第89話 半分人で半分獣

 叫び声を上げて襲い掛かってくるメルゴ。俺はアルゴに視線を移すと、完全に負け犬の目をしていた。


 体がプルプルと震え、さっきまでの雄々しい姿はすっかり息をひそめている。同一人物とは言えないビビりっぷり、俺はに驚いた。


 周囲の視線はメルゴに集中しているため、アルゴがビビっている姿はまだ村人には見られていない。


 駄目だめだ、アルゴは使い物になりそうにない。


 アルゴに見切りをつけると、俺はメルゴに向かって走り出した。


「アルゴの兄貴。コイツは俺の獲物だ、手を出さないでくれ」


 そう声を上げ、村人の視線を俺とメルゴに引き付ける。


「グギギギ、グギャアアア」


 人の声とは思えない、獣の咆哮を上げメルゴが腕を振るう。


 咄嗟に頭を後ろに下げたが、頬が薄く切り裂かれる。予想より攻撃が伸びてきた。拳ではなく、引っかくように爪を立てていたためだ。


 さらに、メルゴは極端に肩を入れていた。その分、間合いが伸び距離を見誤ってしまった。


 普通なら筋を痛めたり、脱臼するため肩を支点に腕を振り回したりしない。だが、コイツはお構いなしに振り回してくる。


 余裕をもって距離を取ったつもりだったが、間合いを掴み直さないといけない。


 クソ、汚物塗れの手で怪我をさせられちまった。いくらナール草が消毒効果もあるとはいえ、早く傷口を洗わないと病気になっちまう。


 おっさんの汚物経由で感染とか、流石さすがに嫌すぎる。



 前以上に大振りなため、攻撃の予測はしやすい。


 だけど、体のリミッターが外れているのか速度と威力がやばい。人間は自分の体が壊れないように、無意識にブレーキをかけている。


 そのブレーキが完全に壊れていた。


 今のメルゴは、脳内麻薬、アドレナリンの大量分泌、もしくは精神の崩壊により、痛みや疲れに鈍感になっている。


 こんなやべぇ奴と戦って勝てる気がしない。急速にこみ上げてくる恐怖心を、俺はなんとか抑え込んだ。


 

 さっきより厄介だ。攻撃の速さや威力だけじゃなく、無茶苦茶に振り回された攻撃の軌道が読みにくい。


 攻撃で威力を出そうと思うと、ある程度の軌道は決まってくる。


 自分の手首を痛めず、相手に強く当てられる攻撃の角度は大体決まっているため、その角度の延長線上に攻撃がくるからだ。


 競技者としての純度が高いほど、素人の振り回すパンチを不意にもらってしまう危険性がある。


 体に仕込みませた回避行動は、合理的な角度の攻撃を避けるようにデザインされているからだ。


 数々の武勇伝を持っている、とある空手家がいる。彼は素人のパンチに慣れるため態々わざわざ大学に通い、ラグビー部などの体格のいい人間にパンチを打ってもらっていた。そうやって、素人が打つパンチ軌道に体を慣らしていたそうだ。


 このエピソードがしめす通り、普段慣れていない角度からの攻撃は避けにくい。


 メルゴの攻撃は、素人の無茶苦茶な角度の攻撃よりはるかに厄介だ。


 自分の体がぶっ壊れても気にしない軌道の攻撃など、受けたことのある人間はほとんどいないだろう。


 もちろん、俺にもそんな経験はない。


 恐ろしいスピードで、恐ろしい威力の攻撃が、今まで見たこともない角度や距離で飛んでくるのだ。


 いくら攻撃の起こりが察知できたとしても、完璧にさばくのは難しい。



 高速で振り回される両腕を必死でかわす。ガードしたら腕ごと持っていかれちまう、かわすしかない。


 安定しない踏み込み、極端に入れられた肩、どこを見ているかわからない視線。


 すべてが未知数の攻撃だった。


 野生動物やモンスターだって、もう少し理にかなった動きをする。


 腕を振り回し、目を血走らせ、口から泡を吹き、単語と叫び声を組み合わせた奇声を上げているメルゴ。正直、めちゃくちゃ怖い。


 怖じける己に活を入れ、恐怖に飲まれないよう心を強く持った。



 周囲から見ると、俺は防戦一方に見えるかもしれない。


 しかし、勝敗の天秤を少しずつ俺の方に傾ける作業をやっている。


 メルゴのむちゃくちゃな攻撃に体が慣れてきた。余裕ができたことで緊張が解れ、集中力が増す。


 極限まで肩を入れ、距離を延ばす。そうしても、某ゴム人間のように腕が伸びる訳じゃない。


 肩を入れて距離が延びるといっても、せいぜい数ミリ。至近距離での高速戦闘はその数ミリがでかいが、さすがに慣れてきた。


 首を傾け、攻撃をかわす。ブオン! と人間が出したとは思えない風切り音が聞こえる。


 臭せぇな。


 腕を振るう風にファンキーな匂いが運ばれ、俺の鼻を刺激する。五感強化の嗅覚をOFFにしても臭い。コイツ普段何食ってんだ?


