第100話 スラムのガキ

 おのぼりさん丸出しで周囲をキョロキョロと見渡す。


 おぉ、建物が高い! 技術力の関係なのか、こっちに転生してから2階建て以上の建物を見たことがなかった。


 トゥロンではそこら中に4~5階ぐらいはありそうな建物が建っている。


 丘の上には白を基調とした美しい領主の城が建っており、中央部に一際目を引く巨大な教会が存在感を放っている。


 このふたつの巨大建造物だけで、トゥロンは他の都市とは一線を画す。理屈ではなく、そこに存在するモノで理解させられてしまった。


 建築や維持にどれだけの費用が掛かるのか……。トゥロンの富と力をこれでもかとアピールしている。


 なるほど、確かに少国家群でもっとも文明的な町なのだろう。


 しかし、文明豊かな町というわりには景観がごちゃっとしている。無計画に拡張を続けました、といった感じだ。


 少国家群で最も文明的な町と聞くと、区画整備された理路整然とした町並みを想像してしまう。


 トゥロンは、想像とは真逆だった。


 良く言えば、勢いのままに拡張を続ける景気の良い町。悪く言えば、流入する富や人を管理しきれず、ひたすら肥大化を続ける欲望渦巻く巨大都市。


 美しい城や荘厳な教会が示す文明的な町というイメージとは裏腹に、トゥロンの町並みはあまりにも粗雑で品に欠けていた。



 それにしても臭いが酷い。


 かつてのパリも糞尿を窓から道に捨てる文化のせいで、悪臭に包まれていたという。大都市だからといって、衛生的とは限らない


 初めてロック・クリフに入ったときも、色々な匂いが混ざった生活臭にえずいた。


 あれは香辛料の香りと、人々の体臭や生活で出る匂い。料理の匂いや、ドブ川の悪臭など、様々な匂いが混ざったことで、においからにおいに変化した悪臭だった。


 だが、トゥロンは違う。単純に悪臭でえずいてしまった。嗅覚が鋭いパピーも辛そうだ。


 原因はスラムだ。ロック・クリフのスラムと違い、排泄物の匂いや腐敗臭が漂ってくる。スラムでも最悪の部類に入る場所なのか、それともしっかり管理をしている組織が存在しないのか。


