第109話 くわばら、くわばら

 素手での鍛錬を終えた俺は、野人流小刀格闘術(笑)の鍛錬に移る。右手で逆手にナイフを抜くと、敵を想像した。


 斬撃を受け流し、素早い突きを鼻に叩きつける。痛みで動きが止まった相手の頸動脈にナイフを走らせた。



 しばらく鍛錬を続けていたが、お腹がへった。今日はここまでにしておくとしよう。久しぶりにしっかりと鍛錬が出来た。


 肩を入れる突きや、ナイフと素手のつなぎがスムーズになった。レベル補正のようなわかりやすい力とは違う、地味な変化だ。


 それでも、レベルの壁を越えないまま強くなれる。


 情報屋によると、トゥロンの裏ギルドは一本化されておらず、ふたつの勢力がしのぎを削っている。


 現在は冷戦状態らしいが、今後はどうなるかわからない。火種はそこら中に燻っている。強くなるに越したことはない。


 メルゴを殺してレベルの壁を越えた方が良かったのではないか? そんな黒い感情が顔を出す。


 いや、それをやってしまったら、俺は引き返せないところに行ってしまう気がする。我ながら頑固だと思うが、その誘惑は断ち切った方がいい。



 ヤシの葉を採取して綺麗に洗う。燃料の木を拾い、いつものように火をおこした。カマドを作りたいが、いい感じの石がない。


 大きな石を見かけたので、肘で叩き割りサイズを調整する。叩き割った石を組み合わせてカマドを作った。


 泉に沈めてある剣鹿ソード・ディアーを引き上げて、毛皮を剥ぐ。部位ごとに肉を解体して、ヤシの葉に包む。


 それなりの作業量だが、慣れているので手早くできた。



 汚れた体を再び泉で洗う。リュックから布を出し、体を綺麗に拭く。体を拭き終えると、リュックから着替えを出して着る。


 ついでに、リュックの底から大型のリュックを取り出した。大きな獲物を仕留めたとき用に、大型のリュックを畳んで入れてある。

 

 市場で買ったリュックを裁縫スキルを使って補強した物だ。この世界でリュックを見つけたときは驚いた。


 なぜリュックを見て驚いたかというと、リュックの発明は意外と最近だからだ。誰でも思いつきそうだが、両肩に背負うタイプが出てきたのは遅い。


 もっと早い段階で個人的に使っていた人はいるかもしれないが、俺の記憶だと歴史に大々的に出てきたのは軍に採用されてからだ。


 銃が使われるようになり、弾薬を運ぶために軍用のリュックが開発された。そのおかげで広まったと記憶している。たしか18世紀ごろのはずだ。


 ネットで見た知識だから、正確なのかわからない。


 だけど、極端にズレているということもないはずだ。地球では18世紀ごろに広まったリュックが、普通に市場に売られていた。


 時代を先取りしすぎじゃねぇか? そう思ったが、リュックは元々猟師が使っていたことを思い出した。


 この世界の冒険者は猟師みたいなものだ。山や森に入り、獲物を仕留めて肉を得る。やっていることは猟師と同じで、地球の猟師より圧倒的に数が多い。


 多くの人がその業種にいれば、その業種のための道具が進化するのも当然の話だ。モンスターという危険生物のテリトリーで行動するのだ、両手がフリーになるリュックが開発されるのも当然かもしれない。


