもあり、通りを歩いている人々はまばらだ。
朝食を提供する飯屋などが忙しそうに開店準備をしている。屋台などは、まだ影も形も見えない。
朝一と言われたけど、少し早すぎただろうか? そんなことを考えながら歩いていると、工房地区を囲んでいる壁が見えてきた。
近付いていくと、工房地区からはすでに作業音が響いている。これなら、早すぎるということはなさそうだ。
日が沈めば作業ができなくなる。日が昇るとすぐ働き始めるのは、生産効率を上げるためかもしれない。
門へ向かって歩き、衛兵さんに向かって軽く頭を下げる。こちらの世界に『お辞儀』の文化があるのか分からないが、敬意は伝わったようだ。
衛兵さんは軽く挨拶を返してくれた。
エマさんから伝言をもらったけど、門番に見せる書状や木札などはもらっていない。
ここで待機して、エマさんに確認を取る形だろうか? そう思ったが、衛兵さんは「お話を伺っております」そう言って、すぐに通してくれた。
不用心だけど大丈夫かな? 少しセキュリティが心配になったけど、改めて考えたらこんなに特徴的なツラの人間二人といない。
門番の仕事は人の顔を覚えることも含まれる。俺の顔を覚えているのも当たり前かもしれない。このアジアンフェイスがある意味、最高の身分証明とも言える。
絶望的にモテないこんな顔でも、いい部分もあったようだ。
冒険者は顔を売ってなんぼみたいなところもある。俺のレベルとランクが上がれば、インパクトの強い顔も強みになるかもしれない。
今日は朝から気分がいい。おかげでポジティブに物事を考えられるようになっている。
最近は慣れない交渉事でゴリゴリにメンタルを削られた。今日は趣味と実益を兼ねて、存分に楽しませてもらうとしよう。
前回は緊張していて周囲を確認する余裕はなかったが、今回は少し余裕がある。一般人から隔離された工房地区。正直、好奇心が抑えられない。
ベンとエマさんの工房は、工房地区の一番奥にある。目的地へ向かいつつ、周囲の状況をうかがうことにした。
ただ、ジロジロ見て『技術を盗もうとしやがったな!』などと怒られたくはない。トラブルを回避するための配慮は必要になる。
技術が盗みたいわけでもない。
工房地区という非日常の空気を楽しめればそれでいいのだ。
素材の加工に使う様々な薬品の刺激臭。カンカンと金属を叩くハンマーの音。職人の怒鳴り声と、下働きの元気な返事。
朝の早い時間から、工房地区はフル稼働。とても活気があり、みな忙しそうに働いている。
更に歩を進めて行くと、少しずつ騒音が減ってきた。
入り口に近い工房は素材の下処理。もしくは、量産品を製造する工房が多い。奥の工房は一品物を作る工房が集まっている。
素材の下処理や量産品は秘匿技術が少なく、運搬の問題もあるため入り口付近に工房が集中しているのだろう。
奥に行くほど高級で、技術を秘匿する必要がある腕のいい職人が営む工房って訳だ。
ファンタジーにお馴染みの職人街。その雰囲気を楽しみながら歩いていると、目的地が見えてきた。
俺は新装備に期待を膨らませつつ、少し足を早めた。
ベンとエマさん。二人の
若くしてトップの地位に着くのは並大抵のことじゃない。表は綺麗に見えても、裏では……なんてこともある。
念の為、複数の情報屋から二人の情報を聞いていた。
隔離され、街の情報屋と縁遠い工房地区。俺がアクセスできるレベルの情報屋から聞ける情報などたかが知れていたが、情報がまったく無いよりは断然いい。
それに、二人の職人としての名声は俺の想像以上だった。街の情報屋でも、噂ぐらいは聞いたことがあったらしい。
ベンとエマさんが一番奥の工房を任されている理由は、もっとも単純な理由だった。単に二人の両親が超一流の鍛冶師と革職人だったのだ。
二人は幼い頃から両親の技を学び、受け継いだ。
工房地区の一番奥に工房を構えたのではなく、生まれたときからその場所にあった工房で育った。それだけのことだった。
ベンとエマさんの両親は貴重な素材を直接現地に仕入れに行った道中、立ち寄った村に流行していた疫病に感染。
