第88話 完全にツラがイッてやがる

 メルゴは、ダムを決壊させたショックで棒立ちになっている。チャンスだ、ここで決める!


 俺は左足を踏み込み、親指を軸に思い切り体を回転させる。弧を描くように放たれた右足の甲が、メルゴの顎を打ち抜いた。


 右足を振り抜いた俺は勢いのまま一回転。そのまま蹴る前の構えに戻った。


 顎を打ち抜かれたメルゴの目は虚ろになり、体は力を失いぐにゃりと崩れ落ちる。自らの汚物に突っ伏したメルゴは、見ていて気の毒なぐらい惨めだった。


 ズキリと右足の甲が痛む。硬い顎に思い切り蹴りこんだ代償だな。


 身長差があるので、スネでは蹴りにくかった。


 足の甲は細かな骨が集まっているので脆い。


 そのため、親指の下の方にあるポコっとした骨の出っ張りで蹴るのが基本だ。


 今回は思い切り足を振り回したせいで微妙にコントロールが狂い、脆い場所で当ててしまった。メルゴのレベルが高いので、防御力が高かったことも原因だろう。


 延髄を蹴れば怪我はしなかっただろうが、高い確率で殺してしまう。


 メルゴが死に、なし崩し的にアルゴが網元の就任する。そんな形だと、今後の統治がやりづらくなる。



 メルゴは顎ぐらい骨折しているだろうが、命に別状は無いはずだ。妖怪クソ漏らしに進化してしまった心の傷は致命傷かもしれないが。


 メルゴにはまだ役目がある。今殺してしまう訳にはいかない。


 メルゴ主演の悲劇は幕を閉じた。次はアルゴ主演の喜劇の開幕である。



 クソを漏らし、よそ者の弱そうな冒険者に負けたメルゴは網元として終わった。後は、後継者であるアルゴの株を上げる。


 俺はメルゴの惨状に目線が集中している村人と商人たちの注目を集めるために声を上げる。


「おいおい、マジかよ! この村の漁師は卑怯者で臆病者で……おまけにクソ漏らしかよ!」


 俺は嘲るように漁師たちを見る。漁師たちの顔には複雑な感情が浮かんでいた。


 メルゴへの失望、俺への怒り。腐ってもレベル25であるメルゴを倒した俺への恐怖。それらの感情がないまぜになった複雑な表情をしている。


 俺の挑発にもっと大きな反発があるかと思ったが、一部の人間が小さく反論するだけだった。



 俺が騒ぎ出したことで、周囲の目線がメルゴから俺と漁師たちに集中する。


 このよそ者をどうにかしてくれ、このままカトーリ村が笑い物にされたままにしないでくれ。村の住人達は目でそう訴えている。


 漁村であるカトーリ村は、漁師たちが村の看板なのだ。村を代表する漁師たちが馬鹿にされるということは、カトーリ村が馬鹿にされているようなものだ。


 この時代は村を出ずに一生を終える者も多い。自分たちが住む場所、村への帰属意識や郷土愛は現代人の俺が想像する以上だ。


 メルゴや漁師たちに思うところはあれど、よそ者である俺に馬鹿にされるのはプライドが許さないのだろう。


 普段偉そうにしている癖に情けない、俺をどうにかしろ! という村人の鋭い目線が漁師たちに突き刺さっていた。


 