 余計なことを考えている。いい感じだ。俺は集中力が増すと余計なことを考える。そして、余計なことを考えてもスムーズに体が動く。


 脳が高速稼働し、余計なことを考える余裕が生まれている証拠だ。


 おそらく、余計な事やアホなことを考えることで、プレッシャーを緩和しているのだろう。


 高速で動く脳がもたらした余裕を、メルゴの分析に使う。ボクシングの試合などでは、何ラウンドもかけて行う作業だ。


 普通なら時間の掛かる作業だが、スキルのおかげで比較的短時間でが分析できた。


 メルゴの行動が単純になっているのも、短時間で分析できた大きな要因だが。


 人間はいっけんランダムに動いているようでも、ある程度行動化されたパターンで動く。壊れたメルゴでも、それは同じようだ。


 このまま避け続ければ、無理な動きをしているメルゴはいつか壊れるだろう。


 だが、こっちは一撃もらえば終わり。膨大な情報の処理に脳は悲鳴をあげているし、動き回っているせいで足の甲の痛みも増してきた。


 ある程度、メルゴを『掴めた』。相手の自壊を待つのはリスクが高い。こちらから仕掛ける必要がある。


 もはや『殺さず』なんて余裕はない。まずは目を潰す。痛みは感じなくても、肉体的な機能の損傷はどうしようもない。


 指が折れても構わない。次に大きな隙ができたら、思い切り眼球に指を突き刺す。


 俺が覚悟を決めたとき、メルゴが今までにない動きをした。真正面から真っすぐこっちに向かってきたのだ。


 隙だらけだ。カウンターで水月に突きを、いや心臓にするか? それとも喉に貫手か? 高速回転した脳が様々なプランをはじき出す。


 俺が選択したのは、様子見だった。


 今までにない動きだ、警戒したほうがいい。カウンターを入れても、一撃で倒せる保証はない。まずは目や膝などを破壊して、徐々に身体の機能を奪っていく。


 まっすぐ突っ込んでくる。格闘技の試合なら美味しい状態だ。


 しかし、相手は狂化したメルゴ。ここはリスクを避け、回避に集中する。


 メルゴが距離を詰めてきた分、俺は距離を取ろうとした、そのときだった。


 グン! とメルゴが急加速した。まさか? 今までの動きはブラフ? いや違う。コイツ、足のリミッターも解除しやがった。


 急接近するメルゴ。だが、この間合いはむしろ俺の間合いだ。ここまでの至近距離だと、メルゴのリーチは邪魔になる。


 手足の短い俺の方が有利な間合いだ。それにこの世界の人間は距離が詰まった状態での有効な打撃を知らない。


 掴みにさえ警戒していればいい。掴まれれば、膂力差で不味いことになるからな。


 だが、体を掴んでくる相手への対処は学んでいる。


 服や革鎧を掴まれても、思い切り引っ張れば俺とメルゴの力で引きちぎられる。革鎧は静音性を重視した柔らかい革だ。服は安物の古着。


 体さえ掴まれなければ、どうにでもできる。選択を誤ったなメルゴ。いや、もはやコイツに理性や知能などないのかもしれない。


 人と獣を分けるのは知能と自制心だ。もともと自制心が薄そうなお前が知能を失ったら、ただの獣だよな。


 完全に対応準備の完了した俺は、メルゴの攻撃を待った。お互いの距離わずか30センチ。


 掴みにきた腕を逆に掴んで関節技を極める。掴みにきた腕を、肘を支点に回転させる受けで跳ね上げ、脇をすり抜けるようにバックに回る。


 次々とプランが浮かぶ。これといった行動は決めない。頭の中に選択肢のストックを増やしている状態だ。


 後は相手の動きをみて、ストックした選択肢から正しいと思う答えを選ぶ。そうすれば、咄嗟の事態でも自分の思った行動を取れる。


 相手の動きをみて、いちからすべてを考えていたのでは間に合わない。後は俺が正しい選択を選べるか、という問題だけだ。


 メルゴの頭部が動いた。頭突きか! 俺は頭の中の選択を選ぶ。


 しかし、メルゴの行動は俺の予想の範疇を超えていた。


