第117話 疑惑の視線

 ギルドに紹介された工房に向かうため、町を歩く。ギルドから出た瞬間から、何者かが俺を尾行している。


 受付嬢との会話を盗み聞きしていた冒険者か、それとも冒険者ギルドの回し者か。


 正体は不明だが、今は無視しても大丈夫だ。


 追跡者は紹介状がないため、警備が厳重な工房地区には入れない。追跡者の目的が情報なら、大した情報は手に入らないだろう。


 俺は、不意の襲撃にだけ警戒しておけばいい。


 追跡者を意識しつつ、適当に屋台の串焼きを買う。歩きながら最低限の食事を済ませ、屋台が密集している地区の人混みに紛れる。


 追跡者との距離を稼ぐと、少しだけ歩く速度を速めた。



 町全体から見て、東南の方角に工房地区と呼ばれている場所がある。水堀と外壁にも匹敵する巨大な城壁に囲まれた場所だ。


 衛兵が厳重に警備しており、人の出入りを厳しくチェックしている。


 工房地区に近付いていくと、城壁が嫌でも目に入る。かなりの威圧感だ。城壁自体は、町に入るときに見た城壁と変わりはないように見える。


 だが、街の一区画だけを囲っているという異様な光景が、威圧感を醸し出しているのかもしれない。


 工房地区の周囲は水堀にぐるりと覆われていて、高い城壁と合わさり侵入者を強固に拒んでいた。


 水堀には水の流れがあり、上流から下流へと水が流れいてる。


 流れている水はお世辞にも綺麗とは言えず、工場の加工などで使われた排水が流されているようだ。


 この仕組だと、上流の水は綺麗だが、下流の水はそれなりに汚れている。


 こういった立地の場合、上流に進むほど権力者の住処になっているはずだ。


 工房地区の場合は腕のいい職人が上流に住んでいるのだろうか? それとも、ギルドなどで権力を握った文字通り権力者が居を構えているのだろうか。


 まぁ、俺はただの依頼人。そういった権力とのごちゃごちゃは関係ないと思いたい。


 ただ、職人の目安として工業地区の上側に工房を構えている職人は腕か権力。もしくはその両方を兼ね備えた人物と見て良いはず。


 ギルドは果たして、どの程度の職人を俺に進めてくれたのだろう。


 大した工房ではないと思うが、冒険者ギルドにもメンツってモノがある。あまりにもひどい工房などは紹介されないはず。


 さて、工房ガチャを楽しみますか。



 工房に唯一繋がっている橋に近付くと、金属を叩く音が耳に響き薬品の匂いが鼻を突く。まさに、職人たちの住処といった感じでテンションが上がる。


 俺はワクワクしながら、橋を警備している衛兵に紹介状を渡した。



 工房地区で働く職人たちの技術を盗まれないように、工房地区は出入りを厳しく制限されている。


 職人たちに不満を抑えるため、工房地区には飲食店は無論のこと、娼館まで完備されているそうだ。娯楽で不満を抑えつつ、高待遇で人材の流出を防いでいる。


 そして、産業スパイなど、技術を盗む相手に対して非常に敏感だ。


 メガド帝国から文化が流入したせいか、技術の重要性というものをしっかりと理解している。


 許可を得た出入りの商人や、紹介状を手に入れた一流の人間だけが入ることを許されている地区。


 そんな場所に、ボロボロの装備をした俺が紹介状を持って現れる。そりゃ、偽の紹介状と疑われて身柄を拘束されるってもんよ。


 身柄を拘束されるといっても、身ぐるみを剥がれて牢屋にぶち込む。なんてことはされていない。


 詰め所で椅子に座らされ、両サイドを衛兵に固められているだけだ。


 万が一本物だった場合、責任問題に発展する。そのため、一応手荒な扱いはしていない。そんな感じだった。


 腹は立つが、仕方ないとも思う。


 いかにも雑魚丸出しの俺が、相当な実力か強力なコネでもない限り発行されない紹介状を持っている。


 俺が逆の立場なら、怪しく思うのは当然だ。


 食い詰めた馬鹿な冒険者が、有名工房の武器さえ手に入れれば人生一発逆転。大活躍して、一流冒険者の仲間入り。


