第87話 尻ラッパ

 メルゴの動きが予想以上に速かった。舐めているつもりはなかったが、しょせん殴り合いは素人。そうどこか下に見ていたのかもしれない。


 圧倒的なフィジカル差があれば、技術など簡単に覆せる。俺の持つ技術による優位性を過信しすぎたようだ。


 俺は意識を切り替える。出し惜しみはなしだ。


 俺は気配察知の範囲を周囲2メートルまで縮小し、情報の精度を上げる。これで遠距離攻撃を事前に察知できなくなった。


 多少のリスクは仕方ない。


 五感強化を全開にし、精度を上げた気配察知と完全にリンクさせる。これをやると、情報量が多すぎて脳に負担が掛かる。


 パピーと森で狩りをしながら少しずつ慣らしていったが、それでも長時間は維持できない。


 周りから見ればなんの変化もない、俺の戦闘準備が完了した。


 ゲイリーのときは周囲に冒険者がいたため、一対一の戦いに自分のすべての能力を注いだことはなかった。


 俺の技術とスキルが融合すれば、レベル25が相手でも戦えるはず。最初にもらった一撃のダメージも、派手な音がしたわりにはたいしたことがない。


 拳を受け止めた頭部のダメージは思ったよりも小さかった。すでにダメージから回復している。


 素手で殴られたが、皮膚が切れて出血したりもしていない。


 俺は万全の状態でメルゴの攻撃を待つ。


 スピード差がある相手に、自分から仕掛けるのは自殺行為だ。攻撃を避け、隙を突く。基本に忠実に、派手な技はいらない。


 強敵を一撃でほふる奥義、防御も許さない神速の攻撃、わかっていても防げない精妙で複雑な妙技。


 ファンタジー世界でもそんな物は存在していない。物語のような世界なのに、現実的な法則に縛られている。そんな世界だからこそ、俺の技術が生きてくる。


 強化された気配察知と五感が、メルゴが地面を蹴る動作と振動を感知した。


 人は地面を蹴って前に進む推進力を得ている。そのため、攻撃の起点のほとんどは足から動く。


 前方に移動するときは後ろ足で地面を蹴る。その動作の起こりを敏感に、俊敏に捉える。


 メルゴが右手を振りかぶりながら前に飛び込んでくる。最初と同じ攻撃だ。相手の体勢からフェイントではないと判断する。


 顔面に向かって繰り出された拳を、ほんの数センチ顔を横にずらしてかわす。風圧が頬を叩き、風切り音が鼓膜に響いた。


 反撃はまだしない、リーチ差がある。このまま攻撃しても届かない。


 攻撃を避けられたメルゴは少し驚いた顔をした後、左の拳を半歩前進しながら横に振った。


 大振りのフックをバックステップしてかわす。雑な攻撃と雑な組み立てだ、集中すれば対処はできる。


 行動の起点さえ注視すれば攻撃のタイミングはわかる。来ると分かっている攻撃なら何とかかわせる。レベルの差による身体能力の差はあるが、さすがにこちらの知覚を超えるほどの速度はでない。


