第118話 かかってこんかい!

 ペストマスク!? 毒! 疫病! ナイフ!? 攻撃!?。相手の装備から連想される危険度を想像し、一瞬身構えそうになった。


 しかし、鼻を突く悪臭とナイフの特殊な形状を見て、相手が革職人だと気付いた。あのペストマスクは、鞣し剤や染料の悪臭、有毒物質などから体を防護するために付けているのだろう。


 漫画やゲームで見たことはあったが、実際に目の前で見るとおっかない。鳥の嘴のような形状は、謎の威圧感がある。


 俺はビビったことを悟られないように、平静を装いながら話した。


「冒険者ギルドに紹介状を頂きました。こちらの工房で装備を作って頂けたらと思いまして……」


 俺はそう言いながら紹介状を渡す。


 ペストマスクの革職人は、紹介状を受け取るとマスクを外した。


 革職人は女性だった。金髪に青い目、髪はショートヘア。目鼻立ちはくっきりしていて、キリッとした細い眉と切れ長の目が凛々しい印象を与えている。


  年は20代後半から30代前半といったところだろうか。


 トゥロンで一番の工房ということだったが……。気配察知で調べた限り、この女性と奥で鍛冶仕事をしている人しか反応がない。


 二人だけで工房を営んでいるのだろうか? この若さで本当にトゥロンで一番の工房を営む職人なのか? もっとクールさんにしっかり聞いておけばよかった。


 そんなことを考えていると、紹介状を読み終わった革職人の女性が俺に紹介状を俺に返してくれた。


「本物の紹介状だね。それで、どんな装備が欲しいんだい?」


 いきなり本題に入るあたり、女性でも職人らしい。


「革鎧を新調したいんです」

「ふむ、どんな素材がいいんだい? 要望を言ってみな?」


 そう言われて俺は、流石に無理だろうと思う要求を言ってみた。とりあえず、すべての要求を告げて、そこから妥協点を探るつもりだからだ。


 軽く、強度と柔軟性があり、水を弾き、内側の湿気は放出する。現代の最新化学繊維を使っても不可能だろうと思われる要求をした。


 すると革職人さんは、少し考え込んだ。そして、眉をへにょっと下げながら遠慮がちに聞いてくる。


「予算はいくらあるんだい?」


 そう言われて俺は考え込んだ。幸い生活費には余裕がある。宿の代金も先払いしてあるし、違約金分とちょっとした生活費ぐらい残して、後は装備に投資してもいいかもしれない。


 部屋に残して置くのはリスクが高いが、毎回金貨を持って出かけるのも大変だ。そろそろ、宝石にでも換えないといけないと思っていたところだ。


 ここは思い切ってドンと使ってしまってもいいかもしれない。冒険者ギルドの紹介状を持ってきた俺がぼったくられることもないだろう。


「武器、防具合わせて、金貨50枚まで出せます」

「へぇ……」


 革職人さんは、ジロジロと俺を見た。確かにそんな大金を持っていそうにない風貌をしている。


「防具だけで50枚払う気はないかい? それなら、お望み通りの物を作ってあげるよ」


 まず最初に、作れるんかい! というツッコミが頭の中で入った。その後、高けぇよ! と、これまたツッコミが入った。


 異世界すげぇな、地球でもそんな欲張り贅沢セットみたいな要望無理だぞ……。いや、地球でもとんでもない金額をつぎ込めば可能かもしれないけど……。



 柔軟性と、モンスターの攻撃を防ぐ耐久性を両立するのは至難の技だ。


 水を弾き、中の湿気は抜けるというのは、現代日本の登山グッズなど、最新のウェアなんかで見たことがある。現代ではすでに可能になっている技術だ。


 だけど、そこに耐久性と柔軟性をぶっこむなんて不可能に近い。異世界の革職人恐るべし。


 しかし、防具だけで金貨50枚か……。


 今装備している革鎧が金貨3枚だったことを考えると、高級品なんてレベルじゃねぇ。金貨50枚もあれば、黒鋼の武器が2~3本は買えるし、地価の安い中心地から外れた場所なら、小さい家ぐらい買えちまう値段だ。


 以前尻穴に隠したことがある例の宝石を除くと、俺の全財産に近い金額。


 払えないわけじゃないが、でかい買い物になるのは確かだ。とりあえず防具の説明を聞いてからにしよう。


「金貨50枚、支払いはできます。ただ、簡単にポンと払えるような値段ではないので、なぜそんなに高額なのか教えてくれませんか?」

「へぇ、支払えるのかい」


 革職人さんは眉を上げて驚いていた。それから、なぜ高額なのかを丁寧に説明してくれた。


 俺がリクエストした条件を満たす素材は一つだけ。海牛セレニアと呼ばれているランク5の海洋モンスターの革だけということだ。


 海の沖に生息するモンスターで、稀に浅瀬へとやってくる。巨大な上、皮膚が頑丈で討伐が難しい。船に乗った状態で出会えば、殆どの船が沈没させられてしまう。そんな、恐ろしいモンスターのようだ。


