第101話 噛みしめる幸せ

 最悪の気分だが、感情に振り回されている場合じゃない。


 入市の待ち時間は思ったよりも短かったが、それでもかなりの時間が経っている。


 すでに、日は沈みかけていた。


 こんなクソみたいな治安の町で宿無しなんてゾッとする。冒険者ギルドに行って、用事を済ませるついでに宿を紹介して貰おう。


 冒険者ギルドは、その性質上入り口に近いことが多い。適当に歩いていれば見つかるだろうと思っていたが、なかなか見つからない。


 仕方がない、そこらへんの屋台で道を聞くとするか。俺は適当な屋台で金を渡し、冒険者ギルドの場所をたずねた。


 屋台の親父によると、町の東側にも入り口がある。東側の入り口のすぐ近くに、冒険者ギルドがあるとのことだった。


 俺の入った南側の門は治安が悪く、人気のない入口のようだ。


 護衛を多く雇えない行商人は東門から入るほど、町中とは思えないほど危険な場所らしい。


 待ち時間が少なかったのは、効率的な入市システムだけじゃなかったんだな。スラムに近く、人気のない出入り口だったから人が少なかった訳だ。


 そりゃ、お上りさんの財布も狙おうってもんだぜ。


 色々思い出してへこみそうになるが、意識を切り替えて頑張るしかない。取り敢えず宿だ。



 俺は屋台の親父に礼を言うと、冒険者ギルドへ向かう。


 屋台の親父に聞いた通り、メインストリートをまっすぐ進む。下手に裏道などを使うより、遠回りになってもメインストリートを進んだほうがいいと言われた。


 この地区は治安が良くない。


 下手に裏路地に入ると、トラブルに巻き込まれる危険があるそうだ。


 でも俺、メインストリートを歩いていたのに、トラブルに巻き込まれたんですけど……。


 冷静に考えると、ヒデェ町だな。


 まぁ、隙があった俺にも責任がある。気持ちを切り替えて行こう。これ以上のトラブルはゴメンだ。最大限警戒しながら歩くとしよう。



 交易都市と言われているだけあり、しっかりと道路は整備されていた。治安の悪い地域にもかかわらず、メインストリートの整備は完璧だ。


 隙間や段差のほとんど無い石畳。馬車がすれ違える広い道幅。


 石が欠けていたり、穴が空いていることもない。メンテナンスも行き届いているみたいだ。


 雨の排水も、しっかり考えられている。道に少しだけ傾斜がついており、排水口に流れ込む構造になっているようだ。


 これもメガド帝国の技術だろうか? 