 漁師たちはメルゴの惨状を見て、明らかにメルゴに失望していた。確かに、情けない姿をメルゴは見せた。


 だが、漁師たちが一番、メルゴの恐ろしさを知っている。


  メルゴと近い位置にいた彼らは、メルゴが口だけじゃないことを知っている。そのメルゴを倒した男、俺に対し恐怖を感じているのだ。


 そのため、漁師たちは馬鹿にされても俺に立ち向かえない。メルゴに刻まれた恐怖が、そのままメルゴを倒した俺への恐怖にすり替わっている。


 自分たちが馬鹿にされた怒り。暴君メルゴを倒した俺への恐怖。村人からのプレッシャー。


 様々な感情の板挟みにあった漁師たちは、荒くれ者とは思えないほど狼狽ろうばいしている。


 追い詰められた漁師たちの視線が、一人、また一人とある人物に集中した。


 父親譲りの恵まれた体格。キリリとした、爽やかでありながら意思の強そうな顔。みんなに慕われていた、伝説の網元の息子という立場。


 気が付けば、村中の視線がアルゴに集中していた。



 アルゴが一歩足を踏み出す。敵対者であった、メルゴの手下だった漁師たちが道を譲る。アルゴが足を踏み出すたび、人が割れ、道を譲る。


 その道の先には、暴君を倒し村の看板である漁師たちを馬鹿にする蛮族おれ


 村中の人間が息を飲んで見守る中、俺とアルゴの距離が近付く。緊張感が高まっていく。無言で睨み合う、俺とアルゴ。


 まるで時間が引き延ばされたかのように、濃密な空間が二人を中心に広がっていく。


 緊張感に耐えかねた村人が、ごくりと唾を飲んだ。


 その瞬間、俺とアルゴは同時に動き出していた。お互いの右拳が交差する。


「ぐわぁ」


 俺は小さく悲鳴を上げると、自分・・から大きく後ろに飛び、ゴロゴロと転がりながら長い距離を吹っ飛ばされる。


 吹っ飛ばされた俺は、明らかにダメージがある。そんな風に装い、生まれたての小鹿のように足をガクガクさせながらアルゴへと歩く。


 悠然としたまま、俺を待ち構えるアルゴ。俺は何とかアルゴの前にたどり着き、ヘロヘロのパンチを繰り出すが、アルゴは微動だにしない。


 ペチンとヘロヘロのパンチがアルゴの頬を撫でる。頬に一撃もらったアルゴは、お返しとばかりに拳を引き絞った。


 俺はその姿を見て、絞り出すように声を出す。


「お、俺の負けだ」


 俺はそう言うと、精根尽き果てたかのように膝を付く。


 その瞬間、歓声が爆発した。人々がアルゴをたたえ、俺に罵声を浴びせかける。調子に乗った漁師たちが俺をシメようと集まってきた。


 やべぇな、この展開は予想外だった。


 おとなしくボコられるか? いや、最悪殺されちまう。アルゴも俺が死んだ方が都合がいいはずだ。


 今までの苦労が台無しになるが、二、三人漁師をぶっ殺して逃亡するか。そんな風に考えていると、アルゴがバッと手を上に掲げた。


 喜びを爆発させる村人たち、俺への怒りを爆発させる漁師たち、強い感情の渦に飲まれていた村人たちが、アルゴの動作ひとつで興奮から冷めていく。


 アルゴが手を掲げた数十秒後には、あたりは静まり返っていた。村中の人間が、アルゴを注視する。


 おいおい、マジかよ。とんでもねぇカリスマだな。たしかに、今のアルゴは救世主だ。だが、それを差し引いてもこの統率力は異常だ。


 村中の視線を集めるアルゴが静かに言った。


「彼は俺と正々堂々一対一で戦った。その彼をどうするつもりだ?」


 静かに語るアルゴの声は、不思議と良く通った。


「こいつは俺たちを散々馬鹿にした。だから落とし前を付ける!」

「「「そうだ、そうだ!」」」


 それを聞いたアルゴが烈火の如く怒った。


「それでは叔父と同じではないか!」


 突然、アルゴに叱られた漁師たちはビクッと肩をすくめる。


「彼は堂々と戦った、その相手を集団で痛めつけるのか? 俺と彼の戦いを穢すのか? 恥を知れ!」


 アルゴに一喝された漁師たちは、恥ずかしそうに下を向き顔をしかめた。


「さっきの戦いは、俺が一撃で簡単に倒したように見える。だが、本当に紙一重だった。ほんの一瞬だけ速く、俺の拳が彼に当たっただけだ。それが逆だったなら、倒されていたのは俺だった。彼は俺たちの村を馬鹿にしたが、それはメルゴの行いのせいだ。彼を責めるのは間違っている」


 おぉ、うまい。自然とメルゴが悪いって流れにしてやがる。これは予想外だ。アルゴは想像以上に優秀かもしれない。


 ある程度の協力はするが、網元になった後のことなんて知ったこっちゃないと思っていた。


 それより、色々と協力して関係を強化したほうがいいかもしれない。


「俺たちは誇り高き、カトーリ村の漁師だ。叔父のような卑怯なマネはしないでくれ。彼はたった一人で、敵だらけの状態で叔父と戦い勝った勇士だ。俺は彼を尊敬する」


 そう言って、アルゴは俺に肩を貸した。


「あの、こんな感じで大丈夫ですか?」


 周囲に聞こえないように、アルゴが不安そうに聞いてくる。その情けない感じの声を聞いて、俺は少し安心した。あーやっぱこいつアルゴだわ。


「完璧。このまま、網元就任宣言までうまくやってくれ」


 俺がそう言うと、アルゴはコクンと小さく頷いた。


「みんな、聞いてくれ! 彼を憎む気持ちはわかる。だけど、悪いのは叔父のメルゴだ。彼がカトーリ村の漁師の名誉を汚した。彼が漁師たちを馬鹿にするのも仕方がないと俺は思う。そして、そんな叔父の行動を止められなかった俺にも責任がある!」


