第90話 因果応報

 俺がメルゴの止血をしている間、村人は俺の止血作業をただ見ていた。大怪我した、かつての網元に対して心配する様子は見られない。


 アルゴの手前、メルゴを治療してアルゴの印象が悪くなると困る。単純に狂ったメルゴが怖い、汚物塗れで近付きたくない。


 そんな様々な感情が合わさり、村人たちは傍観者でいることを選んだ。


 メルゴのことを、人心を失った簒奪者。そう断ずることもできる。


 しかし、メルゴはこの村を豊かにした。功罪あれど、その恩恵は間違いなく村人たちも受けていたはずだ。


 すべてを失うであろうメルゴに憐憫の情を感じつつ、村人の非情さをヒシヒシと感じていた。


 自分でメルゴを網元から引きずり下ろしておいて、何を感傷的になっているのやら。一番タチが悪いのは俺だろうに……。


 部外者なのに、竜魚食べたさにメルゴから全てを奪った。一番の悪党は俺自身かもしれない。


 急に罪悪感がこみ上げ、胃がズンと重くなった。


 これじゃいけない。まだ終わったわけじゃない。俺は気持ちを切り替え、喜劇の続きを演じる。



「アルゴの兄貴、簒奪者に止めを!」


 俺はそう言い、両手でうやうやしく黒鋼のナイフを渡そうとする。そして、小声でアルゴに指示をだす。


「慈悲を見せろ。メルゴにはまだ使い道がある。うまくやれ」


 アルゴはナイフを受け取りながら、小声で返事をした。


「わかりました、任せてください」


 アルゴは、演技をしている自分に酔っていた。目に怪しい光をたたえたまま、興奮気味に頬を赤らめている。


 そして、中身ほんしょうがヘタレとは思えないほど、堂々と俺に返事をした。

 

 アルゴが演説を始めると、観衆の目線が再びアルゴに集中する。村人たちの関心が俺からメルゴに移ったのを確認すると、俺はそっと井戸へ向かう。


 みんながアルゴに意識を集中するなか、何人かの漁師は俺を監視し続けていた。漁師が二人、警戒しながら俺に付いてきた。


 漁師二人は、厳しい顔をしてこちらを睨んでいる。


 監視の漁師を引き連れたまま井戸に到着した俺は、縄と滑車を使った典型的な井戸からバケツを引き上げる。


 バシャッと井戸水を頭からかぶると、戦いで火照った体に冷えた。


 今は、冷たい井戸水が気持ちいい。


 戦いの熱や、胃に伸し掛かる罪悪感。冷たい水は、そういった激しい感情を洗い流してくれる。


 いくらか冷静になった俺は、ついでに服を洗うことにした。


 俺は全裸になると、井戸の横にあった桶に水をためると服をぶち込む。体を洗いながら、足でふみふみして洗濯をする。


 あー石鹸が欲しい。全身がくせぇ。


 全身を洗い、傷口に薬を塗り込む。桶の水を変え、またふみふみ。ミスったな、荷物を森に隠したが、持ってくればよかった。


 洗濯が終わっても着替えがないので、濡れた服を着ることになる。べちゃッと肌に張り付いて、嫌な感じになるんだろうなぁ……。



 しかし、恐ろしい相手だった。痛みを感じない相手っていうのはあんなに厄介なのか。


 物語なんかでも、薬物で痛みや恐怖心をなくした兵士が出てきたりする。


 メルゴと戦ってわかったが、確かに強いだろうな。


 もう一度、痛覚がなくなるまで狂った人間と戦う機会などないだろうが、いい経験になった。


 あそこまで壊れた奴と戦ったんだ。大抵の人間と戦っても怖いくともなんともない。平気で人を殺すやべぇやつでも、メルゴに比べりゃかわいいもんだ。


 狂ったメルゴより恐ろしい人間も、どこかにいるのかもしれない。だけど、あれ以上の恐怖を感じる人間なんて出会いたくもない。


 井戸水の冷たさとは別に、身体がブルリと震えた。


 


 雑な洗濯を終え、服がちぎれないように手加減しながらギューッと絞っていると、視線を感じた。


 俺を見張っている漁師たちの視線が股間に集中している。なんや? ワイのどでかいビックマグナムにビビったんか? どないや!


