第120話 がふがふ

  目を覚ますと、いつものようにストレッチをする。部屋から出ると、ベンとエマさんは既に作業をしていた。


 井戸を借り、顔を洗う。朝食をごちそうになり、昨日の続きを話す。


 昨日は色々と話が脱線してしまい、話がまとまらなかった。


 二人はインスピレーションを刺激され、興奮状態だったからだ。


 ベンは「昨日は興奮しすぎた」、そう言って頭を掻いた。


 エマさんは「兄さんは仕方がない」と苦笑いしていた。


 エマさんも同じようなものだったが、そのことを指摘するほど俺はアホじゃない。雄弁は銀、沈黙は金である。




 二人はアイディアをまとめ、試作に入るそうだ。


 新しい試みのため、実際に作れるか確認が必要になるのは当然といえる。


 試作が成功すれば、彩色や細かな仕様。その他、細々とした部分のすり合わせを行う。


 仕様が確定すると、大体の料金が算出できる。


 ざっくり金貨50枚と予算を伝えたが、かなりの大仕事になってしまった。


 一流の職人が作る新しい概念をふんだんに盛り込んだ防具のお値段は如何いかほどであろうか? 少し不安ではあるが、虎の子である宝石も売ればなんとかなるはずだ。


 幸い、収入もそれなりにある。


 支払いは多分、大丈夫なはずだ。


 大丈夫……だよね?


 


