第97話 殺人兎

「ピギー!」


 森に悲鳴がこだまする。


「ナイス、パピー」


 俺は後ろ足を噛み付かれ、動きを止められた殺人兎キラー・ラビットの延髄にナイフを突き立てようとする。


 殺人兎キラー・ラビットは、後ろ足を噛み付かれたまま首をブンと振る。硬質化した切れ味鋭い耳が、キンと音を立てナイフをはじいた。


 さすが格4のモンスター。この状態でもあらがうか。俺は改めて、延髄に向かってナイフを下ろす。


 殺人兎キラー・ラビットは耳でそれを受け止めなんとか防ごうとする。


 その状態で暴れ、パピーに噛み付かれた後ろ足を自由にしようとする動きまで見せている。パピーの拘束も長くは持ちそうにない。


 追い詰められた野性はすごい力を発揮する。


 俺は、ナイフとつばぜり合いをしている殺人兎キラー・ラビットの顔面を左手で掴む。ナイフはおとり、本命はこっちだ。


「フン!」


 俺は顔面を掴んだ左手を力任せにねじる。バキャリと小気味好い音がなり、殺人兎キラー・ラビットの体から力が抜ける。


 俺はさらに力を込め、身体を捻りながら神経の束を切断するようにねじ切った。


 殺人兎キラー・ラビットの首はぐにゃりとねじ曲がり、心臓の音も聞こえない。完全に死んでいるようだ。


 獲物の死を確認した俺は、ふぅと息を吐く。


 強敵だったが、不意打ちさえ防げればこっちの物だ。動きは速かったが、体が小さく、耐久力がない。


 パピーに後ろ足を噛まれた時点で、殺人兎キラー・ラビットの運命は決まっていた。




「ヘイ・パピー。グッガール、グッガール」


 あの動きの速い殺人兎キラー・ラビットを捕らえるなんてすごい。やはりパピーは優秀だ。


 俺はニコニコしながらパピーを撫でていると、回路パスを通して、首の怪我を治療してと言われた。


 そう言われて意識すると、少し痛みが走る。


 危なかった。回避が遅れていれば、頸動脈を切られて死んでいたはずだ。


 殺人兎キラー・ラビットは初心者殺し《ニュービー・キラー》と呼ばれ、多くの犠牲者を出すことで有名なモンスターとして知られている。


 駆け出しがよく狩るラービの巣を乗っ取り、ラービを捕食しにきた奴を不意打ちで殺す。


 ラービを捕食対象にしている他のモンスター、冒険者にとっては、死神といっていい存在だ。


 森の浅い部分にも出現するため、想定していない状態で格4のモンスターと戦うことになる。 


 個体数も少なく、出会った相手のほとんどが死んでしまう。素材が出回ることが少なく、非常にレアなモンスターだ。



 森を歩いていて、ラービの巣穴を発見した。


 夕飯にラービ肉でも食べるかと思い立ち、巣穴の出口を一カ所を除いて塞ぎ、煙でいぶし出そうとした。


 すると、ラービを捕獲するため塞いでいなかった出口から、すごい速度で殺人兎キラー・ラビットが飛び出してきた。


 とっさにかわそうとしたが、首を浅く切られてしまった。後数センチ横なら、頸動脈をバッサリやられていたはずだ。


 そうなれば間違いなく死んでいた。


 紙一重。ほんのわずかかでも俺の反応が遅れていたら、今頃くたばっていたはずだ。


 森はこれだから油断ならない。棺桶に片足を突っ込んでいたことを自覚した俺は、額から噴き出す汗を拭った。



 俺は傷口を水で洗い流すと、ナール草をもぐもぐと咀嚼する。ペースト状になったナール草をベシっと首に貼り付け、布を巻き付けて固定した。


 こまめに歯を磨いているので、ナール草の殺菌力が唾液に含まれている雑菌に負けないと思いたい。


 地球にいた頃も、口臭を指摘されたことはないからな。


 大丈夫だよね? パピーに『野人、口臭い』とか言われたら、おじさん立ち直れない。これからは、より丁寧に歯を磨くとしよう。


 レアモンスターである、殺人兎キラー・ラビットの素材は高く売れる。毛皮も大きな傷を付けずに入手できた。


 拠点に戻り、丁寧に処理せねば。



 殺人兎キラー・ラビットの毛皮は、貴族のお嬢様方に大人気。


 前足などを加工した、グロいアクセサリーは幸運のお守りとして、げんを担ぐ冒険者たちに人気だ。


 遭遇=死なので、生き残った上に殺人兎キラー・ラビットを仕留めた奴はラッキーということなのだろう。


 幸運な奴が仕留めた《キラー・ラビット》の一部を持つことで、そいつの持つ運にあやかろう。そんな感じの験担げんかつぎが、冒険者の間で流行っているようだ。


 殺人兎キラー・ラビットは狙って倒せるようなモンスターでもないから、ラッキーと言えばラッキーかもしれない。



 せっかく手に入ったレアモンスターの素材だ、状態がいいうちに売った方がいい。 


 どれだけ丁寧に毛皮から肉や脂肪をそぎ落としても、時間が経つと腐ってしまう。


 殺人兎キラー・ラビットの解体を済ませたら、トゥロンへ旅立つ準備をしよう。


 野性を取り戻すため、森に入って一週間。短いように思えるが、内容の濃い一週間だった。おかげで、感覚は研ぎ澄まされている。


 今の俺なら、平和ボケして危機に対処できない。そんな事態にはならないはずだ。


 野営地を片付け、荷物を背負い、街道へと足を進める。


 ゴブリンの集落があった方向へチラリと顔を向けるが、こみ上げる嘔吐感も、胸を刺す痛みも感じない。


 我ながらタフになったもんだ。いや、冷酷になっただけか? どちらもでいい。


 俺が望んだことだ。


 フードに飛び乗ってきたパピーの頭を撫でると、俺は前を向いた。

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