 どちらにせよ、酷い臭いだ。


 スラムは大都市として避けられない負の部分。だが、町に入ってすぐこの匂いとはパンチが効いてやがる。


 このままここにいたら、服に臭いが付いてしまいそうだ。俺は臭いから逃げるように、足早に町の中心部へと向かっていく。


 すれ違う人の身なりや人種は様々だが、人族しか見かけない。ファンタジー世界というより、中世ヨーロッパをイメージしてしまう。


 この臭いに、イメージが引っ張られているのかもしれない。


 入り口からずんずん進み、ようやく匂いがマシになった。


 まだ鼻に匂いが残っているようで、嫌な感じがする。ごまかすように鼻をつまんでフガフガやっていると、子供とすれ違った。


 俺はすばやく、すれ違った子供の手を掴む。


 俺に掴まれた子供の手には、俺の財布(革袋)が握られていた。おのぼりさん丸出しでキョロキョロしていたからだろう、いいカモに見えたようだ。


 俺が命がけで稼いだ金だ。地球で稼いだ金とは重さが違う。いっそ手を握りつぶしてやろうか? 俺は掴んだ手に力を込める。


「いぎぃ」


 メキリと骨がきしみ、子供が悲鳴を上げる。


 俺は子供をしっかりと観察した。裸足にボロボロの服。細い腕。ガリガリに痩せた体。どれだけ風呂に入っていないのだろう、えた匂いが漂ってくる。


 途端に、俺の中に発せられていた怒りは霧散してしまった。胸が締め付けられる。日本ではここまで貧しい、追い詰められた子供を見たことがない。


 募金のCMなどでガリガリの子供の写真が出てきたりする。かわいそうだとおもうが、自らの少ない稼ぎを募金しようなどとは思わなかった。


 自分を含めた多くの人がそうだったはずだ。所詮は対岸の火事。俺だって生活は楽じゃない。募金する余裕なんてない。そうやって罪悪感に蓋をしてきた。


 だが、目の前で見てしまった。TV越しの遠くの出来事ではなく、目の前に困窮している子供がいる。人から金を盗まないと生きていけない子供がいる。


 ロック・クリフ、グラバースどちらにもいたはずだ。だけど、視界に入れないようにしてきた。そんな子供は存在しないと目を逸らしてきた。


 今まで散々見捨てたくせに、目の前にいるだけで心を痛めるのか? 反吐へどが出る、偽善者め。


 自分の中の冷静な部分がそう語りかける。


 理屈じゃないんだ、なぜか悲しいんだ。心の中で感情が訴える。


 風呂に入れてやり、綺麗な服を着せ、飯を食わせてやる。ある程度まとまった金を渡して、感謝されて別れる。


 自分はいいことをした。これで枕を高くして眠れる。そんな単純な思考回路なら楽だった。


 だけど、そんなことをしたら逆に危険だ。


 この子供が殺され、金や服を奪われ、裸でスラムの路上に死体として転がっている未来が容易に想像できる。


 自分ではどうにもできない。


 一生面倒を見るわけにもいかない。一生とは言わず、自立できるまで支援する? PTメンバーに誘う? 孤児院を運営する? どれも不可能だ。


 俺は物語の主人公のようにチート持ちでもなければ、大金持ちでもない。自分の生活すらままならない、ただのおっさんだ。


 そんな状態で、お荷物を抱えて生きていけるほどタフじゃない。


 それにキリがないじゃないか。どこまで助ける? 何人助ける?


