第103話 塩漬け依頼
教会に足を踏み入れた俺は、その威容に圧倒されてしまう。
入り口の少し前は、大きな広間になっている。吹き抜けになっていて、天井が高い。広い空間には、太い柱が何本も並んでいる。
重厚で頑丈そうな作りの建物だ。それだけでも威圧感がある。
しかし、地味な外見とは裏腹に、室内は様々な彫刻に彩られていた。天井には羽の生えた鎧姿の戦士が、ゴブリンらしきモンスターを成敗する絵が描かれている。
太くて頑丈な柱の一本一本に繊細な模様が彫り込まれ、天井から差し込む光と共に荘厳さを
信仰心の欠片もない俺でさえ、これらの芸術作品を汚したり破壊するのは躊躇してしまうはずだ。
俺が教会の威容に飲まれていると、さっきまで無口だったギルドの役員が饒舌に喋りかけてきた。
「素晴らしいとは思いませんか?」
突然の抽象的な問いに、俺は曖昧に返事をする。
「ええ、素晴らしいですね」
俺がそう答えると、ギルド職員は満足そうにうなずいた。
「そうでしょう、そうでしょう。荘厳にして華美に有らず。神の御威光を表現するのに、過剰な装飾は必要ないのです。こちらの教会は緊急時、避難所としての役目もあります。ゆえに、他の教会に比べて重厚な作りをしているのです。そのことを
うわぁ、やべぇ。こいつ目が飛んでやがる。こいつが
教会の影響力にドン引きしながら、適当に話を合わせて歩く。
狂信者を怒らせるのはやばい。何がスイッチでキレるのかわからないので、当たり障りのない返事をしながら教信者の後を付いて行く。
冒険者は罪を犯すことが多い。神に許しを請えば、安寧が得られる。
新興宗教の勧誘みたいな、ギルド職員の熱いお話を適当に流しながらドン引き具合が加速して行く。
勧誘のつもりかもしれないが、逆効果だろこれ。
こんなの見たら、教会でやべぇ洗脳でもしてるんじゃないか? なんて思っちまう。正直、おっかねぇ。
べらべらと口の回る狂信者が、
男は、司祭と親しげに話している。これだけの狂信者だ、教会の覚えもさぞいいことだろう。
俺は司祭に
手のひらに感じる重さに、司祭は顔を歪めた。袋から取り出した硬貨が金貨だと分かると、司祭は露骨に笑みを浮かべる。
貧相な格好の男が、ケチ臭く銀貨一枚だけ寄付しやがったと思ったら、金貨だったからにっこにこってか。
普通その場で確認しねぇだろ、俗物め。
俺は侮蔑の表情を出さないように気を付けながら、心の中で強欲司祭を罵倒した。
司祭が短い聖句を唱え、俺の額に軽く触れる。俺は頭を下げ感謝の意を示す。すると司祭は、助手らしきやつに後を任せ何処かへ行ってしまった。
「司祭様はお忙しい中、貴方を祝福してくださりました。良かったですね」
「えぇ、ありがたいことです。貴方に感謝を」
俺はそう言うと、頭を下げた。
死ぬほどムカつくが、教会を敵に回すのは自殺行為だ。教会と繋がりが深そうなコイツの不興を買うのは得策じゃない。
俺が頭を下げると、ギルド職員は嬉しそうに笑った。自尊心が満たされたようだ。
自覚はないだろうが、神や教会のご威光を盾に自尊心を満たしてやがる。
こういったタイプは厄介だ。簡単に感情に振り回される。いいように使われるのも不味いが、目を付けられるのも不味い。
やはり、大都市は一筋縄ではいかない。出会う人間すべてに危険性がある。俺はうんざりしながら、狂信者と助手の後を歩く。
大きな礼拝堂の奥に進み、祭壇の横にある道へと入った。そのまましばらく進んで行くと、助手が部屋の前で止まった。
部屋の前には、
助手が一言声を掛けると、衛兵たちは扉の前から横へと移動した。扉が開けられ、中へと案内される。
入った部屋は意外と狭かった。
奥には祭壇があり、その上に大きな水晶のような物が鎮座している。占い師が使うような球体の水晶に、それはよく似ていた。
助手に促され、水晶に触れる。