 道ひとつとっても、今までの都市とは全く違う。少国家群で最も文明的な町と言われているだけのことはある。


 道路ひとつ取っても、進んだ文明をしっかりと感じることができた。


 それに、馬糞などもしっかり掃除されている。転生前の水準で考えても、道は清潔に保たれていた。


 道路の清掃を行っている人々を見ると、首輪をした奴隷らしき人たちのようだ。町を巡回して、ゴミや馬糞を片付けている。


 おぉ、奴隷だ。


 これまでも奴隷を見たことはあるが、大抵表からは見えないところで労働させていた。奴隷は汚いもの、隠すものと考えられている節が今までの町にはあった。


 ここまで堂々と奴隷を表に出している。俺はそのことに衝撃を覚えた。


 当然、奴隷がいることは知っている。戦争奴隷、犯罪奴隷、借金奴隷。形は様々だが、奴隷という身分の人たちがいることは知っていた。


 日本の倫理観で思うこともあるが、奴隷を解放しろ! なんて青臭いことを言うつもりはない。


 文明が成熟すれば、奴隷制度はなくなる。労働力の問題、倫理観、基本的人権という思想。社会が成熟すれば、やがて消えていくものだ。


 存在しているということは、社会にとって必要な存在なのだろう。自分がその立場になるのは嫌だし、奴隷の人には同情を覚えるがそれだけだ。



 奴隷は基本的に人権がなく、鉱山などの危険な仕事に従事している。


 他にも、モンスター相手の肉壁、やべぇ性癖を持った変態相手の娼婦など、長生きできない仕事がほとんどだ。


 町で働いている奴隷も、糞尿の処理など人目につかない時間帯や場所でひっそり働いていると聞いたことがある。


 今までは、町中で働く奴隷とは関わる機会がなかった。奴隷の運用方法も、他の町とは違うのかもしれない。


 まぁ、奴隷の扱いや仕事はどうでもいい。


 問題は、今まで意識しないようにしていた存在が目の前にいるということだ。


 スラムのガキといい、奴隷といい、今まで目をそむけてきた存在が目の前に突きつけられている。


 前世の倫理観から見れば、どちらも悲惨な状態だ。基本的な人権など尊重されず、日々を生きるのに精一杯。


 無力な子供を守るどころか食い物にして、奴隷たちを人ではなく『物』として扱っている。


 ひどい話だ。


 だけど、俺に何ができる? 自分の身を守るために、その可哀想な子供の腕をへし折った俺に何ができる……。


 この世界の住人は、スラムの子供や奴隷は当たり前のものとして受け入れている。いつまでも前世のくだらない価値観に引きずられるな。


 まったく、嫌になる。覚悟を決めたはずなのに、現実を突きつけられると動揺してしまう。


 物語の主人公のように、一度決めたらやり通す強い意志なんて俺にはない。


 転生前の俺は、多少空手を齧ったことのある普通のおっさんだった。動揺もするし迷いもする。強く心に決めたと思っていても、躊躇してしまうこともある。


 少しずつ、何度も心に誓うことで思いを強くしていくしかない。何度も経験して、学んでいくしかない。


 自分おれはどこまで行っても凡人だ。


 異世界に行くなんて、物語の主人公のような経験をしているのになぁ。そう自嘲しながら歩いてると、高層建築の隙間から城壁が見えた。


 内壁? あぁ、そうか。


 町を拡張するたび、町を囲む城壁を作っているのか。


 城壁の門で、衛兵が検問をしていた。おとなしく列に並んでいると、俺の後ろに並んでいた男がジロジロと俺を見ている。


「なにか御用ですか?」

「いえ、あのですね……」


 ジロジロと俺の方を見ていた男に話しかけるが、言葉を濁している。威圧的にならないように気を付け、男に詳しく話してくれるように頼んだ。


 男の話をまとめると、小汚い格好だと門の内側に入れないそうだ。とても言葉を選んで話してくれた。


 初めてこの町に来た人間はそのことを知らずに、衛兵と揉めることが多いそうだ。俺は男に礼を言うと、銅貨を数枚渡す。


 男は少しだけ遠慮したあと、遠慮がちに銅貨を受け取った。


 大した額じゃないが、エール一杯ぐらいは飲めるだろう。善意からなのか、それとも俺が揉めると門の内側に入るのが遅れるからなのか。


 理由はわからないが、有益な情報を教えてくれた。ちょっとした対価ぐらいは当然だろう。


 改めて自分の格好を見る。たしかに小汚い。


