第99話 文明力

 眠りから目覚めた俺は、いつものようにストレッチをする。人間に備わっている体内時計ってのはたいした物だ。


 目覚ましがなくても、なんとなく起きたい時間に起きられる。


 ストレッチを終えたが、空はまだ薄暗い。登った朝日と太陽の色が混ざり、空は群青色に染まっている。


 ちょうど、太陽が昇り始めたぐらいの時間だ。朝食が終われば、日が昇り出発できる時間になるだろう。


 さて、朝食は何にしようかな。


 荷物になる殺人兎キラー・ラビットの肉を食べるのが、合理的なのはわかっている。


 肉は熟成していないが、熟成していないことで足りないと感じるうま味も、魔素味まなみがあるので補えるはずだ。


 問題は、中毒状態なのに格4のモンスターの肉を食べて大丈夫か? という部分に尽きる。


 ただ、五感強化を使用しなければ大丈夫だという確信にも似た思いが俺の中にあるのだ。


 この感覚は正しいのだろうか? 食べたいという気持ちが強すぎてそう感じているだけなのだろうか? 自分の感覚が信用できないというのは、とても厄介だ。


 かなり迷ったが、殺人兎キラー・ラビットの肉を食べることにした。


 これからずっと、格の高いモンスターの肉を避け続けることもできない。


 格の高いモンスターの生息地域に行けば、食べられる肉は高ランクモンスターの肉しかないのだ。


 俺が冒険者として順調にステップアップすれば、森の深層に生息する高ランクモンスターを狩ることもあるだろう。


 深層は当然ながら町から遠く、食料は荷物になる。最低限の保存食以外は、現地調達になる可能性が高い。


 そうなると、魔素味まなみが大量に含まれた肉を食べることになる。


 森の深層でおかしなことになったら、生きては帰れない。今のうちに、なんとか魔素味まなみと折り合いをつける必要がある。



 殺人兎キラー・ラビットの肉を売ることも考えたが、パピーにご褒美として食べさせてあげたい。売るとしても、輸送中に腐るリスクもあるからなぁ。


 これはパピーへのご褒美。俺が食べたいわけじゃない。俺が食べたいわけじゃないんだ……。


 ということで、朝飯は幻のモンスター、殺人兎キラー・ラビットの肉に決まりだ。


 兎肉といえば、シチューのイメージがあった。シチューを作りたかったが、森で乳など手に入らない。


 シンプルに焼き肉にすることにした。


 これがまたうまく、パピーは尻尾をぶんぶん振りながら夢中で食べていた。


 俺も肉の美味しさに舌鼓を打った。


「熟成していないにもかかわらず、ギュッとうま味が凝縮された殺人兎キラー・ラビットの肉は、上品な甘みがある。独特の香気が鼻を抜け、舌だけでなく鼻も楽しませてくれる。多少の固さはあるが、レベル補正で強化された咬合力こうごうりょくにはちょうどいい歯ごたえで、噛めば噛むほど味が出る。ラービの肉は淡泊だが、殺人兎キラー・ラビットの肉は味が濃く、うま味も強い。格4のモンスターなので、魔素味まなみも豊富。魔素味まなみの強烈な刺激が舌を通し脳を痺れさせる。貴族でもめったに口にできない希少性もあり、自分だけの特別を感じられ、味覚とは別の優越感という点においても格別だ。胡椒がないので、肉の臭みを心配したが問題なかった。人によっては好き嫌いがあるかもしれないが、独特の香気がこの肉の良さでもある。胡椒はこの風味を殺してしまうことになるかもしれない。酒は苦手だが、この香気は赤ワインの香りと相性がいいと思った。じっくりとワインで煮込んでも、素晴らしい味になりそうだ。脳みそはグロくて食べる気がしなかったが、パピーは美味しそうにゆでた物を食べている。俺も一口ぐらい食べるべきだろうか? だが、塩ゆでだと臭みがありそうだ。やはり、料理用にワインを持ち運ぶべきだろうか? ブツブツブツ」


