第107話 小狼以下の頭脳

 気配隠蔽を発動したまま、群れが近付いてくるのを待つ。しばらく待っていると、泉に群れが近付いてきた。


 群れ全体の数は10体ほど。雄の群れだ。肉の味は雌の方が美味しいが、角が高く売れるので雄の方がありがたい。


 ただ、雄の角は危険だし、魔法も使ってくる。


 群れ全体に襲いかかられたら命はない。剣鹿ソード・ディアーは基本臆病で、襲撃されると逃げる傾向にあると聞いた。


 それでも、パニックを起こして襲いかかってくる可能性がある。


 剣鹿ソード・ディアーはモンスターだ。モンスターは個体差が大きく、その行動はあくまでも傾向に過ぎない。以前に剣鹿ソード・ディアーを襲撃したときも、一体が反転して襲いかかってきたことがあった。


 地球の鹿に当てはめて考えるのは危険だ。


 さて、パピーはどう指示をだす。剣鹿ソード・ディアーは足が速い。下手なタイミングで仕掛ければ逃げられてしまう。


 それに、群れ全体で反撃されれば危険だ。


 襲撃されたとき、剣鹿ソード・ディアーがどういう反応を示すかも想像できない。群れは獲物が豊富だが、同時にリスクもはらんでいる。


 パピーが経験を積むにはいい機会かもしれない。


 あまりにもリスクが高い作戦なら、俺が中止と判断すればいいだけのこと。不測の事態が起きる可能性は常にある。


 どれだけ準備をしてもリスクは避けられない。ある程度のことなら俺がフォローすればいいだけの話。


 パピーには失敗を恐れず、チャレンジして欲しい。


 俺がそう思っていると、パピーから想定外の指示が届く。なるほど、やってみるとしよう。



 しばらく身を潜め、剣鹿ソード・ディアーの警戒が緩むのを待つ。水場は危険なため、完全に気を抜くことはない。


 ただ、安全な時間が続けば気を抜く個体が現れるはずだ。雄で群れを作っているということは、若い個体が多いと考えられる。


 必ず隙を見せるはずだ。 


 俺の予想通り、群れは経験不足から警戒心が甘く、弛緩した空気が漂い初めた。


 群れの警戒が緩んだ隙を突くように、パピーが茂みから飛び出した。群れの方ではなく、全く別の方向に向かって走る。剣鹿ソード・ディアーがパピーに気を取られた瞬間。


 俺は投擲スキルを使って、黒鋼のナイフを投擲していた。


 油断していた若い個体を狙う! 