 ゲイリーに斬られた革鎧は、無理やり革紐で縫い付けてある状態だ。比較的安価な革鎧ですら、買い換える余裕がないやつに見えてしまうかもしれない。


 森を通ってきたため、服も汚れている。


 しまったなぁ……。


 体を綺麗に洗って、背嚢リュックの肥やしになっている執事服でも着ればよかった。


 こまめに川で体を洗っていたから、スラムの住人よりは小綺麗だとは思うが……。確かに貧相な身なりに見えてしまう。


「次!」


 衛兵に呼ばれ、俺は前に出る。荷物をチェックされ、ボディチェックをされる。すべてが終わったあと、衛兵は俺の全身を眺めながら思案していた。


 俺はすかさず、賄賂を渡す。


「お役目、お疲れ様です」


 俺はそう言いながら、笑顔で銀貨を1枚渡した。


 幸い、即座に侵入禁止とは言われなかった。俺の身なりは微妙なラインだったのかもしれない。


 一度追い返されたら、身奇麗にして戻ってきても追い出される可能性がある。少しもったいないが、ここは賄賂で乗り切るしかない。


 衛兵は、渡された賄賂を確認した。銀色の輝きを確認した衛兵は、小さくうなずく。


「通ってよし!」


 相場がわからなくて不安だったが、大丈夫だったようだ。ほっと息を吐くと、しっかり前を向いて内壁の中へ進む。


 門から進み、南地区を離れるほど治安が良くなる気がした。南地区は裏路地にはやべぇ雰囲気が漂っていて、裏路地は整備が行き届いていなかった。


 しかし、門を通ったこちら側は裏路地も綺麗だ。やべぇ空気も感じられない。街ゆく人も小奇麗で、裕福そうな人も歩いている。


 ただ、こちら側でも奴隷が目立つ。


 今までの少国家群の国々と違い、奴隷を表に出すのが普通のようだ。単純労働に奴隷を使っているのか、かなりの数を見かける。


 意外なことに、皆そこそこ小奇麗だ。ボロを着せられているわけでもなく、ガリガリに痩せているわけでもない。なんなら、俺の方が小汚いぐらいだ。


 奴隷だとわかる首輪をしていなければ、奴隷たちは普通の町の住人のようだった。


 町の住人どころか、奴隷より小汚い格好をしている。そう考えると、何故か急に恥ずかしくなった。


 早く冒険者ギルドに行って、宿を紹介してもらうとしよう。宿で汚れを落として、まともな服に着替えれば俺の外見もマシになるはずだ。


 メインストリートを進むと、十字路に差し掛かる。この十字路を東に行けば、冒険者ギルドがあるはずだ。



 十字路を曲がってから結構な時間を歩くと、ようやく特徴的な看板が見えてきた。靴と交差した剣、冒険者ギルドの看板だ。


 巨大都市の冒険者ギルドは、もっと大規模で巨大な建物なんだとおもっていた。


 しかし、トゥロンの冒険者ギルドは意外と普通のサイズだった。建物の大きさだけなら、グラバースのギルドの方がでかいぐらいだ。


 2階建ての大きな宿屋と同じようなサイズで、町の規模に比べてあまりにも小さいように感じてしまう。


 意外と、冒険者の需要がない町なのかもしれない。


 いろいろ考えても仕方がない、取り敢えず入って宿の場所を聞くとしよう。


 ギルドに入ると、受付カウンターは3席しかない。受付嬢は全員美人だった。


 さすが大都市トゥロン。いい仕事してるじゃねぇか。


 ギルドに併設されている酒場では、冒険者たちが盛り上がっている。この感じはどこの町でも変わらないなぁ。


 俺は冒険者たちが騒ぐ声を聞きながら、おとなしく列に並んだ。


 ギルドに入ったとき、珍しく絡まれなかった。このまま何事もなく、無事に用件が無事終わりますように。


 今は精神状態が不安定だ。絡まれると、過剰に反応してしまう可能性がある。


 町に来た初日に殺しはまずい。せめて冒険者ランク5の認定を受けるまではおとなしくしていないと。


 俺は祈るような気持ちで順番を待った。


 俺の順番が来ると、受付嬢は言った。


「トゥロンの冒険者ギルドへようこそ、どのような御用でしょうか?」

「ランクアップ申請をしたいので、手続きをお願いします。あと毛皮の買い取りもお願いします」

「え? ランクアップ申請ですか?」


 受付嬢が驚きの声を上げる。


 5級冒険者になるには、20レベルを超えていなければならない。そのため、レベルが規定を超えていると証明する必要がある。


 ランクアップ申請とは、規定のレベルに到達していることを証明するための手続きだ。


 教会が所持している秘宝アーティファクトでレベルが確認できる。