「ガフ!」

「いでぇ」


 突然パピーに指を噛まれた。回路パスを通して、「ヤジン、変」と言われてしまう。


 やべぇ、またおかしくなっていた。多少マシになったと思ったんだけどなぁ……。


 五感強化を使わなくても、格の高い肉はまだ早かったみたいだ。あの謎の確信は、食べたい気持ちが生んだ錯覚だったらしい。


 魔素味まなみが絡む食べ物に関しては、自分の感覚を信じないことにしよう。


 他人を襲うとか、そういった系の暴走ではなかった。だけど、思い返すと相当気持ち悪い。恍惚とした表情で味の感想をブツブツと呟いていたようだ。


 日本でも、即逮捕レベルの気持ち悪さだった。


「正気に戻してくれてありがとう、パピー」

「わふわふ」


 俺はパピーを撫でる。パピーは、尻尾をぶんぶん振って喜んでくれた。美味しいお肉と俺に褒められたことでテンションが爆あがりしている。


 ピョンと俺の肩に乗ると、ペロペロと顔を舐めてきた。


「はは、止めろよパピー」

「ペロペロ」


 俺も嫌がりながらもまんざらじゃない。パピーといちゃついていると、そういえばパピーは脳みそを食べてまだ歯を磨いていないということに気付く。


 パピーは可愛いが、さすがにアレだ。舐めてくるパピーを止め、歯磨きタイムに突入する。


 塩を歯磨き粉に、繊維の多い枝で歯を磨く。こちらの世界は、繊維が柔らかい木の枝を使って歯磨きをする。


 奥歯でガジガジ噛んで、自分で固さを調節して歯を磨く。俺はレベル補正で頑丈になっているため、固めが好みだ。


 枝を使って、丁寧でありながら素早く磨く。


 枝をパピーの前に持って行くと、パピーは自分で好みの固さにガジガジと噛む。パピーは柔らかめ、房多めが好きみたいだ。


 パピーは歯磨きが苦手で、磨かれている間はカチコチに固まってじっと耐える。その姿が愛らしくて悶えてしまう。


 癒やし効果が半端ない。


 パピーがいなかったら、俺は確実にヤバいことになっている。おそらく、ストレスでダークサイドに堕ちていた。


 それか、魔素味まなみ関連で事件を起こして、早々に討伐されていると思う。


 俺はパピーに感謝の気持ちを込め、丁寧に歯を磨いた。



 俺がおかしくなったり、パピーといちゃいちゃしたせいで少し出発が遅れてしまった。


 それでも、日はまだ高い。


 カトーリ村からトゥロンまでは、街道を馬車で2~3日ぐらいと聞いた。


 街道だけではなく、ときには森の中を直進して進む俺の移動速度は、おそらく馬車より早いはず。


 そろそろ、トゥロンに付いてもおかしくはない。正直、大都市の文明が恋しい。


 俺は風呂に入りたいし、パピーも風呂に入れてあげたい。石鹸でパピーを綺麗に洗って、ブラッシングもしてあげたい。


 綺麗にブラッシングした、ツヤツヤのパピーを撫でまくるのだ。想像しただけで顔がにやけてくる。


 我ながら気持ち悪いおっさんだな。


 いかん、冷静に自分を直視するとへこんでしまう。パピーにメロメロな自分は、なるべく客観視しないようにしよう。


 これが、おっさんのメンタルコントロール術や! っと、こんなアホなこと考えて時間を無駄にしていはいけない。


 早く移動しなくては。俺は荷物を担ぎ、パピーと森を移動した。


 