 若干、不安な気持ちを抱えつつ、二人に別れを告げ工房地区を離れる。


 宿へと歩いていると、屋台から肉を焼くいい香りが漂ってきた。以前この串焼きをパピーのお土産に買っていったら、すごく喜んでいたことを思い出す。


 ご機嫌取りも兼ねて買っていくか? 一瞬、迷った。


 しかし、そんなご機嫌取り丸出しのお土産を持っていくより、いち早くパピーに会って安心させてあげる方が大事だと思い足を進める。


 人で溢れるメインストリートに差し掛かった。


 通行人は、日本のように規則正しく右側歩行をしている訳ではない。当然、歩く人の進行方向はバラバラで、油断するとすぐ人にぶつかってしまう。


 複雑に流れる人の波を、スルスルと間を縫うようにすり抜ける。


 メインストリートを抜けると道幅が半分になり、人の数も減った。それでも、必ず誰かとすれ違うぐらいの人通りだ。


 平民が住んでいる東地区の北寄りの場所。貧民街スラムから離れ、貴族街に近い治安の良い場所へと歩を進める。


 すれ違う人々も、普通の町人から裕福な商人へと姿を変える。


 みすぼらしい外見をした俺は、ここでは悪い意味で目立つ。商人の護衛らしき冒険者たちが、俺とすれ違うたびに威圧してくる。


 睨まれるのに慣れている俺は、最低限の警戒だけして視線を受け流す。


 最初は小綺麗な格好に着替えようと思った。


 しかし、冒険から帰ってきて宿に向かうのに、態々上等な服に着替えるのも馬鹿らしい。結局、そのままの格好で歩くことにしている。


 ジャージで何処でも出かけられるおっさんのメンタルと同じだな。


 刃物をもった冒険者にガンを飛ばされながらそんなことを考えられる俺は、随分この世界に馴染んでいるとしみじみ思う。


 俺には場違いな街並みを歩いていると、目的地の宿が見えてきた。


 漆喰で白く染められた建物が多い中、木目をそのまま生かした優しい雰囲気の建物が目に入る。


 看板には柔らかな字体で『アーカディアの泉』と書いてある。


 ドラゴンを打倒した英雄『ブラント・ルーデル』が、その傷を癒やしたと伝えられる泉から名付けられた宿だ。


 日々働いている人たちはみな、小さな英雄。宿で、英雄たちの疲れを癒やして欲しい。


 そういった思いが込められて付けられた名前だと、コンシェルジュが言っていた。そう、コンシェルジュだ。


 トゥロンでは、帝国式と呼ばれる高級宿が存在する。現代のホテルに非常に近い形式だ。


小国家群の宿の多くは、居酒屋に宿泊施設がくっついているようなものが多い。


 スペースも効率的に使えるし、酔っ払って眠くなったり、異性と意気投合してすぐにベッドが必要なときも便利に使える。非常に効率的な形式と言える。


 ただ、酔っぱらいが騒いでいてうるさいし、とても上品とは言えない。


 そこで、富裕層向けに帝国式と呼ばれるホテルのような宿がトゥロンに作られるようになった。


 俺が宿泊している『アーカディアの泉』は、平民向けとしては最上級グレードの宿として知られている。


 高級で、癒やしの溢れる空間。


 正直、俺は異物と言っても過言じゃないぐらい溶け込めていない。


 客層は裕福な商人と、その護衛の冒険者たちが殆どだ。


 商人はもちろん、護衛の冒険者も綺麗で見栄えのいい装備をしている。ツギハギだらけの革鎧を着た、蛮族フェイスの冒険者など浮きまくっている。


 場違い感が半端ないので、最初は遠慮がちに宿に入っていた。しかし、今では自宅のような気軽さで宿に入ることができる。


 日本にいた頃なら、周りの迷惑になると宿泊を辞退していたと思う。だけど、この世界でセキュリティーのしっかりした宿ってのは貴重だ。


 宿が俺を宿泊させると決めた以上、周囲が俺を疎ましく思っていようが堂々と宿泊させてもらう。


 なんせ、この宿以外は全て門前払いだったからな。


 誰もが小さな英雄。しっかり宿賃を払い、問題を起こさなければ誰もがお客様という、宿の創業以来の理念があったおかげで俺は宿泊できた。


 そうでなければ、俺は安宿に宿泊するハメになっていた。


 金はあるのに、満足なサービスは受けられない。そんなジレンマを抱え、常に盗難に備え神経をすり減らしていたはずだ。


 俺の存在が宿にとってマイナスなのは理解している。


 だが、ここ以外の選択肢がない。申し訳ないと思うが、気軽に入れるぐらい長期間宿泊させてもらっている。


 宿に入ると、吹き抜けのロビーが出迎えてくれる。高い天井は開放感があり、建物の中でも閉塞感はない。


 控えめながら、気品を感じる調度品。塵ひとつ無い清潔な空間。洗練された従業員の動き。一歩足を踏み入れただけで、明らかに特別だと分かる上質な空間。


 そこに、異物である俺が堂々と足を踏み入れる。幾人かの宿泊客は、俺の格好を見て眉をひそめる。


 俺は気にせず歩を進め、フロントで鍵を受け取る。


 昨日無断外泊をしたので、コンシェルジュのダンディなオジサマが俺に目線を送る。俺は何も問題はないと小さく首を振る。


 それだけで、コンシェルジュのダンディはすっと意識を俺から離した。


 この絶妙な距離感が素晴らしい。


 階段を登り、パピーが待つ部屋へと向かう。


 早くパピーに会いたい気持ち。無断外泊して心配を掛けた申し訳なさ。パピーのことを忘れ、防具の話で夢中になってしまった後ろめたさ。


 色々な感情が浮かんでは沈み、感情がかき乱される。


 絵の具をグチャグチャに混ぜたように、心は千々に乱れる。階段を登る足が重くなり、心にズンと鉛の塊がぶち込まれる。


 それでも、気持ちの整理がついてくると、早くパピーに会いたい。もふもふしたい。そんな気持ちが溢れてくる。