 そんな、甘い夢を抱いてやってくるのだろう。


 ろくな教育を受けていない冒険者の中には、そんな馬鹿丸出しの奴も一定数いそうだ。


 おそらく、そんな馬鹿と同じだと思われている。


 乱暴には扱われていないが、周囲の衛兵からは哀れみや嘲笑に似た視線を感じて居心地が悪い。


 正直、「長時間待たせやがって。茶の一杯でも出しやがれ!」とは思っている。


 それに、立場は理解できるが、こいつらの嘲笑を含んだ視線も気に入らない。


 ただ、紹介状の確認をギルドに行っている衛兵が帰ってきたとき、こいつらはどんな顔をして俺を見るのだろう? そう考えると、仄暗い愉悦が湧いてくる。


 我ながら性格が悪いと思う。


 しかし、そのぐらいの楽しみがないと、この視線には耐えられない。侮蔑を含んだ視線というのは、なぜこんなにも不愉快なんだろうか……。



 ギルドで確認が取れれば、あっさり開放されると思う。


 ただ、普段仲良くしている衛兵たちとは所属部隊が違うので、俺のコネも通用しない。


 自分たちの失態を隠すために、俺を殺して証拠隠滅を図る。そんな短絡的な手段にでる奴もいるかもしれない。


 最悪の事態に備えて、連行されている間に間取りと人数の把握は済ませた。両サイドの衛兵が突然襲ってきても大丈夫なように、心の準備をしておく。


 その感じが表に出て、変に警戒されないように抑えているつもりだったが、相手は犯罪者を取り締まるプロだ。


 俺の微妙な緊張感や、警戒モードに移行した意識をなんとなく察知しているようだった。


 逃亡を図らないように、衛兵たちも緊張感を高めている。衛兵の詰め所は緊張感に包まれ、ピリついた空気が肌を刺す。


 侮蔑と苛立ちの混じった厳しい視線は、『偽造紹介状がばれた跳ねっ返りが暴れるのを警戒しつつ、めんどくせぇ』、そう思っているからだと推測できる。


 人間の察知力ってのはすごいものだ。


 相手の目線や細かい動作でこれだけ自分に向けられた感情を理解できるのだから。



 相手を油断させることも大事だが、ある程度の見栄えも重要だと改めて学んだ。


 俺も5級冒険者になったことだし、革鎧なんかは分かりやすく高級品だとアピールをした方がいいかもしれない。


 今回も汚し加工を頼む予定だったが、止めておくとしよう。


 また、入り口で足止めをされると面倒くさいからな。



 頭の中で逃亡するハメになったときのシミュレーションを繰り返していると、確認作業を終えた衛兵が戻ってくる。


 一体どんなツラをして報告するんだろうと、少しワクワクした。


「本物だと確認されました。お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」


 衛兵は部屋に入るなり、俺に頭を下げた。正直、予想外だ。


 高圧的に接して、半ば脅迫気味に脅しを掛けてくる。


 もしくは、事務的に処理して自分たちに瑕疵かしなどないとごかます。このどちらかだと思っていた。


 まさか、たかが冒険者に衛兵が頭を下げるとは……。


 丁寧な謝罪に毒気を抜かれた俺は「大丈夫です」という間抜けな返事をした後、紹介状を返却してもらった。


 その場で偽物とすり替えられていないか確認すると、俺の両サイドにいた衛兵が一瞬不愉快そうに眉をしかめる。


 しかし、文句を言うでもなく、すぐに表情を戻した。そのまま衛兵にエスコートされながら詰め所を出る。


 多少待たされたが、俺はあっさり工房地区へと入ることができた。衛兵の詰め所に連行されたにしては、大きなトラブルもなく工房地区へ入ることが出来た。


 ほっと息を吐くと、目的の工房へと再び歩く。


 俺に頭を下げた衛兵さんは、丁寧に工房への道も教えてくれた。『ベンジャミン工房』という、シンプルな名前の工房が紹介状の宛先らしい。




 冒険者ギルドが持つ権力の凄さを改めて思い知らされた。