 気配察知を使い、なるべくモンスターを避け移動したおかげで、かなりのペースで移動することができた。


 この森を抜けると、トゥロン近くの街道に出るはずだ。


 しかし、日が暮れそうな時間になっても、森は続いていた。多分方向はあっているので、俺が思った以上にトゥロンは遠かったらしい。


  火を熾し、適当に寝床を作る。多少枝が身体に刺さるが、強化された肉体には屁でもない。


 寝床で身体のポジションを決めると、パピーを抱きしめる。暖かくて落ち着く。とんく、とくんと脈打つパピーの鼓動を感じながら、俺は眠りに落ちた。


 朝、目を覚ます。珍しく夜間の襲撃がなかった。そんなこともあるのか、そう思いながらストレッチをする。


 朝食に干し肉を入れた麦粥を食べ、森を移動する。


 昼前に森を抜け、街道にでた。大都市トゥロンに近い街道は、馬車の往来が激しい。馬車と護衛の冒険者が、街道中にいる。


 街道から目を凝らすと、遠くの方にでかい都市が見えた。


 港らしき場所には巨大な船が見える。あれが交易船か、想像よりでかい。


 外洋にでないので、船は小さい船が中心だと思い込んでいた。品物を多く運ぶために、船が大型化するのは当然のことかもしれない。


 近くで見たいなぁ。大きな帆船なんて、地球にいた頃でも見たことがない。帆船はなぜか男心を擽る。


 気がつくと街道を歩くペースが速くなっていた。



 俺のような一人旅(フードにパピーが隠れているので正確には二人旅)は殆どおらず、一般市民は乗合馬車で移動しているようだ。


 乗合馬車も使わず、一人で移動している俺は怪しく見えるらしい。馬車とすれ違うたび、冒険者たちが威圧してくる。


 こんな白昼堂々、単独で馬車を襲うわけがねぇだろ。


 そう思うが、彼らもしっかり仕事をしている。そう考えると、怒るのもおかしい気がした。


 うん、気にしないようにしよう。色々と面倒くさくなった俺は、走ってとっとと、トゥロンに向かうことにした。


 徐々にトゥロンが近付いてくると、その巨大さが浮き彫りになる。遠くで見ていたときもでかいと思ったが、近くで見るとさらに大きく感じる。


 トゥロンに近付くと、前方の視界がすべて都市で埋め尽くされてしまった。トゥロンを囲むように設置されている城壁だけでも、恐ろしい規模だ。


 さすがにロック・クリフほどの高さと厚みはないが、高さは8~12メートルぐらいはありそうだ。監視塔などもあり、防御力は高いと思う。


 あのぐらいの高さなら平気で越えられそうだが、監視が厳しい。兵士の巡回もかなり頻繁に行われている。


 さすが、人と金が集まる大都市だ。防犯意識が高い。この世界は、それなりのレベルになれば簡単に城壁ぐらい越えられる。


 巡回による人の目を使った確認が、一番の防犯になると理解しているみたいだ。


 壁を越えて逃走は厳しいかもしれない。


 夜にならないとわからない部分もあるが、今まで見た都市で一番警備が厳しいと感じた。



 町へと進んでいくと、嫌な物が見えた。入り口に行列ができていたのだ。それも、ものすごい行列だ。


 うへぇ、今日中に入れるかな? しゃれにならんぞ。


 入市だけでも数日かかるとかじゃないだろうな? 殺人兎キラー・ラビットの毛皮が傷んでしまう。


 トゥロンの入市検査は露骨な賄賂を要求しないとカトーリ村の村長に聞いたので、毛皮を奪われるなどの心配はあまりしていない。


 だが、ここまでの行列は予想外だった。


 大人しく待つしかない。少しでも順番が早く回って来るようにと、俺は足早に進み列の最後尾に付いた。


 ぼーっと待っていると、ガンガン列が進んでいく。今までにない速度だ。間違えて貴族向けの入り口にでも並んだのか? そう思うほど列が進む。


 体感で4時間ほど待っていると、列に並んでいる段階で兵士が荷物検査をしていた。並んでいる状態で、先に検査を済ませるみたいだ。


 俺もボディーチェックと荷物検査をされ、入市税を要求された。このとき、パピーの入市で少し揉めた。


 なので、俺の言うことを完璧に理解でき、指示を聞くことを証明したのだが……それでも、前例がないと衛兵が嫌がったのだ。


 しばらく揉めていると、上役らしき人物がやってきてパピーの入市を認めてくれた。パピーがなにか問題を起こせば、俺の責任になる。そうしつこいほど俺に念押しした後、上役は去っていった。


 意外とあっさりカタが付いたな。


 少し肩透かしを食らったが、常に揉めまくって最悪な事態になるとは限らない。今回のように、比較的あっさり物事が進むこともあるだろう。




 入市税を受け取った兵士は、木札を渡し次の人の検査に移った。入市のときに、この木札を出せばいいらしい。


 グラバースの入市に比べると、入市作業は非常にスムーズだ。


 これだけのトゥロンに入市する人数がいれば、いちいち一人一人に時間を掛けて金をせびるよりよっぽど効率的なのだろう。


 圧倒的な入市人数を誇る、トゥロンだからできることだと思う。


 門の近くまで来ると、巨大な門は壁で区切られている。馬車用、徒歩用、貴族用と細かく分けられているみたいだ。


 再度、簡単なボディーチェックをされ、徒歩用の出入り口のひとつに誘導される。そこで木札を渡せば、あっという間に入市が完了した。


 なんてシステマチックな入市なんだ。メガド帝国から来た方法なのだろうか? 今までの都市とは全く違う。


 入市ひとつで、こんなに文明力を感じさせるとは……。


 トゥロン恐るべし。


 入市だけでも感じられる文明力。ワクワクが抑えられない。


 この町の料理はどれだけ発展しているのだろうか? 娯楽やサービス業は? 優れた魔法具や武器防具は存在するのだろうか? 想像するだけで楽しくなってきた。


 はやる気持ちを抑えきれず、俺は足早に門をくぐった。

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