 アルゴの話を聞いていた、一人の漁師が叫んだ。


「アルゴさんは悪くねぇ! 俺たちは幼いアンタが網元の立場を奪われたのに、メルゴが怖くて何も言えなかった。俺は……俺は……」


 そう言うと、漁師は泣き崩れた。この漁師の発言をきっかけに、村中の人々がアルゴに懺悔する。


 メルゴが怖かった。アルゴが網元の座を簒奪されるのを黙って見ていた、許してくれ。みなが涙ながらに謝罪を口にする。


 食堂のおねぇさんもそうだったな。村人みながアルゴに罪悪感を抱いていたんだ。よほどアルゴの父は村人に慕われていたのだろう。


 メルゴが怖くて言えなかった本当の気持ちが、メルゴという蓋が取れ、この物語の中にいるような圧倒的な感情の揺さぶりに思わず表にでてしまったようだ。


「みんな、顔を上げてくれ。俺は誰も恨んじゃいない。みんなの立場は良くわかる。そして、俺にも責任がある。村のみんなが苦しんでいるのに親族で争うことを戸惑い、叔父の横暴を許した。俺を許してくれ」


 アルゴが頭を下げる。


「そんな、アルゴさんは悪くない」

「そうだぜ、アルゴさんは悪くねぇ」


 アルゴのヤツ、しれっと叔父に力でかなわないから逆らわなかったんじゃなく、親族同士で争いたくないから逆らわなかったって流れにしてやがる。


 恐ろしい才能だな……。


「お互い悪い部分があった。だから、お互い水に流そう」


 アルゴはそう言って微笑む。クソ、イケメンめ。絵になりやがる。


「親族であろうと、間違ったことは正すとここに誓おう! 正しいことをしていても、ぶつかることもある。だけど、お互いが正しければ、戦った後でも笑い合うことはできるんだ」


 アルゴはそう言って俺を見た。やべぇ、急に俺に振ってくんじゃねぇよ。俺はテンパってぎこちない笑みを浮かべた。


「叔父の非道を正し、正道に戻す! 俺はここに宣言する! 網元の座は、正統な後継者である俺が就く。みんな、俺と共にこの村をより良くして行こう!」


 再び歓声が爆発した。アルゴコールが村中から聞こえる。こりゃすごい、まるで英雄の誕生を見ているようだ。


 仕込み丸出しだと知っている俺ですら、少し雰囲気にながされてアルゴコールしそうになる。


 これが田舎の漁村なんて規模じゃなく、もっと大きな町なら俺も雰囲気に流されていたかもしれない。


 アルゴの無駄なカリスマ性のおかげで想像以上に支持が集まったな。後は叔父が暴れても大丈夫なように、こっそり腕の一本でもぶっ壊して安全を確保。


 そのまま流れで就任祝いのお祭りじゃーって感じで竜魚を頂く。完璧なプランだな。いやーガバガバな作戦だったのにうまく転がった。


 メルゴは不幸になったが、後はみんなニッコニコだね。作戦がうまくいくとこんなに楽しいんだな。悪だくみする政治家や貴族の気持ちが少しわかった気がする。


 俺は竜魚の味を想像し、だらしなく頬を緩ませていた。




「がぎゃあああ」


 突然、村中に獣の咆哮が響き渡る。村中に響いていたアルゴコールが止み、人々の目線が声の主に集中する。


 声の主は、汚物に突っ伏し、誰からも忘れられていたメルゴだった。


「ゴロズ、ゴロズ、ゴロズぅううううう」


 メルゴは目を血走らせ、砕けた顎を動かし泡を吹きながら俺とアルゴを睨んでいた。俺に肩を貸していたアルゴが小さく「ひぃ」と悲鳴を上げる。


 完全にツラがイッてやがる。俺も少し玉がヒュンとなった。村人たちがメルゴから慌てて距離を取る。

 

 アルゴを取り囲んでいた民衆が左右に割れ、俺たちとメルゴの間に道開かれた。


「グギギギギ、ゴロズウウウウウ」


 メルゴは獣のように駆け出し、俺とアルゴに襲い掛かってきた。

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