 あの衛兵は俺に頭を下げたのではなく、俺の背後に見える冒険者ギルドに頭を下げたのだ。町の権力者である衛兵が、蛮族のボロ装備を着た冒険者に頭を下げる。


 屈辱だったはず。


 だけど、そうせざるを得ないほど、冒険者ギルドはこの町に影響力を持っている。


 衛兵に頭を下げられた瞬間、なんとも言えない快感が背筋を突き抜けた。『舐められない』の上を行く『畏怖される』快感に、俺は酔いしれたのだ。


 なぜ、権力に狂う人間が多いのかを俺は理解した。


 あの快感は、猛毒を含んだ甘い蜜だ。俺は頭を振ると、あの感覚を忘れるように努力する。


 今の俺が求めるには、大きすぎる欲求だ。


 上ばかり見ていると足元をすくわれてしまう。一歩ずつ、足元を固めならが進まないといけない。



 最初は無駄に時間を取られたと思ったが、俺には得るものが多かった。


 注目を集め始めた俺は、油断させるより装備も含めて実力をアピールすべきだと気付くことができた。


 自分の中にある、権力欲も自覚できた。


 衛兵に紹介状を疑われて拘束される。


 そんなクソみたいなイベントも、終わってみればいい経験だった。そんな風に思いながら歩いていると、目的地へと到着したようだ。


 工房地区の一番北側。つまり、権力者側が居を構える工房である。


 衛兵さんから、紹介状に書いてあった工房は大都市トゥロンで一番の工房だと聞いた。


 それも、俺が疑われた理由のひとつに違いない。


 冒険者ギルドも張り込んだものだ。まさか、一番いい工房を紹介してくれるとは……。


 もちろん、俺はではなく薬師ギルドに配慮した結果なのだろう。


 ギルド間のメンツがあるため、直接的には俺をサポートできない。そのかわり、間接的にはサポートしたというアピールなんだろうな。


 俺が薬師ギルドの依頼を万全の状態でこなせるように、最高の鍛冶師を紹介したってことだろう。


 こちらも、俺にではなく俺の背後に見える薬師ギルドへ配慮だ。


 幸運から権力者である両ギルドに配慮されたが、これが自分の実力だと増長したらすぐに殺されるだろうな……。


 権力という巨大な力の前には、単なる一冒険者の俺なんてゴミみたいなもんだ。


 今はありがたく、権力者が『配慮』してくれた幸運をありがたく活用するとしよう。



 工房地区で一番の工房。つまり、トゥロンで一番いい工房ってわけだ。そう聞いて、巨大な工房をイメージしていた。


 しかし、実際は想像より小さな工房だった。


 工房は『Y』のような形で、三つの建物がくっついている。工房からは、カンカンと一定のリズムで金属を叩く音が鳴っていた。


 入り口がある真ん中の建物に入り、声を出す。


「こんにちはー」


 それなりに大きな声で挨拶をしたが、返事がない。相変わらず工房の奥では、一定のリズムで金属を叩く音が相変わらず聞こえてくる。


 作業に集中し過ぎて気付かないのだろうか? 邪魔するのも悪いし、音が止むまで待つか。


 そう思った俺は、工房内を見回す。


 武器や防具がところ狭しと並んでいるイメージだったが、見本と思われる装備がいくつかあるだけだった。


 後は素材が入っていると思われる木箱が並んでいる。


 装備を派手に飾り立てたりは、店ではなく工房だからだろうか。そんなことを考えていると、気配察知がこちらに近付いてくる反応を捕らえた。


 金属を打つ音が聞こえる左側ではなく、右側の建物の奥からやって来た人物が扉を開け入ってくる。その人物の異様な出で立ちに、思わず情けない声が出てしまった。


「うわぁ!」


 その人物は、地球でペストマスクと呼ばれていた鳥の嘴型の仮面をかぶり、手にはナイフが握られていた。


 ペストマスクの人物は、こちらにナイフを向けて話しかけてくる。


「アンタ、何者だい?」


 マスク越しのくぐもった声が、工房に響いた。

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