第111話 境界線

 いつも狩りをしている中層から、更に奥へと進む。


 普段はちまちまと採取作業をしながら歩くが、今回は移動速度優先だ。ナール草や虫下し用の毒草を見かけると、回収したくてウズウズするがここは我慢。


 薬草に後ろ髪を引かれながら進んでいると、森の『空気』が変わった。


 植生が極端に変わっているとか、中層では見かけなかったモンスターの痕跡を発見したといった、わかり易い変化は見られない。


 しかし、明確に『境界』が感じられた。おそらく、この先が森の『深層』。


 まるで見えない境界線が引かれたかのように、俺の感覚がこの先に危険を感じ取っていた。


 生息するモンスターの格が上がる『深層』と呼ばれている領域。その少し前で野営の準備をすることにした。


 まだ周囲は明るいが、余裕をもって行動したい。荷物の中から水筒を取り出すと、大事に水分を補給する。


 パピーにも水を与えてから、水筒をしまう。


 都会では燃料費が高いため、沸かした水は良いお値段がする。それこそエールのほうが安いぐらいだ。


 燃料費を節約するために、宿や食堂では朝食のスープを作るとき大量の湯を沸かす。半分をスープにして、残りの半分を飲料水にする。


 その飲料水をそれなりの値段で販売しているのだ。町の井戸水を煮沸させた綺麗な水。


 俺の荷物の大半はこの水だ。水を現地調達すれば、荷物は軽くなる。


 だけど、今回は足を踏み入れたことのない領域。水場の場所もわからない。水場を探して徘徊するのも危険だ。


 のんびり水が沸騰するのを待つのもリスクが高い。かといって、生水を飲んで腹を壊せば目も当てられない。


 クソ塗れで深森狼フォレスト・ウルフに食われるなんてまっぴらごめんだ。


 周囲の見回りを済ませ安全を確認してから、木に寄り掛かり体力を回復させる。


 意識は切らさず、それでいてリラックスした状態で体を休めていると、あたりが暗くなってきた。


 俺とパピーはでかい木に登り、落下防止のために腰に紐を通す。紐をしっかりと、太い木の幹にくくり付ける。


 木の上でも完全に安全とは限らない。情報にはなかったが、蟻以外の厄介な昆虫や毒蛇がいる可能性もある。


 俺はパピーと交互に睡眠を取りながら、夜明けを待った。


 木の上での睡眠は、お世辞にも上質な眠りとはいい難い。だけど、パピーがいるおかげで交互に休むことが出来た。


 紐を外し、地面に降りる。固まった体をほぐすと、パキッと骨がなった。



 パピーと朝食を食べる。焼き固めた、小麦に雑穀が混じったパンと水だ。パンは固くてボソボソしている。お世辞にも味がいいとはいえない。


 俺とパピーは顔をしかめながら、美味しくない朝食を終えた。トイレをすませ、木を探す。いつも虫除け燻蒸につかっている木だ。


 この木はおそらく、虫が嫌う成分を分泌することで害虫から身を守っているのだろう。いつもは木片を水に付けて成分を抽出したりするが、今回は樹液をダイレクトで塗る。


 泥の上に乳白色の樹液を塗り、蟻への防御力を高めるためだ。


 いつも薄めているのは、匂いがきつくなりすぎるからだ。自然にもある匂いだが、あまりにも匂いがキツイと、不自然になり警戒される。


 今回はモンスターを仕留めるのではなく、回避する方針だ。


 もともと自然界にある匂いだ。警戒はされても、襲撃はされないだろう。泥と樹液のダブルバリアで、毒蟻の被害を抑えることができればいいが……。




 レベルが20になり、宿でイエダニに刺されることがなくなった。それなりに上等な宿屋に止まっているので、シーツが清潔だという理由もある。


 ただ、文明が進んだ現代日本でも完全にイエダニを排除することは出来なかった。


 いくら清潔を心がけても、中世レベルの文明ではイエダニを完全に排除することは難しい。


 それでも、宿でダニに刺されなくなったのだ。


 おそらく、レベル補正で皮膚が頑丈になり、イエダニの針が刺さらなかったことを意味する。


 もう虫刺されに怯えなくて済むとアホ面さげていたら、森でマダニにガッツリと刺された。


 イエダニと違い、マダニは大きいのでパワーが違うという理由もあるだろう。それに、昆虫の針は恐ろしいほど機能的だということもある。


 格好を付けた言い方をすれば、淘汰と進化の果てにたどり着いた機能的なフォルムだ。


 無痛針などの医療品も、蚊を参考にしたと聞いたことがある。現代科学でも、参考になるほど機能的というわけだ。


 皮膚を一枚破るだけなら、突き刺すことに最適化された針で、強化された俺の皮膚を突き破れるかもしれない。


 後もうひとつ、強化された皮膚を昆虫が突破してくる可能性が思い当たる。


 実際、情報屋の報告でレベル20の冒険者が毒蟻に刺されているという情報があるので、毒蟻が皮膚を貫くのは確定だ。


 その蟻が特別に進化した恐ろしい力を秘めている可能性もある。


 ただ、俺の予想では森に生息している昆虫だというのがポイントだ。町で見かける昆虫より、森の昆虫のほうが強いように見える。


 それは種類の違いだけではなく、魔素の影響を昆虫も受けているからだと思う。


 森は魔素が濃いと言われている。


 魔素が濃いからモンスターが集まるのか? モンスターが集まるから魔素が濃くなるのか? 主流となる説は存在するが、俺は学者じゃない。その説が正しいのかもわからない。


 ただ、モンスターほどでは無いにしろ、昆虫も魔素の影響を受けているはずだ。


 格の高いモンスターが生息している『深層』。いかにも濃密な魔素が漂っていそうな響きだ。その『深層』に生息している毒蟻。


 その言葉の響きだけで、濃い魔素の影響を受けた危険な蟻だと推察できる。


 魔素云々うんぬんに関しては、俺の思い違いかもしれない。


 ただ、危険だと想像できる理由があり、実際に被害を受けた人間がいる。それだけで、警戒する理由は十分だ。


 樹液ちゃん、しっかり蟻を追い払ってくれよ。短いお祈りを済ませ覚悟を決めると、俺は森の深層へと足を踏み入れた。

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