そのまま現地で亡くなってしまった。
伝染病に感染した遺体のため、その場で火葬されてしまい両親の遺体とも対面できなかったそうだ。
突然工房を継ぐことになった二人は、若い二人を食い物にしようとする悪人たちから工房を死守。
外野のうるさい声も、職人としての腕前で黙らせてしまった。
さらに、まだ若輩ということで工房地区の役員などにはならず権力から一定の距離を置いている。
複数の情報を洗っても、嫉妬混じりの悪口ぐらいしか耳には入ってこなかった。
おそらく、前世の基準で見ても善人のカテゴリーに入るであろう、この世界では激レアのいい人たちだ。
そんな人達と出会えた幸運を改めて噛み締めていると、工房の入口についた。
工房の入口をノックしたが、反応がない。俺は工房の中へと足を踏み入れた。
工房の奥からは、カンカンと規則正しいハンマーの音が聞こえてくる。
「おはようございます! 野人です。エマさんの伝言を聞いてきましたー!」
作業中の二人にも聞こえるように、大きな声で話しかけた。
作業中に迷惑かな? とも思ったが、俺の掛け声ぐらいで集中力を乱されるほど二人はヤワじゃないはずだ。
しばらくすると、奥の方からエマさんがやってきた。
「おはよう、ヤジンさん。今、兄さんを呼んでくるから少し待っていてくれるかい?」
「はい、分かりました」
俺が返事をすると、エマさんは工房の左奥。ベンのいる鍛冶場へと歩いていく。しばらくハンマーの音が続いていたが、ほどなくして音が止んだ。
キリのいいところまで作業が終わったのか、汗を拭きながらベンが奥からやってきた。
「待たせて悪いね、ヤジン。ヤジンが来るまで大人しく待っていればよかったんだけどさ。予定が立て込んでいるから、空いた時間にちょっと作業をね」
「もう、兄さん。炉に火を入れるのもタダじゃないんだからね。予定が立て込んでいるのも、兄さんが納期を無視して合金の研究を続けたからでしょ!」
エマさんは『勘弁してよ』とでも言いたげに眉を顰めた。
このいつものやり取り、なんだかほっこりするなぁ。俺は優しい笑顔で二人のやり取りを見ていた。
俺が優しい目で二人を見ていることに気付いたエマさんは、頬を赤らめて少し恥ずかしそうな顔をする。
キリッとした外見と初々しい乙女な反応のギャップに、思わずトゥンクしてしまった。
危ねぇ危ねぇ、危うく恋に落ちるところだったぜ。
俺がアホなことを考えていると、恥ずかしさから復活したエマさんが工房の棚にしまわれていた一枚の布を手渡してきた。
「これが、完成した試作品だよ」
スーツそのものではなく、少し大きめの布に立体的に裁縫されたシックスパックのような追加装甲が貼り付けてある。
「ヤジンさんに言われた製法で作ってみたんだ。兄さんが強度テストをしたけど、思ったより頑丈だったよ」
エマさんは新しい製法が成功したことが嬉しくて仕方ないらしい。嬉しそうに、ニコニコ笑っている。
働く女性の笑顔って素敵だよね。
トゥンク! 危ぶねぇ、危ぶねぇ。また恋に落ちるところだったぜ。
「ヤジンさんの依頼した形の防具が作れることが確認できたから、後は細部を詰めましょう」
エマさんの発言に被せるように、ベンが食い気味に聞いてくる。
「ねぇ、ヤジン。鍛冶で何か面白いアイディアないの?」
ベンの野郎、空気を読まずに無茶振りしてきよった。
「ちょっと兄さん、後にしてよ。今は、私が作る防具の話が先でしょ」
「えー、いいじゃん。ちょっと行き詰まってるんだよね」
「もう、邪魔するんならあっちに行ってよ」
「わわ、エマごめん。ごめんって」
エマさんに背中を押されて、慌てるベン。
うん、あれだね。客の前でイチャコラすな! 泣くぞこの野郎。モテない中年男性が咽び泣くぞこら。
見せびらかしやがって畜生。
エマさんが工房で立ち尽くす一人の哀れな中年男性に気付くまでの間、俺は心のなかで涙を流し続けたのであった。
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