 子供の手を掴みながら、高速で思考が巡る。早く対処しなければいけない。多くの人が見ている。


 このまま何もせず、金だけ取り返す。そんなことをすれば、甘いやつだと噂が広がるリスクがある。


 そうなると、ガキのスリに執拗に付け狙われる可能性がグンと上がる。


 日本でもそうだった。


 強引な訪問販売などに引っかかった奴は、家に業者だけがわかる暗号を刻まれて、骨の髄までしゃぶられる。


 悪党には悪党のコミュニティがあり、そういった情報が出回ると致命的だ。


 やれ! 野人。手を握り潰せ。冷酷な部分がそう叫ぶ。やめろ! 相手は子供だぞ! 俺の倫理観がそう叫ぶ。


 日本で空手の指導をしていたとき、道場に子供たちがいた。あの子達の笑顔がなぜだか浮かんでくる。


 心臓の音がヤケにうるさい。動かなければ、決断しなければ。俺が苦悶していると、気配察知で男の動きをとらえた。


 激しく動揺していたこと、動きの対象が自分ではないこと。それらの理由で反応が遅れてしまう。


 現れた男が、棒を振るって子供の頭を殴打したのだ。ゴッと鈍い音がなり、子供の手から俺の財布がぽとりと地面に落ちた。


 男は、倒れた子供に殴る蹴るの暴行を加え続ける。俺は財布を拾い、その光景を眺めるしかできなかった。


 止めろ! そう叫んで、男を止めることも。生ぬるいと男に割り込み、さらにひどい暴行を加えることもしなかった。


 暴行を加えられた子供の悲鳴が止み、ピクピクと痙攣しながら動かなくなった。


「いやぁ、災難でしたね、旦那」


 男は軽薄そうな笑みを浮かべながら近付いてくる。


「あんたは誰だ?」


 自分でもびっくりするほど、間抜けな返答だった。


「名乗るほどの者じゃありやせん。ここらへんは手癖の悪いガキが多いんでさぁ」


 男はそう言うと、ニヤニヤとしながら子供に視線を向ける。


「そのようだな」


 俺は、男と会話をしながら真意を探る。こいつは何者だ? 衛兵ではない。町の自警団でもなさそうだ。


「そこのゴミはあっしが始末しときやす」


 男がそう言ったとき、仄暗い感情が見えた。


 欲望、怒り、そして俺への侮蔑。俺を馬鹿にしている。子供への対応を躊躇ちゅうちょした温いやつだと思っている。


 確定だ。コイツはガキの元締めだ。冷静になってみれば、派手に殴っていたが、急所を不自然に外している。


 子供のリアクションも、どこか大げさだった。


 コイツ、このまま有耶無耶にしようとしていやがる。俺はそう感じた。


 そして、気配察知を通して、路地から多くの人間がこちらを窺っているのがわかる。俺の対応を見ているのだ。


 温い対応をすれば、カモだと認定されるに違いない。


 腹が立ってきた、クソが。どいつもこいつも人を食い物にしようとしやがって。


 何より自分に腹が立つ。何を躊躇している。


 裏ギルドの連中は子供を鉄砲玉に使う。相手が子供でも、覚悟を決めなければいけない。森でそう思っていたはずなのに。


 自分の甘さに反吐へどが出る。


 相手が子供だとか、そんなことに気を使ってられるほど俺は強くなったのか? 違うだろ。


 下剤を仕込まれた、クソ漏らしメルゴにすら苦戦した雑魚じゃねぇか。しっかりしろ野人。俺の行動ひとつでパピーにも危険が及ぶんだぞ。


 今度こそ覚悟を決めた俺は、湧き上がる怒りを拳に乗せニヤケ面の男をぶん殴る。


「俺様の獲物を勝手に奪ってんじゃねぇ」


 俺の行動に意表を突かれた男は、まともに拳を受ける。顔面を殴られ、倒れた男に追い打ちを掛けるように顔面を踏みつける。


「うぎゃあああ。やめてくれ、やめ」


 俺は男の懇願を無視。死なない程度に手加減して、顔面を何度も踏みつける。鼻が潰れ、歯が折れ、頭が地面にバウンドする。


 男の心にたっぷり恐怖を刻み込んだあと、倒れている子供に近付く。気絶しているように見えるが、呼吸や唾液の嚥下などから、狸寝入りだと看破かんぱした。


 つまらない同情心で心を曇らせた。コイツは犯罪者だ。


 立場の弱いスラムの子供。犯罪行為でしか生きられないかもしれない。悪い大人に強制されたのだろう。


 だが、そんなことは関係ない。


 情けないことに今、覚悟が決まった。てめぇには見せしめになってもらう。


「おいガキ、寝たフリしているのはわかっている。相手が悪かったな」


 俺がそう言うと、子供は弾けるように飛び起きた。そのまま逃げ出そうとする子供の腕を掴み、ヒネる。


 肘が裏返しになり、ピンと伸びた。そこに肘を叩き込む。人通りの多いメインストリートに、子供の悲鳴が響き渡った。


 周囲の人間は足も止めない。一部の人間がニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら見ているだけだ。


 俺は腕をへし折られ、のたうち回っている子供に裸絞を掛ける。数秒頸動脈を圧迫すると、子供はすぐに意識を失った。


 失神した子供を放置して、元締めの男の懐をあさる。元締めは弱々しく抵抗したが、数発ぶん殴るとおとなしくなった。


 金目の物を回収した後、子供と元締めを乱暴に裏路地に投げつける。


 コソコソとこっちをうかがっていた連中は、元締めと子供に群がり身ぐるみを剥いでいた。


 弱者にゾンビのように群がるスラムの住人を見て、背筋が寒くなる。もしかしたらここは、モンスターが徘徊する森より生存サバイバルが大変な場所かもしれない。




 さすが大都市だ、初っ端からかましてくれる。


 しかし、俺は運がいい。相手がスリでよかった。あれが暗殺者なら、子供相手に動揺して殺されていたかもしれない。


 安全な状態で覚悟が決まった。俺は本当に運がいい。


 だけど、腕をへし折られた子供の悲鳴が耳にこびりついて離れない。クソ、イラつくぜ。クソガキも、ガキを食い物にする大人も、無力な自分も、何もかも腹が立つ。


 俺は最悪な気分で、メインストリートをあてもなく歩いた。


 

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