 頭突きにしては角度がおかしい。まるで恋人とキスをするように真っすぐ俺の顔に自分の顔を近付けてくる。


 なんだ? そう思った瞬間、メルゴは口を開き、俺の顔面をかじろうとした。


「ッ~~~」


 咄嗟に顔を横に倒し、噛み付きを避ける。ガチン! と歯と歯がぶつかる音が耳元で聞こえた。


「っしゃあ!」


 俺は肩でメルゴの顎をカチ上げ、至近距離から右の突きを真っすぐ水月に突きこむ。押し込むようにズムッとコンパクトなモーションで縦拳を突き刺した。


 水月を打たれたメルゴは、一瞬動きを止める。俺はその隙にバックステップで距離を取った。


 ブワッと汗が噴き出る。


 マジかよ。首などの急所ではなく、顔面を齧りにきやがった。さっきまで理性のある人間だった、そのイメージに引っ張られていた。


 コイツは本当に獣なんだ。恐怖を感じると共に、自分が壊してしまったメルゴという男に憐憫れんびんの情を抱いた。


 おそらく骨折していると思われる顎を肩でカチ上げたが、痛みに怯んだりしなかった。脳内麻薬やアドレナリンのせいではなく、精神が壊れたんだな。


 俺の中でプランを修正する。コイツは獣だ。人の形をした、正真正銘の獣。格闘技なんて枠に収めちゃいけない。


 クソ、そのせいで選択肢が膨大になった。選択肢を用意して、その中から最善を選ぶなんてのは無理だ。


 相手の動きに本能的に反応するしかない。結局、俺も人間の持つ獣性に頼ることになる。積み重ねた人間の技術と本能の融合。


 まさに野人じゃないか。半分人で半分獣。人から獣に落ちたお前と、半分獣の俺。どちらが強いか決着を付けよう。


 ふぅーと長い息を吐く。極限まで集中する。相手の攻撃の起こりを感知し、対処する。そこからは本能が命じるままに、だ。


 人の技術体系に存在しない攻撃を対処する技術など持ち合わせてはいない。俺の瞬間的な『ひらめき』、本能が持つ瞬発力にかける。


 叫び声を上げたメルゴが右足を振り上げる。前蹴上げ! 真っすぐ足を振り上げるシンプルな蹴り技だ。


 メルゴのズボンの裾にたまっていた汚物が蹴り飛ばされ、観衆から悲鳴が上がる。


 右足を軸にスッと半身になり、攻撃をかわす。隙だらけだ。軸足を払って倒してもいい、金的、水月、喉、正中線は攻撃し放題。


 片足を上げているので金的か? そんな風に考えたが、本能のひらめきがすでに体を動かしていた。


 左手を後ろに回し、順手でナイフを抜くと、振り上げられたメルゴの右足のアキレス腱を突き刺した。


 そのままナイフを放し、しゃがみ込みながら右手を使い、ナイフを逆手で抜きながら股の下をくぐるように動き、すれ違いざまに軸足の左足のアキレス腱を切り裂く。


 右足にナイフが刺さったまま、メルゴは俺に向かい走り出そうとした。傷口がばっくりと開き、メルゴはそのまま転んだ。


 もがくように立とうとしているが、両方のアキレス腱が切れているので動けない。出血もひどい。


 少し離れた場所でもがいているメルゴを見ていると、徐々に弱っていった。俺は慎重にメルゴに近付く。


 顎を蹴り上げて意識を飛ばす。ナイフを回収後、両肘を破壊。さすがのメルゴも、ここまでされたら戦えない。


 このまま死なれても困るので、メルゴの止血をした。



 人と獣を分けるのは知性、そして人が獣に勝てるようになったのは道具を使うようになったから。


 もう、素手の決闘なんかじゃない。武器を使えばいいだけの話だった。なのに俺はテンパって普通に素手で対応してしまった。


 なにが、本能に任せる、キリッ! だよ。本能に任せたらあっさり武器を使って終わらせたじゃねぇか。俺の知能は本能以下かよ!!


 本能よりも文明の利器を使いこなせない、やはり俺は野人らしい。

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