第18話 不穏な助け舟

「いや、神楽さんに誘われて……」


 天斗の頬に汗が伝う。山を登っていた時のものとは少し違う汗だ。


「沙織に誘われた、という妄想をしているわけか」


 ごつごつとした巨大な手が頭の上に乗せられる。天斗は沙織の父の妄言を否定したい気持ちに駆られたが、下手を踏むと頭が砕かれそうな気がしてなかなか声が出せない。


 沙織に「早く父を止めてくれ」と懇願こんがんにも似た視線を送ろうとしたが、沙織はいつの間にか笹葉の方に行っていた。


 万事休す。神社で殺されたら供養くようが早そうだな、なんて物騒なことが天斗の頭の中を駆けめぐる。


 その時、助け船が天斗の方に近づいてきた。


宗次そうじさん、何をしているの?」

「えぁっ!? いや、あのー……」


 少し離れたところから聞こえてきた沙織に似た声に、沙織の父、神楽宗次かぐらそうじは驚き慌てふためいた。


「あなたが、沙織の言っていた水上天斗君かしら?」

「……はい」


 天斗は直感で、目の前の女性が沙織の母であると悟った。腰辺りまで伸びた黒髪、全体的に顔のパーツは沙織に似ているが、目元にうっすらとしわがある。雰囲気はいたって真面目で、見た目は30代だが、大学生の娘がいるので実際は40代半ばくらいだろうか。


「はじめまして~。沙織の母の神楽紗枝かぐらさえです」

「どうも……あ、これ……つまらないものですが」


 話始めた瞬間、かもし出している雰囲気ががらっと変わった。どこか抜けたような、ほわほわとした口調だ。ぺこりとお辞儀をする紗枝に、天斗は菓子折りを差し出した。こんなこともあろうかと、和式料理店に行く前に買っておいて正解だったようだ。


「あら~、そんなに気を遣わなくてもいいのよ」

「本当に気持ちだけですので……」


 天斗は紗枝さえ遠慮えんりょを押し切って菓子折りを渡す。中身は2000円もいかないマドレーヌのセットなので、遠慮される方が困るというものだ。


「ありがとう。さっきはごめんなさいねぇ。宗次さんったら早とちりなところがあるから」

「はあ……だいじょうぶですけど」


 むしろ紗枝には助けてもらって感謝しかない。


「それは良かったわ」


 終始にこやかな紗枝だったが、天斗は紗枝の後ろでこちらを睨んでいる宗次のことが気になって仕方がなかった。


 飢えたライオンのような、一触即発の危険をはらんでいる。


 紗枝がいるから大丈夫だろうと天斗は心のどこかで安心していた。だが、それは希望的観測に過ぎなかった。何の脈絡もなく宗次が一歩前に足を踏み出した――――


「あらあら、宗次さん? どうしたのかしら」

「ひっ……」


 かと思ったら、紗枝の一言ですぐに足を引っ込めてしまった。どうやら、宗次は妻の紗枝に手も足も出ないらしい。神楽家は完全にのようだ。


「今日は来てくれてありがとね」

「いえ、僕も来てみたかったですので」

「ん~、いい答えね。天斗君はかっこいいし、沙織ちゃんのお婿むこさんになってくれたらうれしいなぁ」

「いや、それは……どうでしょうね、ハハ……」


 天斗は、「それはないですね」と否定しかけたが、紗枝を怒らせてはいけないという天斗の防衛本能が働き、曖昧にごまかした。


 「私は歓迎するけどな~」と一人で話を進めていく紗枝に軽く相槌あいづちを打って、天斗逃げるように笹葉のもとへと向かった。

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