 知識チートのネタが潰れたという部分もある。お手軽に再現できるから、うまく立ち回れば儲けることができそうなネタだったからだ。


 もちろん、ある程度レベルと冒険者ランクが上がり、社会的地位と武力を確保してからの話だが。


 知識チートでお馴染みの様々な開発品は、実はローマ帝国で実用化済みだったりすることが多い。


 異世界とはいえ、地球に似た環境だ。中世ベースだと、すでに色々な商品が開発されている確率が高い。


 文化や発明品の発展は環境によって違うだろうが、同じような思考の生物なら同じような発想にたどり着くはずだ。


 魔法が気軽に使える世界なら『必要ないから開発されなかった』という可能性もあるが、こちらの世界では貴族が魔法を独占しているため、それもない。


 ただ、すでに開発されていたとしても洗練はされていないことが多い。地球の知識は洗練された状態なので、十分に商機はある。


 リバーシに似たゲームは昔から存在するが、あそこまで洗練されていなかった。ローマ帝国にもポンプはあったが、ガチャポンプほど気軽に使えなかった。


 売り方次第では大金を稼げる可能性がある。もっとも、今の状態でそんなマネをしたら、スラムで肉料理確定だけど……。


 話はそれたが、手軽に儲かりそうなネタが潰れたことと、地球の歴史より早く両肩に掛ける形のリュックが発明されていたことの意外性。


 そのふたつに驚いたのだ。


 リュックを見つめながらそんなことを考えていると、パピーからお腹がへったと回路パスを通して伝わってくる。


 ごめんとパピーの頭を撫で、調理の準備を始めた。俺もお腹がへった。調理を急ぐとしよう。


 枝をナイフで削って串を作る。適当なサイズに切った肉を刺して、カマドに置く。地面に刺すスタイルにしようか迷ったが、カマドの横に置いた。


 スペアリブは手で持って直火焼きにする。


 荷物になるからと宿に置いてきたが、鍋を持ってくればよかった。金に余裕ができたら、調理器具なんかも揃えたい。



 肉の焼けるいい匂いがあたりに漂う。匂いにつられてモンスターがやってくる危険もあるが、ここらへんの敵の強さだと俺の収入が増えるだけだ。


 動いた後は腹がへる。筋肉のためにもタンパク質は必要だ。いい具合に火が通ったようだ。俺は串を掴み肉を食う。


 うまい! 鹿肉は脂が少なく、どこか物足りなく感じがちなのだが、魔素味まなみのおかげで美味しく食べられる。


 串から肉をはずし、ヤシの葉に載せパピーに食べさせる。


 ハグハグと一心不乱に肉を食べるパピー。柔らかい首の肉に舌鼓を打ち、スペアリブの骨をしゃぶる。


 小さな体のどこにそんな量が? そう思うほど大量の肉を食べたパピーは、嬉しそうに尻尾を振る。


 その姿を見て癒やされながら、俺もガッツリ肉を楽しんだ。


 

 残りの肉をリュックに入れ、後片付けをする。しっかりと火を消し、ゴミを埋める。後始末よし、忘れ物よし。


 チェックを終えた俺は、リュックに入らない剣鹿ソード・ディアーの角を両手に持つ。


 これ、剣鹿ソード・ディアーと間違えられて弓で射られたりしないよな? 一抹の不安を抱え、俺は町へと向かった。


 変なフラグは立たなかったようで、弓で射られることはなかった。


 でかい角を二本掲げて歩く俺は目立つ。それなりの金を手に入れたことは隠しようがない。


 最悪、衛兵に一本ぐらい持っていかれる覚悟をしたが、なぜか賄賂は要求されなかった。トゥロンは賄賂関係に厳しいのかも知れない。


 ただ、衛兵が嫉妬のこもった嫌な目でこちらを見ていたので、後で酒でも差し入れして機嫌を取っておこう。


 冒険者ギルドでも、剣鹿ソード・ディアーの角は目立った。何人かの冒険者は嫌な目で俺を見ている。しばらく、めんどくさいことになりそうだ。


 ギルド嬢たちは、俺が剣鹿ソード・ディアーの角を持って帰ると、少しだけ表情に変化があった。おそらく、それなりに使えると判断されたのだろう。


 特に、童貞殺しヴァージン・キラーと俺が勝手に名付けた受付嬢。そっけない態度を取った俺にイラついていた受付嬢は、嫌な笑顔を浮かべていた。


 どうやったら自分に貢がせることができるのだろう? そんな考えが、張り付いた笑顔の奥に透けて見える。


 くわばら、くわばら。


 ああいうタイプの女性は苦手だが、俺がモテナイをこじらせて夢中になる可能性もゼロじゃない。


 なるべく目を合わせないようにしよう。


 角と肉は合計で金貨4枚になった。グラバースより高値が付いた。物価の問題かもしれない。肉も需要があるようで、かなりの値段で売れた。


 これだけの人口がある町だ。消費に供給が追いつかないのかもしれない。


 俺とパピーが食べる分は確保してある。どこかの飯屋にでも持ち込みで料理を頼めば、また美味しい鹿肉が食べられる。


 悪目立ちしてしまったが、稼ぎは悪くない。この調子なら生活費には困りそうにない。俺は宿のグレードを上げることにした。




 昼は狩り。夜は情報屋探し。適度に休日をはさみながら、着実に金を貯めている。衛兵ともつてが出来た。


 獲物を仕留めて帰るたびに、日頃の感謝ですと衛兵に賄賂を渡していた。俺が気前よく賄賂を渡すと聞きつけた上役が、俺を出迎えるようになった。


 今までより少し多目に渡すことになったが、いつもは建物から出てこない上役と顔見知りになれた。これはでかい。


 他の衛兵にも酒の差し入れなどをして機嫌を取った。


 これはアルに聞いた方法だった。舐められると搾取されるが、適度にお近づきになる分には有効だそうだ。


 衛兵としても、長く少しずつ搾り取ったほうが利益になる。


 俺が賄賂を渡している間は、武器を取り上げるなど、冒険者を続けられなくなるような無茶はしないということらしい。


 あれから数人の情報屋と接触し、情報の精度も高まった。


 この町の裏ギルドは『緑』と『赤』の二勢力がしのぎを削っている。カラーギャングのように、色で自分たちの縄張りを示しているようだ。


 両方の勢力下にある情報屋からの話を聞き、様々な情報も仕入れた。情報屋への報酬、衛兵の賄賂と出費も多かったが、金は順調に稼いでいる。


 情報が集まり、森にも慣れた。次の段階に進むとしよう。俺は塩漬け依頼に手を出すことを決めた。

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