電気が流れるようにビリっとくるだとか、ものすごい輝きが球体から溢れ出すなんてことはなかった。
なんの変化も感じられないまま、水晶にぼんやり20とだけ表示される。
それを確認したギルド職員は一言、『確認しました』とだけ言った。本業の方はやたら無口な男だ。
普通逆だろ、狂信者め。
その後、助手に案内されて教会の外へ出る。お見送りなんて気持ちのいい物ではなく、監視をしているのを隠そうともしない態度だった。
自己紹介も受けていないので、あの助手君が何者なのかもわからない。助祭なのか、ボランティアの一般人なのか。所属と階級ぐらいは名乗るべきだ。
確かに冒険者はろくな人間がいない。
だけど、ああも露骨に態度に出されるといい気持ちはしない。
改めて教会の傲慢さが浮き彫りになった。
信者たちは頭を下げ、恭しく接している。そのせいで、人に頭を下げられる状態が普通になってしまっているようだ。
教会でも、傲慢は罪とされているはず。
神に身を捧げ、教義を体現する必要がある宗教関係者がこれだ。司祭どころか、下っ端の案内役ですら増長している。
体感することで、改めて強く認識できた。
教会は腐っている。
どれだけ巨大な教会を立てようと。どれだけ美しい芸術品で内部を飾り立てようと。
中身がどうしようもなく腐っている。
あの様子では、教会に尽くしてもあっさり見捨てられるのがオチだ。信者を奴隷か何かだと思っていそうな態度だった。
教会は気に入らないが、強い権力を持っている。寄る辺の候補として考えていたが、他者への侮蔑を隠さないほど傲慢な人間とはうまく付き合えない。
完全に無視もできないため、目をつけられないように気をつけながら接していくしかないだろう。言葉にすると簡単だが、それを実行するのがどれほど大変なのか。
今後の苦労を考えると、ため息がでそうになった。
教会内とは打って変わって、無口になった職員とギルドに戻る。教会の礼拝に勧誘されたが、予定が合えばと曖昧な返事で誤魔化した。
申請が通れば、俺もめでたく5級冒険者だ。十把一絡げの6級冒険者とは違い、一目置かれる存在になる。
5級冒険者として安定して活動できるようになれば、パピーの存在もオープンにしていきたい。
現状、パピーには窮屈な思いをさせている。パピーを表に出すことで、トラブルを引き寄せるかもしれない。
だけど、パピーに色々と経験してもらいたいと思っている。
人の優しさ、強さ、弱さ、醜さ、汚さを学んで欲しい。俺以外の人間を知って欲しいんだ。
子狼には難しいかもしれないが、パピーは賢い。すべては理解できなくても、得るものがあるはず。
パピーには、最大の敵になりうる、『人間』という生き物を学んで欲しい。
俺がくたばるか、パピーが自然に帰るときがいつか来るかもしれない。そんなとき、パピーにとって最大の敵になりうる人間を知って欲しいのだ。
そんなことを考えていると「ランクアップ申請の手続きをされていた方!」とギルド内で声が響いた。
俺のことだろう。
個人名を認識しないと不便だと思うが、トゥロンは交易都市で人の出入りが激しい。その上、冒険者は簡単に死ぬ。
いちいち個別に認識などしていられないのかもしれない。
もっとも、この町で長く活動している人たちは名前で呼ばれているみたいだが。
個人的に親しくなったから名前で呼ばれているのかもしれない。公私混同も
冒険者ランクが上がると、ギルドタグがどんどん豪華になる。3級を超えると、個人名が刻印されると聞いた。
それ以下の、一山いくらの冒険者たちは名前を覚える必要すらない訳だ。冒険者は消耗品だと、改めて理解させられる。
まぁ、日本の日雇い労働者も似たようなものか……。
呼ばれた受付に向かうと、いつもの受付嬢ではなく別の女性だった。明るい茶色の髪を三つ編みにした、目のぱっちりした可愛らしい女性だ。