 陸地に近付いたところを上手く仕留めても、危険なモンスターが数多く生息する海から引き上げるのは至難の技。


 それ故、めったに素材が出回らない希少素材なんだとか。


 鉄より頑丈な外皮と柔らかい内皮の二層構造になっており、頑丈だが柔軟性がある。さらに、海牛セレニアは体内の水分を皮膚から排出するため、内側から水分は外へ排出できるようになっているらしい。


 異世界素材バンザイ! 完全にチート素材です、ありがとうございます。


 希少素材を大都市で一番の職人が加工するんだ。そりゃ、家一軒分ぐらいの値段する訳だよ。


 値段が高い理由は理解できた。後は、現物を見せてもらって判断したい。


 俺はリュックから金貨の入った袋を出し、ちゃんと支払えることを証明した後、現物を見せて欲しいと頼んだ。


 革職人さんはコクンと頷くと、笑顔で告げた。


「名乗りが遅れちまったが、アタシはエマってんだ。革職人のエマ。よろしくな」


 そう言って差し出された手を握り、握手をしながら俺も名乗った。


「こちらこそ、名乗りが遅れてしまい申し訳ありません。野人と申します。よろしくお願い致します」


 握ったエマさんの手は、職人らしい硬い手だった。女性らしい柔らかさはないが、装備を依頼する立場だと安心できる手だった。


 金を見せたことで、ちゃんとした客だと認識され名乗られたみたいだ。紹介状は持っていても、この風体だと警戒されるのも仕方がない気がする。


 工房の奥に海牛セレニアの革を取りに行ったエマさんを待ちながら、色々なことを考えていた。


 こちらの世界にも握手ってあるんだなぁ。


 握手すると、職人の手だと一発でわかる固い手だった。女性の職人だから、ああやって分かりやすいアピールをして客の不安を抑えているのかもしれない。


 それにしても、村娘の姉弟子だったクレイアーヌさんもあんな感じの口調だったな。技術職系の職場は男社会っぽいので、舐められないようにああいった口調になるのかもしれない。


 クレイアーヌさんもエマさんも美人なので、少しもったいない気もする。でも、キリッとした女性がああいった口調なのも、それはそれで……。


 待っている間、スケベな中年オヤジ丸出しでアホなことを妄想しているとエマさんが帰ってきた。


「コイツが、海牛セレニアの革だよ」


 そう言って薄灰色の革を見せてくれた。触ってもいいか尋ねると、快く了承してくれてた。試しに外側の革を触ってみる。


 表面はすべすべしており、非常に硬い。叩くとコン、コンと硬質な音がする。


 裏側は、鶏皮のような白いブヨっとしたゼラチン質のような感触で、きめ細やかな細胞がしっとりと肌に吸い付くような感覚だった。


 エマさんはこの革を使って、鎧というより頑丈な服を作るイメージだと言った。


 心臓、手足の甲、スネなどの部分は、特殊な加工をして分厚く硬質に。それ以外は柔軟性を重視した加工をして、吸い付くような内側の素材を活かし、ボディスーツのようにぴったり体型に張り付く感じの防具を作りたいそうだ。


 既存の鎧の形に整形するより、素材の特性を考えるとこちらの方がいいと言われた。たしかに、鎧を着ると動きにくい。


 体型ピッチリのボディースーツは少し恥ずかしいが、動きやすさはこの上ないだろう。


 しかし、そんな格好をした冒険者を見かけたことがない。悪目立ちしないか尋ねると、5級冒険者ともなれば目立ってなんぼだと言われた。


 ただでさえ、アジア系のっぺりフェイスで目立つのに、装備まで目立ってもいいのだろうか? 正直迷う。


 でも、ボディースーツとか、メタル◯アのスニーキングスーツみたいで中二心がくすぐられる。


 どうやら、金貨50枚というのは鎧ひとつの値段ではなく、靴を含めた全身の値段らしい。素材の希少性や、職人の腕を考えると破格といっていい値段だ。


 迷ったが、購入することに決めた。これだけ希少な素材を、一流の職人が仕上げてくれるのだ。


 全財産を支払ってでも手に入れるべきだと思った。


 ギルドに違約金を支払うことになっても、虎の子である尻宝石を売り飛ばせばなんとかなる。


 宿代もまとめて払ってあるし、次の依頼をこなせば金も入ってくるはずだ。


 武器は更新できなくなるが、今は黒鋼のナイフで十分やって行けている。自分の命を守るための防具だと思えば、金貨50枚も惜しくはない。


 購入を決めた俺は、その場で金貨を50枚支払った。


  最近、金貨が増えて森の移動が大変だった。ちょうどよかったかもしれない。軽くなった財布を見て少し寂しくなったが、これが新しい防具になると思うとワクワクが止まらない。


