第110話 残念スペック
トゥロン近郊の森にも慣れ、依頼をスムーズにこなせるようになってきた。
収入が安定したことで、金を情報収集に回す余裕が生まれる。
情報という形に残らないものに金を使うことは戸惑われたが、安全への投資と割り切り多くの情報を集めることができた。
そろそろ次のステップに進もうと決めた俺は、塩漬け依頼をこなすことにした。
狙いは採取依頼。
森に慣れた俺が気配系スキルをフル活用すれば、戦闘を避けてお目当ての品物を採取することは可能なのでは? そう思ったのだ。
ただ、何も考えずに依頼を受けるのはリスクが高い。俺はギルド側と交渉することにした。
どうせ誰も受けない依頼だ。少しぐらい強気に出てもいいだろう。
ギルドに入ると、空いている受付に向かう。
以前会話をした、
彼女は受け答えが完璧だが、血が通っていないんじゃないか? そう思うほど温かみがない。
私情を挟まないプロともいえるが、小心者の俺は張り付いた笑顔に恐ろしさを感じてしまう……。
俺に塩漬け依頼をこなせ、貴様を使い潰すと笑顔で言った相手だ。こんなに直接的な言葉ではなかったが、言っていることは同じだろう。
感情に左右されない分、
タフな交渉になりそうだ。
「こんにちは」
「はい、こんにちは。ご用件はなんでしょうか?」
完璧な笑顔で、全く心のこもっていない挨拶を返す受付嬢。
「ギルドの貢献度が上がる依頼を見せて頂けますか?」
「少々お待ちください」
受付嬢はそう言うと、奥へと向かって行く。しばらくすると、いくつかの依頼票を持ってきてくれた。
「どうぞ、こちらになります」
「ありがとうございます」
塩漬け依頼なだけあり、前回と殆ど内容が変わっていない。俺は目星を付けていた採取依頼を確認して、受付嬢に質問した。
「こちらの依頼は、依頼を受けてから5日以内に納品とありますよね?」
「はい、ございます」
「誰も受けずに長期間放置されているのに、依頼を受けて5日以内となっているのはなぜですか?」
「ファモル草は薬に加工するのに、鮮度が重要になってきます。依頼を受けて頂いたことを薬師の方にお伝えしますと、薬師の方がすぐ薬の製造に入れるように準備いたします。薬師の方が準備できるように依頼を受けて頂き、鮮度のためになるべく早く期間内に納品して頂く形になっております」
うわ、次に質問しようとしていた部分を先回りされて潰された。
採取してから依頼を受ければ、失敗したとき違約金を払わなくてもいんじゃないか? そう思ったのだが……。
薬師側の準備が必要だから依頼を受けてから採取に行け! そう言われてしまった。
本当に準備が必要なのか『違約金から逃げるようなマネは許さない』というアピールなのか。
どちらか判断はできないが、強めに釘を刺されてしまった。
納期の延長や、違約金を払わないで済むように交渉しようと無い知恵を絞ったが……秒で潰されてしまった。
説明をしながら俺の言いたい部分を先回りして潰すとか、受付嬢さん有能すぎやしませんか。
『ちょっとぐらい強気で交渉しよう』なんて思っていた自分が滑稽すぎる。やはり、
受付嬢さんと、頭のスペック差がエグい……。
このまま受付嬢さんと交渉しても、うまくいく気がまったくしない。
薬師の準備があるので、先に依頼を受けるのは当然。鮮度が大事だから納期を守るのも当然。依頼が達成出来なければ薬師の準備が無駄になるので、違約金を払うのも当然。
丁寧に説明をしながら、俺が交渉しようとしていた部分を全部潰してきた。俺がその点に付いて詳しく聞く前に、だ。
そして、受付嬢さんは警告がわかりやすく俺に伝わるようにしている。
表情は変わらないが、目線やイントネーションに乗せてその意志をハッキリ伝えてきたのだ。
リスク込で依頼をこなせ、お前の価値を証明しろ。そう言われているようだった。
5級冒険者になるには、ギルドの貢献度を勝ち取るには、リスクを受け入れる必要がある。
この受付嬢がランク5の冒険者に求めるハードルはとても高い。いや、よそ者の俺がランク5になるハードルが高いのかもしれない。
もともと信頼の低い冒険者。
しかも、俺はよそからやってきたばかりの人間だ。使い潰されるぐらいの勢いで働いて、信用を勝ち取らなければいけない。
少しでもリスクを回避しよう、そんな風に思った俺が甘かった。
別の町でランク5を目指す選択肢もあるが、その場所がここよりマシとな保証はない。
利便性などを考えると、大都市であるトゥロンでランク5冒険者として活動できるのが好ましい。
仕方ない、俺は覚悟を決めて依頼を受けることにした。
10日熱と呼ばれている病気がある。その病気の薬を作るため必要なファモル草。魔法媒介に使うギーオと呼ばれるキノコ。
このふたつの採取依頼を受けた。
なぜふたつも受けたかというと、採取できる場所が近いからだ。どうせ森の深い場所に入るんだ、まとめて採取した方が利益になる。
俺がふたつ依頼を受けると伝えると、受付嬢さんは一瞬表情がピクリと動く。そして、ジッと俺を見てから、かしこまりましたと答えた。
受付嬢さんの目力に気圧された俺は、慌てて依頼票を受け取り、逃げるようにギルドをでた。