 こちらが対処できない高速コンビネーション、回避できないように誘導する組み立てなどは一切こない。ただ力任せに拳を振るうだけだ。


 最初は速度に驚いたが、慣れてしまえばどうということはない。


 最初は薄ら笑いを浮かべていたメルゴだったが、空振りを繰り返すうち、イライラが募っているのがわかる。


 メルゴは顔を真っ赤に染め、憤怒の形相で拳を振るう。


「てめぇ! ちょろちょろしやがって、男なら堂々と殴りブッ」


 いきなり動きを止めてアホなことを言いだすメルゴ。隙だらけなので一発入れさせてもらった。


「殴り合いの最中に何しゃべってんだ? 馬鹿なの? 死ぬの?」

「殺す!」


 ブチ切れたメルゴが拳を振り回すが、荒くなった分、余計にかわしやすい。


 メルゴの攻撃距離も掴んだ。反撃に出るとしよう。


 下半身の重心を残したまま、上半身だけ前傾になり相手の攻撃を誘う。誘いに乗ったメルゴがパンチをフルスイングで打ってくる。


 前に傾けていた体を、後ろに傾けて空振りを誘う。


 体を前に出した分だけ引き幅が大きくなり、上半身の動きだけで拳をかわすことができた。


 拳に威力を乗せようと前傾姿勢だったメルゴは、空振りにバランスを崩す。


 大きな隙、衝撃を逃がせない前傾姿勢、相手との近い位置での回避。すべてがそろった最高の状態。


 体幹を動かさず、頭の位置を変えず、スッと距離を詰め一本拳いっぽんけんを喉に突き刺した。カヒュっと喉から空気が押し出される音が鳴る。


 喉を押さえ動きを止めたメルゴの左の膝にローキックを叩き込む。膝の側副靭帯をスネとメルゴの膝の骨ではさみ、靭帯を押しつぶすイメージで思い切り蹴り込んだ。


 足を蹴られるという、予想外の攻撃にメルゴの動きがまた止まった。動きの止まったメルゴの顎に指を立てた掌底を当て、そのまま立てた指を目に突っ込んだ。


 深くは刺さらないが、数瞬だけ視界を奪える。掌底を放った腕を引き、次の攻撃に移ろうとした、そのとき……。


 メルゴが俺の腕を掴んでいた。目に指を突っ込まれながらも、俺の腕を掴んだのだ。ギリギリと骨がきしむ。


 俺は掴んでいるメルゴの親指の関節に腕で圧を掛ける。ほんの少しだけ握力が緩んだ。


 その瞬間、腕をクルンと回しながら強引に抜き取った。


 掴まれていた腕が痛む。なんて力だ、調子に乗って攻撃に集中しすぎた。


 メルゴから距離を取ると、メルゴは目をこすりながら立っていた。ダメージからの復帰が早い。いや、思ったよりダメージが少ない。


 このペースだと俺の方が時間切れになりそうだ。膨大な情報の処理に俺の脳は悲鳴を上げ始めていた。


 多少リスクはあるが、眼球を完全に破壊する、睾丸を潰すなどの強力なダメージを与える必要がある。


 手痛い反撃をくらったことで、メルゴの警戒心も増している。攻略難易度は高そうだ。


 相手とのフィジカル差は歴然としている。単純な力だけではなく耐久力も違う。まともにやれば、簡単に殺されるほどの差だ。


 だというのに、俺のテンションは上がっていた。恐怖はゼロじゃない。だけど、それを超えた高揚感に包まれている。


 ホブゴブリンのような人型のモンスターではなく、れっきとした人間が相手。それも生物としての格が違う相手。その相手に技術で拮抗きっこうしている。


 異世界で手に入れたスキルと、地球で学んだ空手を始めとする格闘技。それを融合させた俺だけの技術。


 その技術で、圧倒的なフィジカル差に対処できている。


 地球で学んだこと、この世界で鍛錬を重ねたこと、その結果を今、存分に振るっている。


 通用する、レベル25に俺の技術が。


 レベル差を技術で埋めている、こんなに嬉しいことはない。それを実践している、こんなに楽しいことはない。


 集中力がさらに研ぎ澄まされているのがわかる。


 重要な臓器さえ守れればいい、格上相手に無傷で勝とうなんて考えは捨てた。俺は覚悟を決め、メルゴの攻撃を待った。




 メルゴの様子がおかしい。思ったよりもダメージがあったのか? 確認のため、フェイントで反応を見よう。


 そう思い距離を詰めようとした、そのときだった。


 メルゴが歯を食いしばり、額に脂汗を浮かべている。その表情を見たとたん、俺の張りつめていた気が少し緩んだ。


 メルゴのヤツ、ベッドにあった水差しの水を飲んだな。乾燥させて成分を凝縮した粉を混ぜた、例の水を飲んだらしい。


 思ったより薬が回るのに時間がかかった。あれだけ動けば、すぐに効果が出てくるとおもったのだが……。


 飲んだ量が少なかったのか、何かしらの耐性系スキルがあったのか。どちらにしろ、今は水の効果が表れている。


 俺はニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、大胆に距離を詰める。


「おらぁ!」


 メルゴが拳を振るうが、さっきと違ってキレがない。よく見れば少し内股になっている。


 俺はメルゴのパンチを内側に入りながら避け、カウンターで水月ではなく、腸を押し込むようにズムッと左ボディアッパーを入れた。


 反撃を避けるため、一撃を入れバックステップで素早く後ろにさがる。


 しかし、腹に一撃もらったメルゴは動きを止めていた。ゴロゴロと雷鳴のような音がメルゴの腹から聞こえてくる。


「おやおや、晴れているのに雷かな?」

「て、てめぇまさか!」


 俺は返答の代わりにミドルキックを放った。メルゴが慌てて避ける。脂汗を浮かべながら周囲を見回すメルゴ。


 コイツ、この場は逃亡しようなんて考えてるな。


「オラオラ、そんなもんか網元さんよぉ」


 俺はわざと大声を出し、観衆の注目を集めながらジャブを打つ。周囲から見れば、ペシペシ当てるだけのへなちょこパンチに苦戦しているように見えるはずだ。


 これで逃げ出せば、評判を落とすことになる。だが、それは最善じゃない。できればヤツのダムを決壊させたい。


 俺は道化のように振る舞い、網元を挑発する。網元はダムを決壊させようとする凶悪なモノに対抗するので精一杯だ。


 俺にいいようにやられている姿を見て、網元派の漁師たちが『失望した』そんな表情をしながら網元を見ていた。


 アルゴ一派のメルゴって実は弱いんじゃないか? という視線。村人や商人の嘲るような態度。


 それらに耐えきれなくなったメルゴは、乾坤一擲けんこんいってき


 ダム崩壊のリスクを無視し、渾身の右ストレートを放つ。


 そのパンチは散々見たよ。俺は左足を大きく踏み込むと、深く沈み込みカウンターの掌底を腹に突き刺す。


 伝統派空手の試合でよく見る、中段のカウンター突きの応用だ。


 俺の掌底が腹に減り込んだメルゴは、動きを止めプルプルと震えていた。


「フン!」


 俺は突き刺した掌底を気合の声と共に捻り、さらに押し込む!


「あっ、あっ、あぁーーっ」


 村中に響き渡る、メルゴの悲鳴と汚い尻ラッパのサウンド。


 村中の人間がメルゴを見る目は、文字通り汚物を見るようだった。

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