 ギルドの職員が教会に同行して、規定のレベルに到達していのを確認してもらう必要がある。


 俺の格好はどう見ても、食い詰めた雑魚冒険者といった風貌だ。まさかこんなヤツがランクアップ申請をするとは思っていなかったのだろう。


 だけど、大声でランクアップ申請とか言うなよ。個人情報ダダ漏れじゃねぇか。


 驚いたにしても、それを態度に出すんじゃねぇよ。一応プロだろアンタ。


 この時点で、俺の受付嬢に対する評価は最低になった。美人でも許せる範囲を超えている。


 しかし、腐ってもプロの受付嬢。一瞬で気持ちを切り替えて対応してきた。


「教会への予約が必要になりますので、時間的に本日は不可能です」

「いつなら大丈夫でしょうか?」

「教会の方へ確認を取りますので、お手数ですが明日の昼頃またいらしてください」

「はい、了解しました」


 さすがに、今すぐとはいかないらしい。


 おすすめの宿を聞く予定だったが、この受付嬢は信頼できない。別の人物に聞くとしよう。


「毛皮の買い取りは、あちらの買取カウンターへお願いします」

「はい、ありがとうございました」


 俺は買取カウンターへと向かった。



 買取カウンターで殺人兎キラー・ラビットの毛皮を出すと、買取所の親父が興奮して大変だった。


 買取所に貴重な物を持ち込んだとバレれば、金を持っていると判断されて狙われる可能性がある。


 このギルドは個人情報の扱いがひどい気がする。どこかで俺の情報が漏れたと想定したほうが良さそうだ。


 大金を手に入れた、弱そうな冒険者の情報。高く売れそうな情報だ。嫌な気分になるぜまったく。


 殺人兎キラー・ラビットの毛皮は、なんと金貨20枚で売れた。最初は15枚だったが、殺人兎キラー・ラビット毛皮は貴重だと聞いたことがあった。


 そのため、価格交渉でゴネにゴネたら20枚にまで買取価格が上昇。


 最初はどれだけ低い値を付けてやがったんだって話だよ。金貨5枚も低い金額で提示しやがって……。


 20枚でも買い取ったということは、それでも利益が見込めるということだ。もちろん、販売経路がない俺はギルドの提示額で満足するしかない。


 だが俺は、金貨20枚で十分満足している。とんでもない大金だ。


 殺人兎キラー・ラビットに襲われたときはかなり危険だったが、その危険に見合うだけの金貨を手に入れることができた。


 アルゴにもらった金貨10枚と合わせて金貨30枚。


 これで、マシな革鎧といい靴が買えるかもしれない。今日一日抱えていた胸のモヤモヤが、少しだけ晴れた気がする。



 俺は買取所の親父に教えてもらった、高くてもセキュリティのしっかりした宿で部屋を取った。


 部屋に入ると、フードからパピーがピョコンと飛び出した。


 しばらくは、パピーはなるべく人目に触れさせないようにしようと考えている。ある程度この町で足場を固めてからじゃないと、おっかなくてパピーをおおやけにできない。


 モンスターだというだけで排除しようとする奴や、パピーの可愛さにやられて俺から奪おうとする奴が現れるかもしれない。


 パピーだけ森の浅い部分に居てもらうことも考えたが、俺たちはお互いが離れることを嫌った。


 パピーにはしばらく窮屈な思いをさせるが、それでも一緒にいたかった。


 窮屈な思いをさせてごめんね。俺はパピーを優しく撫でる。


「わふわふ」


 パピーは嬉しそうに目を細めた。回路パスを通して、一緒にいれて嬉しいと伝わってきた。


 ありがとう。俺は感謝の気持ちを込めて、パピーをギュッと抱きしめた。



 宿に向かう途中、店じまいの準備をしている屋台があった。交渉して、売れ残りを半額で買うことに成功。


 スーパーの見切り品をゲットしたようなお得感を感じられて、少しだけテンションが上がる。


 しかし、元の高いようで、半額でもそこそこの値段だった。


 値段が高い分、香辛料などが使われているようだ。そのおかげで、少し冷めた串焼きでも十分美味しく感じられる。


 俺は串焼きをはぐはぐと美味しそうに食べるパピーを見て、とても癒やされていた。


 今でも、子供の腕を折った感触と悲鳴が頭から離れない。この気持ちと向き合わなければいけない。


 それは理解している。


 だけど、今だけは……この幸せをゆっくりと噛み締めていたかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る