 体にフィットさせる作りのため、体の採寸を綿密に行う必要がある。丁寧にいろいろな箇所を採寸するため、意外と時間が掛かっている。


 エマさんは採寸中に客である俺が退屈しないように、色々な話をしてくれた。女っ気の欠片もない俺は、美人と会話できるだけで幸せだった。


 エマさんの手際は非常に良く、会話しながらでもテキパキと採寸を進めている。


 エマさんは平均的な胸部装甲の持ち主だったが、背中側にメジャーっぽいものを回すときに軽く触れたりして、危うく愚息が反応するところだった。


 俺がイケメンなら、こちらのサイズも測ってくれますか? なんてキラーフレーズを炸裂させるんだけどな。


 いや、さすがにイケメンでもその台詞はねぇな。さっき持っていたナイフでナニをちょん切られちまう。


 想像しただけで、玉がヒュンとなり愚息が縮み上がる。縮んで丁度良かった。生理現象とはいえ、セクハラになってしまう。


 邪な心を誤魔化すように平静を努めながら会話をしていると、エマさんが教えてくれた。


 どうやら、海牛セレニアの革は不良在庫だったみたいだ。金額的には腕のいい冒険者か貴族ぐらいしか購入できない金額だが、冒険者の多くは耐水性だの通気性だのを気にするより、頑丈さや値段の安さを優先する。


 貴族は、もっと派手な色だったり見栄えのいい金属鎧を求めるため、色合いが地味で値段の高い海牛セレニアの革は不人気だったようだ。


 さらに、スニーキングスーツ風の防具は一般的な装備ではなく、海牛セレニアの素材を手に入れたとき、エマさんがその特徴的な素材を活かす防具を考えたときに思いついた形状らしい。


 ずっと試してみたかったが、海牛セレニアの革はあまり売れず、売れても特徴的すぎる形状から通常の鎧を依頼されてしまうそうだ。


 ダメ元で俺に話を持ちかけたところ、俺が了解したためすごくテンションが上っているみたいだった。


 職人として、新しい『ものづくり』に挑戦したかったが、なかなか客の希望と合致しなかった。


 しかし、趣味や技術の向上を目指してただ作るには、素材が高価すぎる。


 素材を抱えて悶々としていたところに、俺が現れたようだ。相場は分からないが、おそらく激安なのはそのせいだろう。


 エマさんの作りたかった防具は、こちらの世界では斬新すぎて誰にも理解されなかったようだが、俺は地球の知識で形状が理解できる。


 採寸されながら、色々アドバイスをしていると、エマさんの好感度がグングン上昇している気がする。


 同じビジョンを共有できたときの喜びや一体感はかなりのものだ。


 エマさんはチョロインで、攻略フラグが立ったのでは? と一瞬期待したが、こういうときは大抵男の勘違いだ。俺は悲しいほど知っている。


 まぁ、装備を作る相手にそれなりの好感度があれば、装備に対してマイナスにはならない。


 エマさんもプロなので、相手の好き嫌いで仕事を手抜きしたりはしないだろうが、好感度が高ければ普段より丁寧に仕事をしてくれる確率も上がるはずだ。


 媚を売るわけではないが、なるべく積極的にコミュニケーションを取ろう。


 そう思った俺はエマさんと色々話しているうちにイキってしまい、靴の大切さやこんな靴があればいいのに。といった要望を熱く語っていた。


 俺のアイディアに目を輝かせて聞いてくれるエマさんを見て、調子に乗ってしまった。最初は目を輝かせて聞いていてくれたエマさんだったが、気が付くと顔をしかめて黙っていた。


 気まずい沈黙が工房に流れ、俺の鼓動が早鐘を打つ。やっちまった。俺は真正童貞って訳じゃないが、モテない歴が長すぎた。


 女性が自分の話を興味深く聞いてくれるのが嬉しくて、イキって相手を引かせてしまう。女性に慣れていない童貞にありがちな行動だ。


 こちらの世界での余りの女っ気のなさに、俺の童貞力はいつの間にか53万を超えていたらしい。


 ブサイクが早口でイキりながらまくし立てる。逆の立場なら、正直キモい。冷静に状況を客観視してしまった俺の心に、様々な黒歴史や後悔が突き刺さる。


 押し黙ってしまったエマさんになんて話しかけていいのか分からず固まっていると、エマさんが工房の奥に向かいながら大声を上げた。


「にいさん、ちょっとこっちに来てー」


 アカン! 兄貴呼ばれた。俺は工房から逃げ出そうか迷ったが、すでに金貨を50枚も払ってしまった後だ。


 うわー、この後ごっつい鍛冶用のハンマー持ったゴリゴリの兄貴に、ウチの妹にナニしとんじゃごらぁとか言われて、脅されるのだろうか……。


 一瞬ビビりかけたが、職人より戦闘を生業としている俺の方が強いはずだ。いつの間にかメンタルまで童貞になっちまってたぜ。


 こっちは普通に客として職人さんと会話をしていただけだ。やましいことなど一切ない。もしかしたら行けるかな? なんてことも考えていない。


 いや、少しだけ考えたけど、顔にも声にも出していないはずだ。でも、知らない間に心の声が漏れていたらどうしよう……。


 大丈夫。最悪、兄貴をぶん殴って金を回収して逃げればいい。そのまま、この町とオサラバだ。腹は座った。鍛冶師の兄貴、かかってこんかい!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る