 まぁ、普通に考えて小さいと馬鹿にしているのだろう。笑いたければ笑うがいい。荒くれ者の漁師が考えることなんてお見通しだ。


 海外ドラマでも、ムショはナニがデカい奴ほどデカいツラするって言ってたもんな。戦闘能力じゃかなわないからって、身体的特徴を馬鹿にして優越感に浸ってるんだろ。


 さぁ、笑うがいい! 俺は堂々と丸出しでいる。


 しかし、笑い声は起きなかった。なんだ? エロ系物語みたいに、こっちの世界だと俺はでかいのか? いやいや、ゴンズのはすごかったぞ。


 そんなことを考えながら漁師たちを見ると、その目に宿っていたのは憐憫れんびんの情だった。


 や、やめろ! 俺をそんな目で見るな! 俺は心の中でそう叫ぶ。


 嘲笑よりも同情の方が心に刺さる。またひとつ、心の傷を負い、またひとつ、俺は大人になった。


 頬を伝う一筋の涙。こぼれ落ちるしずくは、桶の水に波紋を起こす。こぼれた涙は水に混ざり、もう区別がつかなかった。




 体を綺麗にしただけなのに、なぜかメルゴ戦よりダメージを受けた俺は、とぼとぼとアルゴの元へと向かう。


 アルゴを中心に人の輪ができていて、なかなかアルゴに近付けない。レベル20パワーを使い、民衆をかき分ける。


 派手に演説をブッかましたまではよかったが、その後どうしていいかわからないアルゴは、目をきょろきょろさせながら困っていた。


 民衆をかき分けて近付く俺を見付けると、捨てられた子犬のような目を向けてくる。どうやら、俺がいない間にアルゴの魔法が解けたらしい。


 俺が近付くと、アルゴは不安そうに聞いてくる。


「この後、どうしたらいいでしょう?」

「民衆は今、熱に浮かされている。だけどよ、冷静になったらおかしいな? って思い出す奴がでてくるはずだ。だから熱を冷ますな。民衆が熱に浮かされている間に周囲を固めろ」

「あの、具体的にはどうすればいいのでしょうか?」

「祭りだ」

「へ?」

「就任祝いの祭りを宣言しろ。ド派手にやれ。金はメルゴがため込んでる奴を使えばいい。熱に浮かされたままの民衆に、アルゴが就任したら楽しいことが起きた、そう刷り込んでやれ」

「わかりました」


 アルゴが祭りの宣言をすると、民衆の歓声が爆発した。



 祭りの準備が急ピッチで行われ、村中が活気に満ちる。村の酒蔵が解放され、村中に酔っ払いの笑い声が響いた。


 祭りは3日間に渡って行われると決まったらしい。あれからアルゴは、多くの人に囲まれている。


 今後の打合せをしたいが、なかなか二人きりになれない。


 手持ても無沙汰ぶさたになった俺はメルゴの様子を見に行く。俺が井戸から戻ったとき、すでにメルゴの姿はなかった。


 かなりの出血だった。下手したら死んでいるかもしれない。


 最重要目標である竜魚は明日調理されることになっている。


 アルゴが網元に就任したことで、俺が竜魚を食べられることが確定した。すでに目標は果たしたが、乗り掛かった舟。アルゴが今後の統治をしやすいように手助けをしてやるつもりだ。