 前足の少し上、心臓めがけてナイフが投擲される。群れの端にいた個体の心臓に、吸い込まれるようにナイフが刺さった。


 心臓にナイフが刺さった剣鹿ソード・ディアーは悲鳴を上げながら走り出す。その悲鳴を聞いた群れが、一斉に逃亡を開始。


 心臓にナイフが刺さった若い雄の剣鹿ソード・ディアーは、ナイフが刺さったまま十数メートル走って息絶えた。


 すごい生命力だ。俺は慎重に近づき、死亡を確認する。



 適当な木の棒を拾い、穴を掘る。腐葉土が堆積した土は柔らかく、レベル補正で強化された力であっという間に穴が掘れた。


 剣鹿ソード・ディアーに刺さったままのナイフを引き抜く。《ソード・ディアー》を傾斜のある場所に少し移動させ、穴に血が流れるようにセット。


 ナイフで首を切り、血を抜く。


 しかし、あまり血が出ない。一瞬不思議に思ったが、胸をナイフで切り開くと大量の血が流れた。


 心臓から大量出血していたようだ。中に血が溜まって表に出なかったのだろう。そのまま腹を切り開き内臓を抜く。


 抜いた内蔵は、さっき掘った穴に入れる。


 食べられる内臓もあるが、買取はしてくれないので捨ててしまう。鹿の肝臓は美味いが、処理に手間が掛かる。


 今日は普通に肉を食べよう。


 高価な角も手に入れたので、肉を売って金を稼ぐ必要はなくなった。ケチらずガッツリ食べてしまおう。


 この量は俺とパピーが腹いっぱい食っても無くならない。食べきれない分は当然金に変える。


 角のサイズはそこそこだ。群れを作るのは若い剣鹿ソード・ディアーなので、特大サイズとはいかないが……。


 それでも貴重な品だ、これらは高く売れるだろう。


 高価な角を慎重に切り落とすと、木の蔓を使い剣鹿ソード・ディアーを縛り泉に沈める。


 やはり水場が近いと処理が楽だ。


 パピーが帰ってこないので、心配になって様子を見に行くことにした。パピーが走った方向に向かうと、気配察知に反応があった。


 パピーに近づくと、自分の仕留めた剣鹿ソード・ディアーを運ぼうと四苦八苦しているパピーに遭遇した。自分でも仕留めたのか、すごいな。


 剣鹿(《ソード・ディアー》の右後ろ足は、足首あたりから千切れている。あそこに噛み付いたのだろう。止めは首に一撃。首の一部が抉れている。


 頸動脈を切ったのか、血溜まりが出来ていた。


 まさか、パピー単体で仕留めるとは……。


 これで俺がいつくたばっても安心だ。まぁ、くたばる気は当分ないがな。


「ヘイ、パピー。グッガール、グッガール」


 俺は誇らしげにこちらを見るパピーを、ガシガシと乱暴に撫でた。


「わんわん! はふはふ」


 パピーは興奮しながら、手に頭を擦り付ける。


 ひとしきりパピーを撫でた後、パピーの仕留めた剣鹿(ソード・ディアー)を運んで解体する。角が二対か……思わぬ収入に顔がほころぶ。

 

 さっきと同じ解体作業をしながら、俺は驚いていた。まさかパピーが飛び道具を使った作戦を立てるとは。


 いくらスキルがあるといっても距離がある。成功する確率は低かった。


 今回はたまたまうまく行ったが、同じことをもう一度やれば失敗する確率の方が高いだろう。


 群れが大きいから、安全策を取ったと思っていた。


 しかし、実際は二段構えだったようだ。パピーが飛び出して、意識をそらす。そして、剣鹿ソード・ディアーたちが逃げるであろう進行方向に身を隠す。


 群れが逃げるために走ると、当然体力のない剣鹿ソード・ディアーは群れの最後尾になる。その剣鹿ソード・ディアーを、待ち伏せしていたパピーが襲撃したわけだ。


 俺のナイフが外れても、パピーが逃げてくる剣鹿ソード・ディアーを仕留められるので、肉がゲットできる。


 パピーが相手にするのは、逃げることに意識を取られた群れ最弱の相手だ。比較的リスクが少ない状態で戦える。


 俺の持っている手札を正確に把握する能力。剣鹿(《ソード・ディアー》の逃亡方向を正確に予測する知能。自分よりも大きな剣鹿(《ソード・ディアー》を確実に仕留める戦闘力。


 パピーはあらゆる能力があると証明してみせた。作戦も、俺が立てる作戦よりよっぽど優秀だ。


 安全な遠距離攻撃と、能力の劣る最後尾の獲物狙う。リスクを削り、獲物を確保する確率もある程度高い。


 俺の投げナイフは当たれば儲けもの。メインの狙いは最後尾の剣鹿(《ソード・ディアー》だったようだ。


 頼りになる相棒で嬉しいような、子狼に負けていることが悲しいような、なんともいえない複雑な気分だ。



 パピーが優れているのなら、俺も相棒として負けるわけにはいかない。肉が冷えるまでの時間、技術を磨くとしよう。


 気配察知に反応はない。誰かに技を見られる心配はなさそうだ。俺は精神を集中させると、集中力を高めた。

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