このギルドは美人受付嬢が多い。
もっとも、前の受付嬢は油断ならない女性だったが……。
この女性も、ランクアップ申請のことを大声で言っていた。プライバシーの保護なんて概念はなさそうなので、当たり前のことかもしれない。
ただ、前の受付嬢は明らかに故意だった。この受付嬢も食わせ物かもしれない。
俺は警戒しながら、受付嬢の話に意識を集中させた。
「レベルの確認が終了致しました。おめでとうございます」
受付嬢はまぶしいほどの笑顔で俺を見つめる。耐性のない人間なら、これでいちころだろうな。だが、警戒心MAXの俺には
「ありがとうございます」
当たり障りのない返事を素っ気なくすると、一瞬だけ受付嬢の笑顔が歪んだ。
食いつきが悪かったことが、気に入らなかったのかもしれない。
目をハートマークにしながら鼻の下を伸ばさないことに、プライドが傷付けられたようだ。
俺のように、
「レベルの確認ができたのですが、このままでは5級冒険者として登録することはできません」
予想外の言葉に、俺は表情を歪めてしまった。
感情を顔に出すと相手のペースになっちまう。ポーカーフェイスは崩さないようにしなければ。
俺が気に入らないから、嫌がらせをしているのか? いや、受付嬢にそんな権限はないと思う。落ち着いて話を聞こう。
「ギルドの規約にもありますように、ランクアップするためにはレベルの確認が必要です。ですが、それ以外にもランクアップのために必要な条件がございます。それは、ギルドへの貢献度です」
ギルドへの貢献度……。
確か、規約に書いてあったと思う。だが、レベル20になるまでにはそれなりに依頼をこなしているはずだ。
他の職業から冒険者に転職する人間はほとんどいない。
レベル20に到達するまでには、かなりの数の依頼をこなしていると見られ、何の問題もなくランクアップされるのが慣例だと聞いたことがあった。
今回も、慣例に従いあっさりランクアップできると思っていが……。この展開は予想外だ。
「貢献度といいましても、実際は5級相当のクエストをこなせる実力があるのか確認する試験のようなものです。当ギルドの指定する5級相当の依頼を受けて頂き、5級に認定するに値するギルド員だと証明して頂きます」
なるほど、レベルに見合った実力があるのを証明するために依頼をこなせということか。
しかし、それがなぜギルドへの貢献になる。俺が思案していると、受付嬢がいくつか依頼表を持ってきた。
「これらの依頼を完了して頂きます。十分な結果をだし、ギルドへの貢献度が規定値に達すると、5級冒険者としての資格が得られます」
笑顔の受付嬢が差し出す依頼表を見て、俺は顔を歪めた。
そういうことか……。
依頼は
仕事と報酬のバランスが取れていなかったり、依頼の達成そのものが困難だったりする、普通の冒険者はまず受けない
汚いマネをする。ランクアップを盾に、塩漬け依頼を片付けさせるつもりだ。
ランクアップに必要な数字や、依頼ひとつでどのくらいの貢献度が加算されるのか。それらの説明がなされていない。
冒険者たちが理解できないように小難しい言葉をこねくり回しているが、ギルド側の気分次第でいくらでもこき使つかう。そう言われたのと変わらないわけだ。
思わずポーカーフェイスが崩れ、受付嬢を睨んでしまう。俺の視線など、どこ吹く風と言わんばかりに、ニコニコと笑う受付嬢。
怒りが溢れてくる。
しかし、しがない6級冒険者の俺が、ギルドに逆らえるわけがない。塩漬け依頼を片付けるしか道はないようだ。
現状を変えられないのなら、今ある中でベストを目指すしかない。俺は唇を噛み締めながら、少しでもマシな塩漬け依頼を探すことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます