第126話 とびっきりのスマイル

 宿から薬師ギルドへ向かいながら、少しずつ集中力を高める。


 人気のない宿の通りを抜け、メインストリートへ。ザワザワと人々の話し声が耳に入ってくる。


 買い物をする市民、商談をする商人たち。商人の護衛や護衛の目を掻い潜りスリを働く者たち。


 自分の周り僅か十数メートルでも、これだけの情報が頭に入ってくる。


 その全てを精査していると、脳の処理が追いつかない。余計な情報はカット。日常に潜む違和感だけにフォーカスする。


 情報の取捨選択を行いつつ、自分の体をしっかりコントロール。イメージ通り体が動くよう体の操作に微調整を加えながら人混みをすり抜ける。


 いい感じだ、いつも通り集中力が高まってきた。薄っすらと緊張感を残しつつも萎縮していないこの感じ。


 この状態を維持したまま、薬師ギルドとの交渉に当たりたい。



 薬師ギルドの門番に、コンシェルジュから聞いた担当者の名前を告げる。すでに話は通っていたようで、門番が中の職員に声を掛けた。


 職員は「ご案内します」と告げ、俺に背を向けて歩き出す。俺は周囲を警戒しながら、付かず離れずの距離で後を付いていった。




 前回とは別の場所へと向かっているようだ。


 建物一階の右側へと案内役の職員は歩いている。建物内部の構造。職員や警備員の配置。逃走経路などを計算しながら歩いていく。


 短い距離を移動すると、扉の前に到達した。気配察知によると、中には10人以上いるようだ。


 まさか罠か? 一瞬そう思ったが、おそらくは違う。中の気配は忙しなく動いており、待ち伏せをしている雰囲気ではない。


 案内役は「失礼します」と声をかけて扉を開けた。そして「一番奥に座っている方がワイルド様です」と俺に告げた。


 俺は警戒しながらゆっくりと進む。


 中の部屋では、多くの職員たちが事務仕事をしていた。以前、ギルドマスターと面談したような応接室ではなく『事務所』のような雰囲気だった。


 職員たちは一瞬俺に視線を向けたが、すぐに視線をはずし忙しなく働いている。見るからに忙しそうで、俺にかまっている暇など無い。そんな態度だった。


 軽く扱われているようで少し気分が悪くなったが、気を取り直しそのまま進む。


 一番奥に座っている人物は、下を向きひたすら書類を片付けていた。わら半紙のような黄色くざらついた紙から、格式の高そうな羊皮紙まで多種多様の書類をひたすら高速で処理し続けている。


 机の前にたどり着いたが、書類に集中していてこちらに気付かない。鬼気迫る様子で書類を片付けている姿を見て、声を掛けるのを躊躇ちゅうちょしてしまった。


 しかし、一向に気付いてくれない。


 俺は多少の気まずさを覚えながら声を掛けた。


「ワイルド様」

「ひぃ」


 俺が声を掛けると、男はビクっと体を反応させた。そして、恐る恐る顔を上げこちらを見る。


 書類に集中していたため、突然話しかけられて驚いたようだ。


 少し申し訳なく思ったが、あのまま突っ立っている訳にもいかない。気持ちを切り替えて目の前の男を観察することにした。


 男は金髪碧眼、典型的な貴族の容姿だ。だが、ギルドマスターとは受ける印象がまるで違う。


 均整の取れた体躯のギルドマスターと違い、目の前の男はガリガリだ。自信なさげに視点がキョロキョロ動き、不健康そうな目の下のクマが余計に病的な印象を与えている。


 七三に分けられた髪も、頭髪が薄くて細いせいか『真面目』『清潔』といった印象を受けず、どこか貧相に感じられた。


 オーバーワーク気味の中間管理職。そんな言葉がぴったり似合いそうな容姿と雰囲気の男だった。


 男の観察を終えた俺は要件を伝える。


「5級冒険者の野人です。宿の伝言を受けてやってまいりました」


 怪しい敬語を使いながら、とびっきりのスマイルを浮かべる。第一印象は大切だ。ゴリゴリの四角いおっさんの笑顔でも、仏頂面よりはマシだろう。


「ひぃぃ」


 なぜかさらに怯えられた。俺の笑顔が怖いとでも言うのだろうか? 解せぬ。


 気まずい空気が流れたが、俺は笑顔を浮かべたまま待機する。すると、恐慌状態から抜け出した男が話しかけてきた。


「薬師ギルド事務長のロジャー・ワイルドです。失礼致しました」


 事務長はそういうと、笑顔を浮かべた。目の下に濃いクマがある不健康そうな男の笑顔。これはこれで、なかなかに恐怖心を煽る。


 そんなことを考えていて気付いた。


 お貴族様とバチバチに交渉したらぁ! そう意気込んできた勢いが、ガリガリと削られている。


 もしや、これが狙いではないだろうか? 一見気弱な中間管理職といった感じだが、相手を油断させるための擬態かもしれない。


 相手は貴族、交渉ごとの化け物だ。外見や態度に騙されてはいけない。俺は気を引き締め直すと、全神経を集中して事務長と対峙する。


「私がギルドマスターから、今回の交渉を一任されました。これから『ファモル草と、その採取方法の伝授』について条件を詰めたいと思っております」


 ギルドマスターから一任された? 俺はその言葉をすぐに飲み込めなかった。そして、全てを理解して驚愕した。


 ブワッと毛穴が開き、汗が吹き出る。


 どうして俺は『もう一度ギルドマスターと交渉できる』と思い込んでいた。前回のリベンジじゃい、なんて意気込んでいたが……どうして『二度目のチャンスがある』などと無条件に思い込んでいたんだ。


 ギルドマスターは前回で俺への格付けを済ませた。前回はあくまでギョームのついで、俺はおまけでしかない。


 それなのになぜ、ギルドマスターと再び交渉できると思っていたのか。自分のアホさ加減に嫌になる。


「あの、大丈夫ですか?」


 俺が一人へこんでいると、事務長がこちらに気を使っている感じで声を掛けてきてくれた。


 これが純粋な心配から来ているのか、交渉術の一部なのか。俺にはそれが見抜けない。怖い、交渉が怖い。モンスターや冒険者と殺し合うのとは別の、得体のしれない恐怖が俺に襲いかかる。


 ドクン、ドクン、と心臓の音がやけにうるさい。頭が真っ白になり、ボーッとしてくる。体の感覚が鈍くなり、全てが遠くのことに感じられた。


 そんなとき、背中にぬくもりを感じた。


 パピー。俺は心の中でそうつぶやくと、背中の熱が全身に広がった。遠くに感じていた感覚は熱を通して鋭さを取り戻し、視界がくっきりと開けてくる。


 どうやら、前回の交渉がトラウマになっていたようだ。俺は軽いパニックを起こしたのだろう。事務長がいぶかしげにこちらを見ている。


 俺は慌てて笑顔を取り繕うと、事務長に話しかけた。


「交渉事になれていないので、緊張してしまって……。大変失礼致しました」

「いえいえ、大丈夫ですよ。何も、とって食う訳じゃありませんから」


 事務長が冗談めかしにそういうと、俺と事務長は「はっはっは」と笑い合い、場の空気が落ち着いた。




 ギルドマスターと交渉できないのは残念だ。ギルドの最高権力者に近付ける機会が失われたのだから。


 しかし、薬師ギルドと『仲良く』できる機会は残されている。


 トップが駄目なら、現場の人と仲良くなればいい。事務員や研究者など、薬師ギルドで働く人達と友好な関係を築くことはできるはず。


 それが薬師ギルドへの影響力になり、俺の命を守る盾になる。


 まずは、事務方のトップである事務長だ。なんとか利益を守りつつ、友好な関係を築いて行きたい。


 俺は心の中でパピーに感謝しつつ、事務長との本格的な交渉へと挑んだ。

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