 申し訳ない気持ちや後ろめたい気持ちはある。だけど、それ以上に俺はパピーに会いたいんだ。


 まるで付き合いたての恋人みたいだな。俺はそう自嘲する。


 いつしか俺の足取りは軽くなり、心は弾んでいた。会ったらちゃんと謝ろう。許してくれたら、思い切りもふもふしよう。


 散々待たせておいて我ながら調子がいい。部屋に近付くと、パピーと回路パスが繋がった。


 驚きと安堵。悲しみや不安。そして恐怖の入り混じった感情が伝わってくる。その瞬間、俺は後悔した。


 パピーは俺が思っていたより、精神的に追い詰められていた。


 この世界の命は軽い。それはパピーも理解している。そんな環境で、連絡もなく俺が帰ってこない。最悪の事態を想像したはずだ。


 俺が心配で仕方がない。だけど、俺の指示で部屋からはでられない。人間の住む町で、部屋にたった一人、俺の帰りを待ち続ける。


 どれだけ不安だっただろう。どれだけ心配したのだろう。申し訳なさと罪悪感で、涙が滲んだ。


 部屋の前に着き、鍵を開ける。普通ならここで一呼吸置くのだろうが、俺とパピーは回路パスで繋がっている。


 もう、お互いの気持は理解している。部屋の前で深呼吸をして心を落ち着かせる。そんな行為に意味はない。


 一応、用心のために挟んでおいた髪の毛を確認し、部屋へと足を踏み入れた。


 その瞬間、バン! と弾丸のようにパピーが胸元に飛び込んでくる。


 俺より圧倒的に質量の少ないパピーだが、加速された体はかなりの衝撃力を生み出す。受け止めた俺は、少し後ろにのけぞった。


「わふわふ、はふはふ」


 パピーは俺の首元に顔を擦り付け、臭いを嗅いでいた。


 落ち着く、安心という感情が回路パス通して伝わってくる。俺は精一杯、優しい気持ちを込めてパピーの背中を撫でた。


 パピーが俺の首を甘噛する。出会った頃は、俺にじゃれついてよく噛み付いてきた。


 その後、狩りの訓練を経て、牙が武器になったと自覚しているパピーは俺を噛まなくなった。


 そのパピーが俺を噛んでくる。


 頼れる相棒から、出会ったころの頼りない小狼にパピーが戻ったようだ。少し痛いが、それでパピーが安心するのなら甘んじて痛みを受け入れよう。


 しばらくそうやってスキンシップをしていると、パピーの感情に徐々に怒りの割合が増えてくる。


 安心して落ち着いてくると、放置されていた怒りが蘇ってきたようだ。甘噛がだんだんマジ噛みに変化してくる。


「いてててて、パピーさん痛いっす。まじでいてぇっす。本当にすみません。もうしません。許して下さい」

「がふがふ」


 散々謝り倒して、ようやくパピーに許してもらった。もしかしたら今日、群れの順位が入れ替わったかもしれない。





 ずっと宿の部屋にいたパピーは、外にでたいみたいだ。もう昼だが、急げば森でしばらくは過ごせるだろう。


 途中の屋台で買い食いするのもありかもしれない。


 一旦革鎧を脱ぎ、フード付きの服に着替える。このフードはパピーがゆったりできるよう、フードの部分を大きくしてある特別製。


 特注品ではなく、裁縫のスキルを生かした俺お手製の作品だ。服の上に再び革鎧を装着し、フードにパピーを入れ、宿を出た。


 屋台が多く並ぶ地区で、パピーが鼻をひくひくさせながら今日のお昼ごはんを考えている。


 何でも好きな物をリクエストしてくれ。一人でお留守番を頑張ったご褒美だ。俺が回路パスでそう伝えると、パピーは嬉しそうにフードの中で尻尾を振った。


 そろそろ、パピーも堂々と表に出て活動できるようにしないとなぁ。そんなことを考えながら歩いていると、一人の男が近付いてきた。


 長身でひょろっとした体型。茶色の頭を短く刈り上げ、特徴的な白衣のような服を着ている。


 動きを見る限り、戦いを生業としている人間ではなさそうだ。


 しかし、体から濃い薬品の臭いが漂っている。毒を使う暗殺者かもしれない。俺は警戒しながら、男の接近を待った。


「冒険者のヤジン殿でしょうか?」


 男がそう尋ねてきた。いいえ、違います。そう言って立ち去りたかったが、俺と分かって話しかけている。とぼけても心証が悪くなるだけだろう。


「はい。冒険者の野人です」

「私は薬師ギルドの人間です。ギルドマスターが、ヤジン殿に会いたいと仰っています。同行願えますか?」


 言葉遣いは丁寧だが、実質強制と変わらない。アポイントメントを取ってから出直せと言いたいところだが、俺にそんな度胸はない。


 護衛なのか、実力行使も辞さないのか。俺の周囲を囲むようにして人員が配置されている。今まで戦った雑魚冒険者と違い、明らかに練度が高そうだ。


 戦って勝つどころか、逃げるのもままならないかもしれない。


 それに、強い影響力のある薬師ギルドのマスターの誘いを断るのは難しい。相手の顔を潰すと、どんな報復を受けるか分からない。


 ギルドマスター直々のお呼び出し。なんのようだろうか? ろくでもない話じゃないことを祈る。


 俺は回路パスを通じて、パピーに謝った。ごめん、お昼ごはんはお預けになりそうだ。


 その瞬間、背中に痛みが走った。


 パピーが俺の背中をガジガジと強めに噛んでいた。俺は痛みを表情に出さないよう気をつけながら、男に言った。


「同行しましょう。案内をお願いします」


 これから巻き込まれるであろう厄介事より、完全にへそを曲げてしまったパピーの機嫌を治す方が大変そうだ。


 俺は男の後を付いて行きながら、そんなことを考えていた。

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