クール系受付嬢。通称クールさん、恐るべし。俺の考えなどお見通しと言わんばかりに潰されてしまった。
交渉すら出来ないとは……。
でかい町の受付嬢って、とっても優秀なのね。
気持ちを切り替えていこう。
2件も依頼を受けたんだ。失敗すると違約金で破産してしまう。夜逃げをして、またイチから冒険者ランクを上げるなんて御免だ。
宿に戻り、落ち着いて準備を整えることにした。
この宿は、宿泊料金は高い。その分、セキュリティがしっかりしている。荷物を部屋に置いていっても、盗まれるリスクは低い。
余計なものは、部屋に置いていく。
金貨と宝石だけは荷物になるが持っていく。このふたつは置いていけない。セキュリティのしっかりした宿でも、盗まれるリスクはゼロではないからだ。
荷物は最低限。
貴重品、保存食、水。後は装備だけ。モンスターもなるべくスルー。
モンスターを倒しても、素材はなるべく剥ぎ取らない。帰り道なら良いかもしれないが、行きは余計な荷物になる。
ターゲットを確保したら、体力や物資に余裕が有ってもすぐに帰る。いや、余裕があるからこそすぐに帰るべきだ。
優先順位をしっかり決めた俺は、パピーの頭を
よし、準備完了。
両手でパシンと頬を叩いて気合を入れると、俺は力強く足を踏み出した。
川沿いを歩く森へと向かう。ある程度森に入ると、いつものように川で体を洗った。その後、全身に泥を塗る。
このスタイル、久しぶりだな。
人目につかない場所に移動して、泥が乾くまで時間を潰す。待っている間に、情報を整理しよう。
ファモル草は薬の材料で消耗品。それなりの需要はあるはずだ。需要はあるのに塩漬け依頼になっていたのは、採取に行く冒険者がいないからだ。
情報屋の話によると、ファモル草が採取できる地域は
通常個体の格は3。リーダー個体で4になる。レベル20の俺なら、格4のモンスターと張り合えるかも知れない。
だけど、
とてもじゃないが、戦って勝てる相手じゃない。
ファモル草の採取依頼はそれなりに稼げるが、格5レベルが相手になるリスクを考えると割りに合わない。
冒険者がファモル草の採取を忌避するのは、
その生物は蟻。昆虫の蟻だ。
ファンタジー系の物語に出てくる巨大な蟻ではなく、地球でもよく見かけた小さい蟻が恐れられている。
危険度は低いように見えるが、一部の蟻は強力な毒を持つ。地球でも、蟻に刺されて亡くなる人は意外と多い。
蟻と聞くと、大きな顎をイメージするだろうが、
蜂のように、お尻の毒針を突き刺してくるのだ。
一匹だけなら、強力なアレルギー反応でも起きない限り命の危険はないだろう。だが、蟻は群れる。
それも恐ろしい数で……。
火蟻に刺されると、組織が化膿してしまう。ニキビのようなポツポツとした膿んだ部分が出来てしまうのだ。
一匹だけなら大したことはない。数時間の痛みと、ちょっとした膿だけだ。
しかし、集団で群がられたとしたら……。
手や足にびっしりとニキビのような膿が浮かび、名前の示す通り、火を押し当てられたような痛みが走る。
それも、危険な
パラポネラに至っては、もっと最悪だ。
別名、弾丸蟻。毒針に刺されると、まるで銃で撃たれたような痛みを感じると言われている。
その痛みは、大人でものたうち回るような激しい痛みだ。それを集団で、ブスブスと大量に刺されでもしたら……。
テレビでドキュメンタリーを見た程度の浅い知識しかないが、情報屋から毒蟻の話を聞いたとき、毒蟻の危険度は十分理解できた。
危険な毒蟻と、追跡能力が高く集団で襲ってくる
モンスターのテリトリーである森の深部で対峙するには、最悪の組み合わせと言えるかもしれない。
膿の匂いを
毒をくらった上に、弱った状態で
報酬は高額だが割にあわないと考える冒険者は多いだろう。
実際、普通の冒険者なら毎回命懸けになるはずだ。調べれば調べるほど、塩漬け依頼になるべくしてなった案件だった。
ただ、俺ならなんとかなるんじゃないか? そう思っている。
うぬぼれや、楽観的な考えではなくちゃんと勝算があってのことだ。泥で毒蟻から皮膚を守り、気配系のスキルで
最短最速でファモル草とギーオだけを回収する。
パピーもいるが、ほぼソロで森の移動に慣れている俺はかなりのハイペースで森を移動できるはずだ。
安全な移動方法も考えてある。俺なら、この依頼を安全にこなせる確率は高い。
それに、蟻に刺されても俺には毒耐性スキルがある。
素早く移動することで、リスクやトラブルを回避。さらに、刺されたときの保険もある。
俺なりに勝算が高いと踏んで選んだ依頼だった。
クールさんの態度を見る限り、俺が依頼を達成する確率は低いと見ているに違いない。
予想に反して、俺が見事に依頼を達成。クールさんの表情が驚きに変わる。
いいねぇ、想像しただけでテンションが上がるわ。君の氷の表情を溶かしてみせるぜ、キリッ。
色々と考えをまとめている間に、泥も乾いた。さぁ、進むとしよう。
多くの冒険者を飲み込んだ森の深層。その恐怖に飲み込まれないよう、俺はアホなことを考えながら森の奥へと歩き出した。
見慣れた森が、今日はなぜか少し不気味に見えた。
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