 恩を売っておけば、再びこの村に訪れたとき、いい思いができるかもしれない。そんな思いもある。


 浮かれて何も知らない民衆をコントロールするという、薄暗い楽しみもあるしな。


 なるほど、人はこうやって権力によって腐敗していくようだ。それも含めて、実にいい経験をしたと思う。


 メルゴの家に近付くと、何やら騒がしい声が聞こえる。


 なんの騒ぎだと近付いてみると、パピーをいじめていたメルゴの息子が、村の子供たちにボコボコにされていた。


「やめろ、やめろよ。おれはあみもとのむすこだぞ!」

「なにがあみもとのむすこだ! あみもとはあるごさまだぞ! おまえのとうちゃんなんか、くそもらしじゃないか!」

「いままでよくもやってくれたな!」

「やめてくれよ、うぎゃああああああ」


 うわぁ、えぐい。4人の子供がクソガキを囲んで木の棒で袋叩きにしている。


 子供の力だから死にはしないと思うが、まさにリンチって感じだ。周りの子供たちもニヤニヤと楽しそうにしている。


 因果応報とはいえ、なかなかにえぐい。異世界の子供はたくましいな。俺は少しだけスッキリしてその場を離れた。


 メルゴの家はアルゴ派の漁師たちが占領しているようだ。メルゴの妻は、金目の物を持ち出して逃げようとしたらしく、漁師たちに捕縛されていた。


 アルゴ派の漁師たちの俺に対する態度は微妙だ。メルゴを倒した実力者としての畏怖。なぜかアルゴと親し気にしている嫉妬。


 複雑な感情が入りまじった微妙な目で見られるが、表立って馬鹿にしたり、喧嘩を売られると言ったことはない。


 質問にはちゃんと答えてくれるし、漁師なりの敬意も払ってくれている。中には、俺を睨みつけてくる漁師もいるが少数だ。


 俺は気に入らない、だけどメルゴを倒した俺が怖い。そんな感じなので、俺を睨んで精一杯反抗しているつもりになっている雑魚だ。放置しても危険はない。


 メルゴは迷宮産ポーションで一命をとりとめたらしい。暴れるかと思ったが、今は抜け殻のようになっている。


 一命はとりとめたが、ポーションの等級が低いため、手足は元に戻らないそうだ。


 確か、小国家群はダンジョンがないからポーションが超高級なんだよな。


 そんなポーションを持っているってことは、メルゴの野郎しこたまためこんでやがったようだ。俺も欲しいぞ迷宮産ポーション。


 細かい騒ぎはあったが、村も落ち着いてきている。


 俺は森で荷物を守っているパピーを迎えに行くことにした。アルゴを蹴った右足の甲が痛むが、森で一人待っているパピーを早く迎えに行かないと。


 パピーには、森に隠れるように指示を出した。アルゴたちに合図を出してもらった後、荷物を守ってもらうためだ。


 荷物を守るためだけではなく、村にパピーを近付けなくない。そんな思いもあった。


 俺がメルゴにやられるかもしれない。


 うまくいっても、メルゴ派とアルゴ派の漁師たちの戦闘が勃発。村は燃え、道は死体だらけという地獄絵図になる可能性もあった。


 そんな混乱状態だと、パピーを無事逃がせるか分からない。


 レベルが上がり、多少動けるようになったとはいえ、パピーはまだまだ小さい。不確定要素の多い村に連れて行く気には、どうしてもなれなかった。


 パピーは俺を心配して嫌がったが、何とか説得した。パピーの安全が第一だが、やはり荷物や金も大事だ。信頼できるパピーに見て貰いたかった。



 森をしばらく歩く。この森は歩きなれていないので、方向が分からなくなりそうになる。


 注意深く周囲を見渡しながら、あらかじめつけておいた目印を探して慎重に歩く。


  目印や自分の付けた微かな痕跡をたどり、なんとか目的地まで着くことができた。荷物を隠してある木に近づくと、木の上からパピーが俺に飛び付いてくる。


「わふわふ、ぺろぺろ」


 森に一人でいて寂しかったのか、パピーが甘えるようにじゃれ付いてくる。


 俺が嫌がるので、普段は顔を舐めたりしない。今日は興奮が抑えられないようで、ペロペロと顔を舐めてきた。。


 俺はパピーを落ち着かせるように、毛並みに沿って優しくなでる。


「立派にお留守番できたね。グッガール、グッガール」

「ひゃんひゃん、わふわふ」


 回路パスを通して、嬉しい、安心という気持ちが伝わってくる。正気を失ったメルゴと戦い、ゴリゴリ削られたSAN値がぐんぐん回復していく。


 アニマルセラピーここに極まれり! やっぱりもふもふは最高だぜ。



 俺は新しい服に着替えると、村へと向かう。パピーはいつもの定位置である、フードの中ですやすやと眠っていた。


 村に着いたらアルゴと今後の打ち合わせをして、明日竜魚を頂く。ついでに怪我した足が治るまで、お客様待遇で村に滞在できたら最高だね。


 パピーに癒され、かなり心が落ち着いた。今後の楽しみを想像すると、顔がにやけてくる。遠足前の子供のように、ワクワクが抑えられない。


 俺は竜魚の味を想像し、だらしなく頬を緩めながら村へと入っていった。

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