第20話 神楽家のバーゲンセール

「おにぎりが出来ましたよぉ~」


 少し離れたところから、沙織の母、紗枝さえのやんわりとした声が聞こえてきた。その声を聞くや否や、遊びまわっていた子供たちは「やったぁ!」「お腹空いた!」と口々に叫びながら紗枝の下へ集まっていく。


 天斗はバランスを崩さないようにゆっくりとしゃがんで笹葉を下ろした。


「笹葉も食べに行ったらどうだ?」

「はい! ……パパは行かないのですか?」


 無事に地面に降りることができた笹葉は、小首をかしげて天斗に問う。


「僕はお腹が空いてないからいらない。……早く行かないと無くなってしまうぞ」

「そうですね」


 そう言って笹葉はトテトテとおにぎりを求めて天斗の下を離れていった。1人になった天斗は、奇跡の笹を見上げる。


 3本1束になった巨大な笹にはたくさんの子供たちの夢がくくりつけられている。少しのうしろめたさを抱えて、天斗はいくつかの短冊を盗み見ることにした。


 短冊に書かれている内容は「プロ野球せんしゅになりたい!」「弟が欲しい」「百おく円欲しい」などのいかにも子供らしい内容から、「将来、国家公務員になりたいです」「お父さんとお母さんに親孝行をしたい」などの、とても子供とは思えない、達観した内容のものまで様々だ。


 少しだけならいいだろうと思って読み始めた天斗だったが、いつの間にか読むのが楽しくなり、止めどころを見失ってしまった。

 

 目についた短冊を1枚、また1枚とめくっていると、コツンと何かが足に当たった。


 視線を下にずらすと、そこにあったのは黒の油性ペンと1枚の短冊。誰かの短冊が落ちてしまったのだろうかと思って天斗は拾い上げたが、表にも裏にも文字は書かれていなかった。おにぎりに夢中になった子供たちが片づけ忘れてしまったものだろう。


 天斗は短冊についている土を手で払い、少しだけ考えた後、短冊に文字を書き始めた。水上家には七夕という風習は無かったため、短冊を書くのはこれで初めてだった。


 一字一字丁寧に書いて、なるべく高いところの葉に結びつける。神様が見やすいように、ではなく、沙織や笹葉に見られないようにするためだ。特に沙織に見られたなら、向こう1年は弄られかねないような内容なので、なるべく高いところに結ばなくてはならない。


 背伸びをして必死に結び付けていると、すぐ近くで初めて聞く声がした。


「君、この笹のうわさを信じとらんだろ」

「……誰ですか?」

「君、この笹のうわさを信じとらんだろ」


 いきなり現れたお爺さんはRPGの村人のように同じ言葉しか話さない。こうなると自分で何者か推測するしかない。お爺さんは白と紫が基調きちょうの装束を着ていた。この神社の神主だろう。そうなると、沙織のお爺さんという線が濃厚か。


「……はい、信じてないですね」

「やっぱりそうか。顔つきを見れば分かる」


 天斗はさりげなく馬鹿にされたような気がしたが、流石に見知らぬ老人につっかかる気はしなかった。


「短冊を結びつけるだけで神様が願いを叶えてくれるんだったら、皆そうしてますよ」

「そうじゃな、ワシも信じておらん」

「……え?」


 七夕祭りの主催者がまさかの笹の効果を全否定。神主にあるまじき発言に耳を疑った。


「でもな、意味はある。この笹に短冊をつるすというのは、天に目標を宣言することと同義。願い事を叶えるのは短冊を書いた本人じゃ。ま、たまには手助けをしてくれるかもしれんけどのぉ」


 沙織のお爺さんと思われる神主は、カカカと歯の少ない口を大きく開いて大きく開いて笑った。天斗は愛想笑いの後、「そういうもんなんですかね」と当たり障りない相槌を打つ。


「それではな、少年。人生は楽しんだ者勝ちじゃ」


 ひとしきり笑った後、老人はその場を去った。年を取ると皆ああいう教訓じみた説教をたれるようになるのだろうか。またもや1人になった天斗は、再度背伸びをしてなるべく高いところに短冊を結び付けた。



 **



 子供たちの安全面も考えてか、七夕祭りは夜が更ける前に終わりを迎えた。


 天斗が短冊を括り付け終えて、笹葉がおにぎりを食べていたところに向かうと、そこには紗枝の膝枕ですやすやと眠っている笹葉の姿があった。大きなおにぎりを3つも食べったらしく、食後すぐに寝始めたらしい。「またおんぶして下山するのか……」と天斗が肩を落としていると、背後から強面スキンヘッドこと沙織の父、宗次が「家まで送って行ってやる」と天斗に助け船をよこしてくれた。


 どうやら沙織と登ってきた道は山道の裏道だったらしく、神社まで車で来れる正規のルートで天斗と笹葉をアパートまで送ってくれた。天斗は車に乗る前、道中で山に棄てられるんじゃないかなどと危惧していたが、紗枝も同乗することを知って心から安堵した。


 笹葉をおんぶしながら、紗枝と宗次に感謝の言葉を告げる。紗枝は「またいつでも遊びにおいでねぇ~」と優しく言ってくれたが、運転席の宗次の目は微塵みじんも笑っていなかった。


 走り去る神楽家の車が見えなくなるまで見届けた後、天斗は古びた階段を登り、鍵を開けて自室に入る。狭いワンルームのアパート。出かける前に布団をひいておいた朝の自分に感謝しつつ、寝ぼけ眼の笹葉に就寝の準備をさせる。


 もたつきながらも何とか夜のルーティーンを終えた2人は、同じ布団に潜り込む。笹葉は布団に入って即座に寝息を立て始めた。天斗はすぐに寝る気にはなれず、天井を見つめていた。


 明日で笹葉が来て1週間が経つ。約束の1週間。目を閉じて、意識が無くなって、そして目を開けたら、別れの日がやってくる。そんなことを考えながらも、天斗はこれっぽっちも悲しくなかった。また笹葉に出会う前の日常が帰ってくるだけ。笹葉がいる方が異常なのだから、何も悲しくはない。


 ただ、1つだけ、天斗は腹に決めていることがあった。それは、笹葉の親に文句を言うこと。笹葉が家出したにもかかわらず、捜索願1つ出さない笹葉の親に文句を言ってやりたかった。


 あれも、これもと文句を頭の中で並べていくうちに、睡魔が天斗を襲い始めた。特にあらがうこともせずに、天斗は眠りについた。




 

 カーテンの隙間から日光が差し込む。規則正しい生活習慣の鳥たちが一斉に朝を告げていた。天斗はその自然のアラームを聞き逃すことなく目を覚ます。2度寝は決してしない。


 胴体を起こし、軽く伸びをして眠気を払うと、すぐ隣で頭まで布団を被って寝ている笹葉を起こしにかかった。


「おい、朝だ……ぞ」


 布団を一気にめくる。


 しかし、そこにあったのは子供用の枕だけで、居るはずの小さな幼女の姿はどこにもなかった。

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